「
緋色に煌めく宝玉と成ったマナの実を、自身の胸へと近づけて。
握った拳に想いを乗せ、覚醒の言葉を唱える天下は覚悟の眼差しを以ってして、目の前の強敵を真っすぐに見定めんとす。
「キサマ…………!」
眼前でマナの実を奪われたことに酷く腹を立てる巨躯の怪物は、広間中に放たれていた眩い光が収まるや。視界は晴れた直後、宝玉を胸へと掲げる天下を見ては、地鳴りのような咆哮を発すると。
「…………“
踏み込んだ脚によって大きく割れ裂き、減り込む床板を跡にして、構えた銀飾の大太刀を獲物へめがけて振り被り。
逆袈裟切りに、凶暴に輝く刃先は天下の右脚から左胸へとかけて肉と骨を断ち切らんと襲い掛かった。
「…………ナニッ!?」
だが。
己の刃先が確実にこの獲物の
天下の姿は、エーイーリーの持つ大太刀の刃先が直撃するよりも先に、まるで空気の中へと溶け込むように霧状となって消え去っていき――。
刹那の出来事に不意を突かれた怪物の手にはもちろん、生物の肉を裂く感触などは大太刀からは一切に感じることができず。空間上に僅かに残された霞の中を、虚ろに銀飾の大太刀が空振り、その刃先も天高くとまで通過する。
「クセモノガ…………ドコへッ……!」
また、面妖な動きをしてきたのかと。
先ほどまで瀕死の生き物同然のような様相だったはずの天下が、ここにきて再び俊敏な動きを見せてきたことに、巨躯の怪物は不意を突かれては思わず驚いてしまい。
だがそれでも、何としてもあの獲物を倒して、己が主人であるオーキュノスへとマナの実を届けるためと、消え去った天下の姿をすぐに探そうと躍起になっては、剥がれる鎧を激しく擦らせながら板造りの広間の隅から隅まで急いで見渡そうとした。
その、最中。
「おい、こっちだ」
「――っ!!」
再び天下の声が、惑うエーイーリーを呼び込めば。声につられた怪物が、すぐに声の出所へと振り返った。
その先にて――。
「またせたな」
悠々と佇む天下の、その躰には先ほどまでのような消えかかったエレマ体はなく。
代わりに、彼のその生身となったはずの全身には、新たに真っ新な武者袴が装いとして纏いつき。
精神整う白基調の上半身に。角帯へ刺繍される桜の花びら紋様が、いざこれより闘いの間へと参る若人を、まるで後押しするようにと咲き乱れる。
群青色で染められる袴下着物の、左腰にぶら下がる鞘は反対色である金色と、黒帯の紐の交差によって外側を強く固く結ばれて。
「…………おっと。そいじゃあ」
一呼吸。
置いた彼は腰を落とし、鞘へと両手を伸ばせばそのままゆっくりと。
「出てきてくれや」
収められた武器を引き抜けば。
「コクマっち」
そこから顕れる姿見は、決してエレマ体に備えられた分厚い剣などではなく。一本の、見事に研ぎ澄まされた赫色の刀であり。
そうして。
「はいよ~っ」
続けてその赫の刀身からは、天下の声に応えるよう、第二のセフィラであるコクマーが。
「ふぃ~~…………げっ、ウソでしょ。間近のジャンキー、あーしが思ってた以上にデカ過ぎなんだけど」
ランプの魔人の如く、刀身輝く光沢から放たれた粒状の物質より変化すると、煌びやかにその姿を顕して。軽快な口調ですぐに、颯爽と構える天下の背後へと回り込めば、空中へと一回転。
「コクマっち、なんとか覚醒できたぜ」
改めて天下は、板造りの広間にて顕現された瞬間に。先で立ちはだかるエーイーリーの姿を目の当たりにしては思わず顔をしかめるコクマーへと己が変わった姿を見せながら一声かけ。
「んん~? おおっ! ツヨヨめちゃんこカッコ良し男じゃ~ん! さっすがあーしの受者だね~~っ」
そんな天下を一目みたコクマーの表情はパッと明るく、太陽のような笑顔でその容姿を称え、これより始まる闘いへと彼の心を後押しする。
「キサマ……其ノ、スガタ…………」
見違う姿へと変貌した天下の恰好を見て。
彼の軽快な声に呼ばれ、そして天下の姿を捉えた瞬間にと。屠るため、手に握りしめた凶刃をすぐに振るわんと決め込んでいた巨躯の怪物だったが。
「キサマ…………何ユエ……」
覚醒が見繕った天下の恰好は、まるで一人の侍が、この地へと降り立ったかのように。
鞘から抜き切った赫刀を、正面に真っすぐ構える天下を眼前にしてエーイーリーは。床板を踏み込む両脚はピタリと止まり、頭上後ろへと振り被っていた銀飾の大太刀も、宙で止めた途端、思わずゆっくりと降ろしてしまう。
目まぐるしく変化する展開に、その場にいる全員が。
声も出ずに立ち尽くす中で。
天下烈志とエーイーリー。
両者の距離差は、僅かに二丈も満たない間隔と在り。
死合い行われる寸前の、重圧と緊迫感が。
両者の躰から空間全体へと伝搬し、見ている全ての者へと、手出し無用の意志を伝える。
「ツヨヨ、ちょっといい?」
「…………ん? どうした?」
渦中。
「さっき亜空間の中でも話したけど、今のツヨヨは初めての覚醒で、あーしとの繋がりがまだ不安定だから、強くなったからとは言っても絶対にジャンキーの攻撃を喰らわないように。今だけは、あーしの力でケガした肋骨の痛みを消しているけど、もし一度でも衝撃を受けてしまったらその瞬間。覚醒は終わると思ってね」
いざ、怪物との再戦へと参る天下へ向けてと。先ほどまで見せていた笑顔からは一転し、彼の守護者であるコクマーが今一度、自身の能力とリスクについて念頭に置くよう引き締めた表情で忠告すると。
「分かってるよコクマっち。ただ、あんまり大きく避けちゃうと、間違って周りを巻き込んじまうかもしれないから、なるべく最小限の動きで対応することになるはず」
エーイーリーには聞こえないよう、極力声を抑えながらコクマーの言葉に応える天下は。
「だから、そん時はコクマっちがオレを助けてくれ」
身体中に伝わる緊張を、呼吸を繰り返しながら弛緩させたらば。
彼女へ全幅の信頼を預け、覚悟を決めた表情で赫刀を両手でしっかりと握りしめる。
「…………おけまる」
天下からの言葉を聴いたコクマーは、暫し彼の様子を見つめた後。
「それじゃあ、気を付けてね」
「あぁ、任せろ」
彼女は天下に短く言葉をかけると、そうしてそのまま二者は会話をやめて、お互い眼前に仁王立つ強敵へと視線を向ける。
「(…………ふぅ。さぁて)」
いつ、どちらが先に仕掛けるか――。
八相よりもさらに高く、刃先は天井擦れ擦れに蜻蛉の構えを取るエーイーリーに対して、刀先の延長を敵の目交ひ(まかない)へと狙い定め、剣道の基本である中段の構えを取る天下。
僅かに生き残った数名のエルフ国兵に、倒れるローミッドを抱きかかえるペーラ。そして、背後にはコクマーが。
全員が固唾をのんで天下の行方を見守るなか、天下とエーイーリーがにらみ合ってからはや数刻が過ぎ。
この極限の緊張のなかでさえも、僅かな隙は命落とすと理解する両者は共々に、痺れを一切に切らすことはなく。
ただ、目の前に対峙する一人の侍へと、深く深く意識を没入させていく。
「………………“
――――刹那
「――っ!!」
ついに、先んじて仕掛けてきたのは巨躯の怪物エーイーリー。
吐いた息に呪言を乗せ、ほぼ両揃えに位置構えていた脚を瞬時に前後へと交差させると、引いた左脚を掛けとして、右脚の筋肉へと一気に圧力を溜め込みそのまま前進すべく床板を踏み込み蹴り上げて。
瞬く間に天下との距離を詰めれば、左上段に構えた銀飾の大太刀へ、全体重と推進力を乗せ勢いそのまま一気に振り下ろす。
恐ろしく速い剣速に、もはや大太刀の姿は一筋の白光にしか見えず。
鋭利に研がれるまな板よりも大きな刃先が、軌道を一切にぶらすことなく天下の左肩を捉えようとした。
その瞬間。
「剣技ッ! “
相手の大太刀が左肩へと触れるまで僅か数センチ上のところ、中段の構えを取っていた天下はすぐさま握る赫刀をひねらせて。
「はぁぁっ!!!!」
決して、力で対抗するわけではなく。
慌てず、繊細に。自身が向けた赫刀の刃先を迫る銀飾の大太刀へとそっと触れさせると、点で捉えた瞬間無理やり押し返そうとはせず。そこから線を描くよう、少しずつ躰を屈めながら、まるで刀身を撫でるが如くしなやかに滑らせて、怪物の大太刀がちょうど自身の頭頂部擦れ擦れを通過するように軌道をずらす。
そうして。
「剣技ッ!! “
見事に敵の初撃をいなした天下はすぐに。エーイーリーが弾かれた大太刀を返してくる前にと剥がれる鎧の隙間から見える分厚い肉へめがけて鋭い一振りを喰らわさんとするも。
「――っ! “
天下の動きを視界ギリギリまで捉えていたエーイーリーは、天下の頭上で空を切る大太刀を振り切る前に無理やり留め、すぐさま天下が狙わんとする部位の前へとしっかり面を作るよう、天下が持つ赫刀に合わせて刃先を向ける。
「――っ!?」
僅か数センチというところ。
「ちっ……くそっ!」
惜しくも天下の赫刀は巨躯の怪物の躰を捉えることはできず。再び両者の刀は甲高い金属音を轟かせると、鍔迫り合いを起こしたのち、衝突による激しい反発力によって弾かれて。
「あっこから無理やり返してくるとか、相変わらず理不尽な脳筋野郎だなぁ……!」
「イナス、カ……我レノ、太刀スジ……ヲ」
嫌う両者の刀に釣られる両者は、一度大きく距離を取れば、未だぶつかった衝撃で細かに震える刀身を一瞥しながら。
「(もう一回……丁寧に)」
仕切り直しと言わんばかりに。
すぐに、再びゆったりと、構え直しを図ろうとする。
いまの一連にて、両者の刀が振るわれた回数はたったの四回のみ。
激しく、乱撃が繰り広げられたわけではないにも関わらず、一瞬の攻防にはあまりに凝縮された緊張が込められて。
赫刀と銀飾の大太刀。
二つの刀が交じり合う度に響き渡る金切り音には、耳に劈くほどの強烈的な鋭音はなく、寧ろ。一度空間へと放たれた接触音は穏やかに広がっていき。
今まさに、命のやり取りを目の当たりにしているというのに。
その自覚があるにも関わらず、聴く者見る者全てが、不思議と心地よさを感じてしまう。
「すぅー、はぁー」
そんな、鮮音と静寂が波打つ空間で。
「(真っ新に…………)」
いざ、次の一手をと。
己の精神を研ぎ澄ませる天下は、呼吸とともに意識を心層深くへと沈みこませれば、無駄な情報は一切に頭の中から排除しより目の前の敵だけへと没入し。
いま先ほどの攻防のことはもう綺麗に忘れ――。
小さき頃からの、あの朝の日課であった父との座禅を想起して。
彼は、心情という己が胸の内にある瓢箪を淡々と。凪の水面に揺らすことなく、そっと静かに浮かべていく。
「………………イザ」
再び中段の構えを取る天下に対し、今度は居合の構えを見せるエーイーリー。
先ほどの速度でダメならば。
抜刀から生まれる初速を利用して、さらに速く。眼前の獲物の首を屠らんと、深く沈みこませた両脚に力を溜めようとした。
その時。
「剣技。“
聴こえるか、聴こえないか。
口元で、微かに呪言を唱えた天下の姿は突然に。
「――っ!」
先手を打とうとしたエーイーリーの前から忽然と姿を消し去って。
「マタカ…………ドコヘ……ッ!」
覚醒する直前に見せた動きと同じ様。夢幻かと錯覚するほどに、忽然といなくなった天下の姿を見つけ出そうと、じっと動かず気配を探るエーイーリーだったが。
「剣技」
次に天下が姿を見せたのは。
「――っ!!」
「“
なんと、巨躯の怪物の眼前で。
「これでも…………」
胸中迷い一切なく。
一瞬のうちに敵の懐へと接近した天下は、顕れたと同時に赫刀を振り上げて。
「喰らえやぁぁぁぁっ!!!!」
ローミッドの剣技によって剥がれ落ちた鎧の奥に見える奴の肉。その位置へと刃先を添わせ、今度はあの大太刀に防がれる前に、ひん握る赫刀で斬り上げようとした。
だが。
「グオオッ!!」
「――っ!!」
今度こそ、己の刃が奴の心の臓へ届くと思ったその瞬間。
なんと、天下の攻撃に反応が遅れたにも関わらず、巨躯の怪物は大太刀ではなく自身の巨漢な左腕で天下の赫刀を受け止めて。
「グッ……! グァァッ……!」
己の腕に食い込んだ赫の刀身を、これ以上斬られないよう筋肉の収縮によって一気に固定化させると、そのまま天下ごと押し返そうとし始める。
あまりの怪物の意地と怪力に。
「クソッ……たれがっ……!」
巨大な肉に刺しこまれる赫刀は徐々に押されそうになる天下だったが。
こちらも負けじと跳ね返すべく、すぐに腰を落として重心を保ち、赫刀を軸に腕だけでなく体全体で支えて拮抗状態へと持ち込もうとし。
「グオオオオオオッ……!!」
「はぁぁぁぁぁっ!!」
板造りの広間、その中央ど真ん中。
天下とエーイーリーによる譲れぬ鬩ぎあいが。怒号と雄叫びが飛び交う最中――。
「(ここでぇっ……!)」
絶対にこいつを倒すんだ。
「(斬らなきゃぁ……!!)」
絶対に、オレが皆を助けると誓ったんだ。
「だれが斬るんだぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
だから、こんなところで。
「だぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!」
負けてなんていられるか。
「――ッグ!? ガァァァァァッ!!!!」
昔からのように。
一度目標にしたからには。
「っしゃおらァァァァァッ!!!!」
成し遂げるまで、オレは絶対に諦めたりなんかしないんだと――。
「ワレノ……ウデヲ……。ヨクモ……」
「はっ! おめぇが自分の傷庇うってから目の前に出してきたんだろっ! 自業自得ってやつだよ!」
天下の雄叫びと、怪物の野太い悲鳴が止んだのち。
先ほどまで至近距離にいた両者は、再び二丈ほどの間隔を以って向き合えば。
「お、おい…………」
「あいつ、とうとう……」
エルフ国兵らにペーラ。絶えず皆がこの闘いを見つめるなかには、丸太のように馬鹿デカい怪物の左腕が、戦闘によって凹み傷ついた床板の上へと静かに転がり落ちていて。
「どうだ、ツワモノジャンキーよぉ……」
力と力の大勝負。
この一瞬に、渾身を超えた一撃を、と。
怪物の意地を、天下の根性が上回ったその時。エーイーリーの左腕に刺しこんでいた赫刀の刀身は、屈強な筋肉によって跳ね返されることなく、そのまま肉深くへと進んでいき。
遂に、難攻不落の巨躯の怪物を手負いにすること成し得た天下は、その瞬間を目撃した一同が信じられないといった表情を浮かべるも、微かに肩で息をする巨躯の怪物を見ては、落ち着いた様相で構えを取り続けていた。
「ヨウシャハ……セヌ…………。キサマハ……我レ、ガ……」
「言ってろ言ってろ。ようやく一度は斬れたんだ、何度でも斬り落としてやるよぉっ!」
斬られた腕から多量の血を垂れ流し、苦悶の表情を見せる怪物に赫刀の刃先を向ける天下烈志。
「もう一度……最初からっ」
今の彼の太刀筋に、一切の無駄はなく。
「(おっさんがここまで繋いでくれたんだ……)」
あの頃の、弱き姿もどこにもない。
「とどめ、刺しにいくぞぉっ!! こんちきしょうがァァ!!」
目の前の敵を屠らんと、一心不乱に勝負をかける。