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第87話 恐るべき敵

「くそっ、どうなってやがる!?この扉、開きも壊せもしねぇ!」


 シャトルドアの前で、猫田が毒づいている。シャトルドアを開け、が引きずり込まれてから十数分が経過しているが、体育倉庫のドアは一向に開く気配がない。

 トワ、カイリ、ショウコの三人も力を尽くしているが、状況は変わらない。もっとも、彼女らや猫田が真の意味で本気を出せば体育館自体が危ういだろう。あれが異界なのか、別次元に繋がっているのか解らないが、現実世界との接点となっている場所そのものを破壊してしまうと狛達は二度と帰還できなくなる可能性もある。それがよく解っているので、皆現時点では迂闊な事はできなかった。


 それにしても、あの時伸びてきた手は、正確に狛達だけを狙っていた。人間だけを狙う妖怪の仕業かとも思えたが、それならトイレの花子さんであるはずの玖歌まで引き込まれたのは説明がつかない。ショウコやカイリなどは即座に反応してあの手を掴もうとしたが、まるで霞のようにすり抜けてしまい、食い止める事ができなかったようだ。

 この場の誰もが自分達の力にそれなりの自信を持っていたこともあって、一切の抵抗も出来ずに狛達を奪われてしまったことに、苛立ちと後悔の念を感じていた。


「ドアの向こうが全く認識できない…厄介だね」


 トワがシャトルドアに手を触れ、感覚を走らせて呟いた。この場で最も鋭敏な感覚を持っている彼女でもダメならば、他の誰であっても探るのは難しい。


「拍の奴に頼んで解呪してもらうか、家にいりゃあいいが…」


「…待て、誰か来るぞ」


 カイリがそう言うと、体育館の外に繋がる扉が開き、そこに一人の男が立っていた。学生服は着ておらず、茶色い上着を羽織っている。大寅だ。


「なんや、けったいやなあ。こないな所に四匹も妖怪集まってるわ…いや、五匹かいな?まぁ、どっちでもええけども、困るんやんなぁ。お祭りに惹かれて君達みたいなのが集まってくるとさ。なにやら悪だくみしてるようやけど、楽しゅう遊んでる分には多めに見るつもりやったのに…」


 大寅は猫田達の顔を見回して、大袈裟に溜息を吐いてみせた。いかにも面倒臭い、そう言いたげである。その身に纏った気配から、四人はすぐに大寅が只者ではない事に気付いたが、こんな奴に関わっている暇はないと考えているようだ。

 大寅自身も、猫田達から自分への害意を感じないのが奇妙だと思っているようだったが、彼はそこで妖怪相手に甘い顔をするようなタイプではない。彼が左手の指をパチンと鳴らした瞬間、周囲は以前、狛達が引き込まれた採石場らしき疑似神域へと姿を変える。


「これは、神域?…コイツ、神使の祓い屋か!?」


「ふむ。簡易的に作っといた術やけど、悪ないなぁ。ちと狭いけど、十分やろう。さて、悪いけど話聞こかとは言わへんで。ぶちのめしてお帰り頂くわ」


 期せずして出会ってしまった者達の戦いが幕を開ける。四対一でも不敵な笑みを崩さない大寅の様子に、四人は不気味なものを感じていた。



「お母さん…?狛の?」


 一方、薄暗い洞窟の奥から現れた意外な人物に、神奈と玖歌は意表を突かれて呆然としていた。二人共、狛の母親が彼女を産んだ引き換えに亡くなってしまった事は聞いている。それが間違いないのであれば、目の前にいるのは確実に何かの罠だ。だが、その人物の柔和な笑みは、狛を含めた全員に恐怖と警戒心を薄れさせるものでもあった。


「そんな、そんなはずない…だって、お母さんは…」


 狛は誰よりもそれをよく解っている分、その動揺は激しかった。これは偽物だと頭では解っていても、幼い頃から切望していた母との出会いに、感情がそれを割り切る事を許してくれない。


(どういう事?ここにいるのはだったはず…既に狛は願いを叶えて貰った後なの?いや、この様子だとそれは違うみたいだし…なら、アレがこれから願いを叶えてくれる…?なら、私達に対応する何かがいないのはなぜ?)


 解らない事が多すぎて、玖歌も思わず判断を躊躇っている。その間にも、狛の母、あめは一歩ずつこちらへ近づいていた。


「狛、落ち着け!あれは狛のお母さんじゃない!」


 神奈は狛を庇うようにして、天と狛の間に立ち塞がった。手を触れるにはまだ少し遠い間合いで、天は立ち止まり、狛達に微笑みかけている。三人共に、ゾクリと背筋に悪寒が走った。目の前の天は確かに笑っているのに、優しい笑顔だと見た目には思うのに、段々と湧き上がってくる感情は恐怖や警戒心だ。

 その正体がなんなのか解らぬままに、さらに驚くべき事が起こった。


「う、嘘…!?どうして…っ」


 狛が絶句したのは、天の足元から顔を覘かせたイツの姿が見えたからだ。普通の中型犬ほどのサイズになっているが、あの姿は間違いなくイツである。さらに驚愕するのは、その見た目や仕草だけではない。感じられる気配までもがイツそのものなのである。

 まるで狛からイツが離れて、元の宿主である天の元に戻ったような、そんな自然ささえ覚える光景であった。


「イツがそれだけ懐くなんて…やっぱり…でも」


 狛はその様子に、段々と心が揺れ始めているようだ。そこにいるのが母だけならば、幻と切り捨てる事も出来るだろうが、一種一体しかいないはずの狗神イツまでもがそこに居て、完璧に従っているのであれば疑う余地はない。


「狛、ダメだ!罠だ!」


 神奈が必死に呼びかけても、傾き始めてしまった狛の心は、そう簡単に取り戻せない。今度は狛の方から、天に向かって歩き出している。神奈の横を通り過ぎようとした時、そんな狛の身体を優しく抱き留めたのは玖歌だった。そして間髪入れず、玖歌の足元からたくさんの白い手が伸び出して、天へと向かっていく。


「ダメよ、狛。アンタは行っちゃダメ…見てなさい。化けの皮を剥いでやるから」


「あ、ああ…!ダメ、玖歌ちゃん、止めて!」


 素早い動きで、玖歌の操る白い手が天に触れそうになった瞬間、それらは全て天の身体をすり抜け、白い手はボロボロと崩れ去ってしまう。


「なにっ!?」


 それは玖歌にとっても予想外の結果であった。あの天が本物であろうと偽物であろうと、あの手で触れさえすれば霊力や妖力を吸い取ってしまう事が出来る。その本質はそれで確認できる、はずだった。

 しかし、あの天には実体がないばかりか、玖歌の白い手を消滅させてみせた。こんな事は初めてだ。何か得体の知れない力が、あの天には宿っている。そう感じた。


「ヤバイ…アイツがなんだか解らないけど、触れられるのもヤバイよ!神奈っ!」


「解ってる。こっちだ!」


 玖歌が叫ぶと、神奈は二人の手を引いて右に走った。今まで暗がりでハッキリとは解らなかったが、進める道がありそうだったからだ。


 あの天はゆっくりとしか歩いてこない。三人はとにかく走って、態勢を整える事を優先した。



「はぁ、はぁ、はぁ…!す、少しは距離が稼げたか?」


 三人が道なりに走って来た先は、走ってきた通路より少し広い空間であった。さっきまでいた場所よりはずっと戦いやすいだろう。ただ、狛は今もずっと俯いてしまっていて、戦うことが出来るのか解らない。


「…で、この後どうするの?狛はこの状態だし、アタシも神奈あんたもやりあって勝てる相手とは思えないわ」


「仕方ないだろう。誰だって自分の母親を相手にして戦うなんて、出来るはずがない…せめて、あの猫田さん達と合流できればな」


 あれの正体は不明だが、今は戦わず逃げた方がいいというのは、玖歌と神奈で共通した結論であった。もし、あの天が狛の願いを無意識に叶えられた結果なのだとしたら、神奈や玖歌の分、或いは猫田達の分まで同様の相手が現れる可能性は十分ある。

 そうなったら本当に一巻の終わりである。そうなる前に、猫田達と合流したいと考えていた。


 ひとまず神奈が周囲を見回していると、空間の隅、壁際の一角に何かが置かれているのが解った。近づいて見てみれば、それは男子生徒であった。


「な、なんだ?!おい、どうした!無事か?」


 何か糸のようなものでグルグル巻きにされているが、触れてみれば身体はまだ温かく、意識は無いが怪我も無いようだ。その一人を皮切りに、よーく周辺を調べてみれば、いくつもの倒れている人影が見える。時には壁に立った状態で張り付けられているものもいた。

 また、ここには男子生徒だけでなく、女子生徒もいる。その中に混じって意識を失っていたのは、あのメイリーであった。


「メイリー!?どうしてここに。先に目覚めて捕まっていたのか?猫田さん達はどこへ…」


「違うわ、神奈。この子、昨日からここにいたのよ。見て、制服じゃなくてメイド服着てる」


「ど、どういう事だ?!じゃあ、今朝からずっと一緒にいたのは」


「あの偽物だった、ってことね。道理で様子がおかしかったわけよ」


 神奈も思い返してみれば、確かに今日のメイリーはどこかいつもと違う風であった。猫田に対して非常に積極的にアピールをしていたし、ここに引き込まれる直前にも、妙な事を口走っていた気がする。つまり、さきほど見た天と同じ存在だったのだろう。

 よくあそこまで皆を騙し通せたものだ、偽物とはいえ、凄まじいクオリティである。


 そうだとすれば、神奈と玖歌の偽物が現れないのは、外に放たれたということなのだろうか?そうであるならばまだマシだが、ここに囚われている全員分の偽物が襲ってきたら、とてもではないが太刀打ちできそうにない。


 困り果てた二人だが、目を凝らしてみると暗がりの先にぼんやりと光るものが見えた。それは紫色の怪しい輝きを放ち異様な存在感を醸し出している。


「玖歌、あの光はなんだろう?見えるか?」


「見えてるわよ。この際だし、行ってみようか」


 二人は狛の手を引いて、それに近づいていく。辿り着いた先には、紫色に染められた、美しくもどこか妖艶な鏡が置かれているのだった。

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