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第102話 支の秘密

 遡る事、今より百五十年余り昔の事。


 長く太平の世にあった徳川幕府と日本は、黒船の来航に端を発した『文明開化』の名の下に、急激な改革と革命に近い変革を余儀なくされた。しかし、改革や革命は往々にして痛みと血を伴うものである。平穏無事に生きる全ての人々を巻き込んだ、日本という国の歴史上、避けては通れないいくつもの戦…新時代は、その最後の幕開けでもあった。


 そして、それらの血風が生み出す屍山血河は、闇に生きる妖や悪霊達を大きく騒がせ、活発化させる要因ともなる。

 尊王攘夷運動と大政奉還によって、再び侍の元から名実ともに国家元首となった明治天皇は、そこに一つの危機感を覚えた。新時代の訪れと共に蠢く妖怪ども、それらに対抗する戦力が必要だと…それこそが、明治天皇直轄の対妖・対心霊隠密部隊【ささえ】である。



「俺達ささえは、そういう理由で発足し、編成されたのさ。…表向きはな」


 外柴という男の素性を説明する為に、猫田はまずささえ隊についての説明から話を始めていた。今話した内容は、拍や土敷のような付き合いのある者達ならば知っている内容だ。ただ、神奈や玖歌、レディのような、巻き込まれただけの者達は知らないことである。確認の意味も含めて、改めて最初から説明したということだろう。


 黙って聞いていた拍は、猫田に話の続きを促すように頷いてから口を開いた。


「そこまでは以前から聞いている。だが、表向き、というのはどういうことだ?他に何か、ささえとやらを作る理由があったというのか?」


「…ああ、当初は俺も知らなかったことだが、ささえ結成にはもう一つ目的があったのさ。というよりも、こっちが本命だったようだがな」


 猫田は遠い昔を思い出し、わずかに思いを馳せる。共に命を懸けた仲間達と歩んだ、戦いと旅の思い出。それは猫田という猫又の生涯にとって、ほんのわずか数年という短い期間に過ぎなかったが、今思い返してみても、とても濃密で楽しい時間であったと思う。それはまるで昨日の事のように思い出せる色褪せない記憶であった。


ささえが作られた真の目的、それは天皇家にのみ口伝として残されていた神…須佐之男命すさのおのみことの一言だ。曰く、この国にいずれ危機が訪れるっていうな」


「危機、だと?」


「そうだ。まだこの国が日本と呼ばれる以前に現れ、討たれたとされる伝説の怪物…日本の歴史上、最古にして最大最強の妖…八岐大蛇やまたのおろちが復活するという言い伝えだ」


 蛇が不死性の象徴であることは以前述べたが、その蛇達の祖先は遠く古代インドにおいてはナーガと呼ばれ、隆盛を極めた蛇神の一族である。そしてその中でも飛びぬけて強大な力を持っていた蛇神の王達、ナーガラジャ。八岐大蛇はサルサパトラの祭火によって滅亡の憂き目にあった、そのナーガラジャ達の生き残りであったのだ。


「神話の炎で滅びかけた八岐大蛇が、どうやって日本に渡ってきたのかは解らねぇ。が、奴は日本への旅路の間に力をつけ、八つの頭を持つ強力な存在にまで進化していた。神としての権能を奪われ、高天ヶ原から追放された須佐之男命すさのおのみことという神の力では、殺しきれないほどに。須佐之男命は、奴を酔わせてその首を全て切り落としたが、厳密には殺せてはいなかったんだ。だから、簡単には蘇る事が出来ないよう、日本各地に奴の首を封じていた」


 猫田が語るそれは、どこの文献にも描かれていない事だ。だが、それが真実だったのだろうと信じさせる何かがある。それこそが、経験してきたものの持つ、言葉の重みというものだろうか。そして、なおも、猫田の言葉は続く。


「大蛇はやがて、この国に多くの血と負の想念が溜まったその時に蘇ると、そう言い伝えられていたらしい。そして、この国はずっと戦続きで戦乱の世が続いていた。徳川の世でこそ平和が訪れていたが、明治という新時代の為に起きた戦が、大蛇復活の最後のきっかけになると明治天皇はそう考えた。つまり…」


ささえが結成されたのは、対八岐大蛇やまたのおろちの為だった、と?」


「ああ、その通りだ。俺達に課せられた真の目的は、八岐大蛇やまたのおろちその復活の阻止、または大蛇の撃退だったのさ。かつての神でさえ成し得なかったことが、俺達に託された。初めてそれを聞かされた時は、驚いて胃の腑がひっくり返りそうになったぜ…」


 この国の歴史に疎いレディはあまりピンと来ていないようだが、神奈と玖歌は明かされたその真の理由に愕然としていた。八岐大蛇やまたのおろちの逸話と言えば、この国のほとんど誰しもが知る所である。そこに、そんな続きがあった事など、彼女達は聞いた事もなかったのだ。


「あの時は大変だったね。僕ら妖怪も、そのほとんどが大蛇復活の為に動いていた。大蛇復活に尽力した暁には、大蛇自らが不死を与える、なんて触れ込みでさ。僕は人間に敵対する気なんてさらさらなかったから、家族を守るのに必死で抵抗していたけれど…あとで猫田から顛末を聞いて驚いたもんだよ」


 人に比べれば遥かに長く、悠久の時を生きる妖怪達でさえ、不死という餌は重要な意味を持っていたらしい。考えてみれば、不死というものは寿命の長さだけではない。現に600年生きた猫田でさえ、あまりにも大きなダメージを受ければ死に至るのだ。命には必ず終わりがある、その終わりを無くすことは、何物にも代え難い誘惑であるのだろう。


「それで、あの外柴という男は何者なんだ?話が見えてこないが…」


「さっきも言った通り、俺達ささえ隊は、大蛇復活を阻止する事も目的の一つに入っていた。だが、内部からそれを影で阻み、大蛇を復活させようとしている奴らがいたんだ。外柴は、その中の一人さ。主犯の名は氷川藤兼ひかわふじかね、氷川はささえ隊の中では総隊長に次ぐ二番目の実力者だったんだが、大蛇を蘇らせてその力を手に入れようと画策していた。その氷川が率いるささえ隊第二班の内の一人が外柴だ。外柴は俺達…犬神宗吾が率いた第四班を、妖怪と自分の操る式神の混成部隊で襲ってきやがった。あの時返り討ちにしてやったんだが、まさか地獄に落ちてまで復讐を狙ってやがったとはな」


 なんとも信じられない話である。八岐大蛇復活という話もそうだが、外柴という男が死して地獄に落ちても尚、復讐の機会を窺っていたとは誰が予想できただろうか。特に神奈は、人が死ねば、そこで生まれ変わりや地獄に落ちて終わりだと思っていたので、ますます信じられないようである。

 おおよその筋書きが読めたのか、拍と土敷はそれぞれが何かを考え込んでいるようだった。そんな中、神奈がおずおずと手を挙げた。


「あ、あの、一ついいですか?」


「あ?ああ、別に構わねぇよ。何だ?」


「その、八岐大蛇が復活するっていうのは、その、この先にも…」


 神奈が気にしていたのは、いつか再び、八岐大蛇が復活するのではないかという疑問だったようだ。恐らくは先の大戦において、この国で多くの人命が失われたことを思い出しているのだろう。猫田は、神奈が何を気にしているのか察して、慰めるように答えた。


「心配しなくても、もう二度と大蛇は復活しねぇよ。詳しい説明は省くが、八岐大蛇を完全に殺す為にはある条件が必要だったんだ。須佐之男命は、それを達成する事が出来なかったから倒しきることができなかった。幸い、俺達はそれを知った上で、きっちり消滅させてやったからな。金輪際、大蛇の奴が復活することはねぇさ」


「そ、そうですか…良かった」


「しかし、そうなるとあの外柴という男の目的は、やはり俺や狛といった犬神家の親類縁者に対する報復か、それと、だろうがな」


 拍の言葉に、猫田は黙って頷いている。外柴は非常に執念深い人間なのだろう、普通であれば死んで地獄に落ちてもまだ復讐など考えない。そもそもそんな力など残っていないはずだ。だが、何かしらのはかりごとを持って、あの男は行動に出た。その結果が現状なのだ。


「悔しいが、アイツが裏で糸を引いているとなれば、俺らが迂闊に地獄へ乗り込むわけにもいかねぇ…あの口振りからして、奴の目的は俺達だ。恐らくだが、奴は俺達が地獄へ来るのを待ち構えている、そんな気がする。先走って飛び込んで、取り返しがつかねーことになったら、それこそお終いだ。せめて、奴が何を目論んでいるのか、それだけでも解るまでは…」


 猫田そう言って、地獄へ繋がっている荒岩ヶ根が安置された、本殿奥の間を見据えた。狛にどうか無事でいてくれと胸の内で願いながら。

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