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第12話 クマサンの秘密

 夜になるとこの時期でも外はまだ少し寒かった。

 自転車を飛ばして駅の近くまでやってきた俺は、駐輪所に自転車を停め、駅へと急いだ。

 しかし、たどり着いた駅はシャッターが下ろされ、完全に閉まっていた。


 こんな時間に駅に来たことはなかったが、深夜にはシャッターが下ろされるものなのか。

 電灯の淡い光がシャッターを照らしているが、その灯りの範囲には人影はなく、駅周辺は静まり返っている。

 困ったことに、俺はリアルのクマサンの容姿を知らない。

 待ち合わせ場所に着けば、そこにいる人がクマサンだろうと考えていたから、いない場合にどうやって探すのかまで考えていなかった。

 せめて彼が着ている服の特徴や、どんな風貌なのか、もう少し詳しく聞いておけばよかったかもしれない。


 駅の周りは閑散としており、深夜営業している店も見当たらない。せめてコンビニでもあれば、そこにいるかと思ったが、残念ながらそうしたものもない。近くにあるのは公衆トイレくらいだ。


 ……ふむ。

 もしかしたら、クマサンはトイレに行っているのかもしれない。

 夜は冷えるから、トイレも近くなるだろうし。


 俺は駅を離れ、公衆トイレの方へと向かった。

 特に慌ててもいなかったので、普通の速度で歩いて向かったのだが、その途中、トイレの方から女性の悲鳴が聞こえてきた。


 おいおい! 一体なんなんだよ!?


 胸がざわつく中、俺は駆け足でトイレへと向かう。

 いつもの癖で反射的にまず男子トイレを覗くが、誰もいない。

 すぐに女子トイレの方から物音が聞こえてきた。ほんの一瞬躊躇したが、俺はすぐにそちらに移動し、中を覗き込んだ。


「――――!?」


 目に飛び込んできたのは、黒い服を着た男が、女の人を押し倒し、その上に覆い被さろうとしている光景だった。


 ちょっと待て! これは完全に事件じゃないか!


「おい! なにをやってるんだ!」


 俺は叫びながら男に駆け寄り、その体を掴んだ。

 男は俺よりも大きく、強そうだった。


 この男がクマサンだという可能性もある。

 だが、もしそうだとしたら、なおさらやめさせなければならない。

 彼がしていることは明らかな暴行だ。ギルドメンバーを犯罪者にするわけにはいかないと、俺は男を力ずくで女の人から引き離す。


 女の人は服が乱れ、スカートも捲り上げられ、白い太ももが無防備にあらわになっていた。

 混乱と焦りの中、俺は何とかして男を落ち着かせようとしたが、その瞬間、耳をつんざくようなビリビリという音と共に、全身に激しい衝撃を感じた。

 俺はそのまま男に突き飛ばされ、地面に倒れ込む。


「何だお前! 邪魔しやがって!」


 視界の端に、男が手に持つスタンガンが見えた。

 どうやら俺は、そのスタンガンの一撃を食らったようだ。服の上から何かが当たる感触があったが、それだけで身体がまもとに動かなくなるなんて……。服越しでもこの威力だと、直接当たったらどうなるんだ!?


「邪魔、邪魔、邪魔だ!」


 目を血走らせた男が、スタンガンを前に突き出しながら、一歩一歩、俺に向かって迫ってくる。

 まずい。

 この威力は普通じゃない。合法レベルのスタンガンじゃないのかもしれない。

 もう一度あれを食らったら、完全に動けなくなる……いや、それどころか気絶確定だ。


 くそっ!


 俺は必死に動かない身体に鞭打ち、何とか足を動かした。

 それは意図した動きではなかったが、そのぶん男にとっても意表を突くものだったのだろう。

 倒れた状態から懸命に動かした足が、偶然にも男の腕を蹴り上げた。

 しかも、当たったところが良かったのか、スタンガンが男の手から離れ、宙を舞う。


 ラッキー!

 まぐれとはいえ、ついている!

 しかし、その安堵も束の間――


「何しやがるっ!」


 俺の行動はかえって男を逆上させてしまったようだ。

 男は一気に俺の上に馬乗りになると、その手を俺の首にかけてきた。


 嘘だろ、おい!?


 俺の首に、力のこもった指が深く食い込んでくる。

 呼吸が苦しくなり、視界が徐々に暗くなっていく。


 やばい!

 気絶どころじゃない!

 これはマジで死ぬ!


 抵抗しなければ死ぬとわかっていても、先ほどのスタンガンの影響で身体に力が入らない。さっきのキックは本当に偶然の産物だったようだ。


 職場で追い詰められ、無職になって、そしてこんなところで死ぬのかよ……。

 クソみたいな人生じゃないか……。

 せめて、さっきの女の子、君だけでも逃げてくれ……


 絶望が心を支配しかけたその時、再びビリビリという嫌な音が耳に届いた。

 反射的に身がすくんだが、突然、俺の首にかかっていた男の手から力が抜け、男は俺の上に崩れるように倒れ込んできた。

 よく見ると、男は気絶していた。


 目を上げると、さっき襲われていた女の人が、スタンガンを握りしめ、震えながら立っていた。

 彼女がスタンガンを拾い上げ、男の首筋に当ててスイッチを入れてくれたのだ。


 ……助かった。

 まじで助かった。


 少し動けるようになった俺は、上に覆い被さっていた男の体を横にどけて、なんとか自分の体を起こした。


「……ありがとう、助かったよ。君の方は大丈夫?」


 よく見れば、小柄で可憐な女の子だった。

 ふわりと揺れる純白のブラウスは襟元に繊細なフリルが施され、袖口には優美なレースがあしらわれている。その柔らかな布地は、彼女の華奢な肩を優しく包み込んでいた。腰からふわりと広がる赤いスカートは柔らかく波打ち、細い足を引き立てている。その姿はまるで童話の中から抜け出してきたようだった。

 ショートボブの黒髪は、絹のような艶を帯び、微かな震えとともにさらさらと揺れている。前髪は自然と目の上でわかれ、長く厚みのあるまつ毛が影を落としていた。ぱっちりとした大きな瞳は黒曜石のように深く、濡れたような輝きを宿している。恐怖のせいで見開かれ、もともとの目の大きさがさらに際立っていた。

 鼻筋はすっと通っているが、鼻先は小さく愛らしい。薄い唇は、普段なら淡い桜色をしているのだろう。けれど今は血の気が引き、透き通るような儚げな白さを見せていた。

 ――どこかで見たことがある気がする。でも、思い出せない。そのことが無性にもどかしい。


 しかし、それより問題なのは、そこで気絶している男だ。

 これがクマサンだとしたら非常にまずい。

 どう見てもクマサンはこの女の子を襲っていたし、俺も殺されかけた。

 擁護したいところだが、擁護しきれる自信がない。

 少なくとも、この状況では警察を呼ばざるを得ないだろう。


「……ショウだよね?」


 その言葉は、目の前の可愛い女の子の震える唇から発せられていた。


「…………え?」


 俺は思わず間抜けな声を上げてしまう。


「キャラと似ているから、すぐにわかったよ」


 アナザーワールドのあの格好いいショウと、リアルの俺が似ているだって!?

 何を言っているのだ、この娘は!?

 そもそも、なぜゲームの中の俺をこの娘は知っている!?


 しばし考えを巡らせ、俺は一つの答えにたどり着く。すべての辻褄が合う唯一とも言えるその答えに。


「……もしかして、クマサンなの?」

「うん。来てくれるって思ってた」


 ――――!!

 あのいかつい熊型獣人の中身が、このちっちゃくて可愛い美少女だって!?

 なんの冗談なんだよ、ホントに!


 俺は、男に殺されかけた恐怖以上に、クマサンの正体が美少女だったという衝撃で、頭が真っ白になってしまった。



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