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第221話 舞台開幕

 俺達が出演することになった劇は、吟遊詩人ギルドが主催するものだ。そのため、芝居だけでなく、音楽がもう一つの主役として存在している。

 とはいえ、登場人物が突然歌い出すようなミュージカルではない。さすがに歌まで要求されていたら、今回の依頼は丁重にお断りしていたかもしれない。

 ではどんな舞台かというと――


 ステージの両端で吟遊詩人達が並び、生演奏を奏でている。

 その音楽を背景に、中央では役者達が芝居を繰り広げる。

 この演奏が、単なるBGMにとどまらない。

 物語と同格の存在として、全編にわたって息づいている。ときに旋律が感情を導き、ときに演奏に合わせた吟遊詩人の歌が物語の転機を彩る。

 逆に、演奏が嚙み合わなそうな場面は、ナレーションだけで簡素に場を繋いだりもする。


 そんな舞台の幕開けは、王宮の華やかな舞踏会のシーンから始まる。

 吟遊詩人達が奏でる優雅なワルツ。その音だけでも、観客を物語世界へと引き込むほどの力がある。

 そして、俺の初登場も、まさにこの場面に用意されていた。


 俺は改めて自分の姿に目を向ける。

 現実の舞台と違って、ゲームのありがたい点の一つは衣装だ。

 いちいち着替える必要はなく、シーンの切り替えと同時に装いも自動で変更される。しかも、急な代役にもかかわらず、身体にぴったりとフィット。寸分の狂いもない。

 今身にまとっているのは、深い黒のウール地で仕上げられた燕尾服。上質な生地特有の柔らかな光沢が、動くたびにさりげなく揺らめく。胸元のシャツは真っ白で、ハイカラーが首筋を品よく包み込む。脚には黒のドレスパンツ。柔らかくも張りのある生地が脚線に沿い、動きやすさと品位を両立している。足元には、磨き上げられた黒の革靴。

 普段の俺とはまるで別人のような出で立ちに、緊張がいよいよ高まってくる。


【ステージの中央、ラインハルトの隣に移動してください】


 目の前に、システムメッセージが浮かび上がった。

 こうやって俺にしか見えない形で指示を出してくれるのはありがたいが――同時に「絶対に間違えるなよ」という無言の圧もある。プレッシャーが一段階上がった気がした。


 ちなみに、ラインハルトというのは、この劇における主人公騎士の名前だ。

 俺が演じるのは、落ちこぼれ騎士のショーン。メイはショーンの恋人のメイリン、ミコトさんはラインハルトの家の侍女のミコッティ。どれもキャラ名に似せた役名だ。偶然ではなく、システムがキャラ名に合わせて自動生成してくれたのだろう。

 なお、クマサンだけは台本にも「門番」としか表記されていない。門番にはもともと名前さえ設定されていないのだろう。……クマ獣人になんかしたからだよ。

 そんなことを考えながら、目の前の緊張感から少しでも目を逸らすようにして、ステージ中央へと進み出た。

 隣には、俺と同じ正装に身を包んだラインハルト役の役者が立っている。

 金髪で涼しげな目元、貴族然とした物腰、絵に描いたような主役顔。

 俺と二人並べば、どちらが主人公かなんて一目瞭然だ。……言ってて自分が少し虚しくなる。


 ――そして、吟遊詩人によるワルツの音楽が流れ始める。

 舞台照明が柔らかく灯り、幕が静かに上がる。

 いよいよ開幕だ。


「どうにも、こういう華やかな場は慣れないよ」


 ラインハルトの第一声が響く。

 爽やかさと男らしさが矛盾なく溶け合った、聞く者を惹きつける声だった。

 ちらりと客席を見やると、女性客達はその声と佇まいに一瞬で心を掴まれたようだ。視線がハートマークになっているんじゃいかってくらい。


 ――それにしても、客席は満席かよ……。


 唾を飲もうとするが、口の中がからから。

 次は俺のセリフ――のはずなのに。


「…………」


 喉が詰まったように、声が出てこない。

 セリフは目の前に表示されている。読むだけでいい。それだけなのに。


 ……客席なんか見るんじゃなかった。


 視線の圧が、鎖のように身体を縛ってくる。

 このままだと、芝居は台無しだ。

 失敗すれば、俺が恥をかくだけじゃ済まない。『幻の楽譜』の下書きも、手に入らなくなってしまう。

 どうして大事なときに、俺はいつもこうなんだよ……。

 自己嫌悪に沈みそうになったとき、ふと脳裏に浮かんだのは――

 配信での、クマサンの姿だった。

 堂々として、自然体で、視聴者の前でもまったく動じない。

 失敗するなんて微塵も感じさせない佇まいで、いつも頼もしくて格好良かった。

 ……俺も、彼女に近づきたい。

 追いつけないまでも、少しでも近くに――


「よく言うよ。この場の女の子達は、みんなお前のことを見ているじゃないか」


 気づけば、セリフが自然と口をついて出ていた。

 さっきまで俺に巻き付いていた緊張の鎖は、どこにもなく、喉も身体も軽い。

 何がきっかけかは自分でもわからないけど――助かった。


「俺がいつまでも独り身だから、物珍しいだけさ。それより、君の彼女が向こうで一人寂しそうにしているじゃないか。早くダンスに誘ってあげなよ」


 ラインハルトが舞台袖を指差すと、淡い青のドレスに身を包んだメイがステージ上に現れる。

 ショーンとメイリンは、劇中で最初から恋人同士という設定だ。二人は下級貴族の幼なじみ。昔から仲が良くて、そのまま自然になったという関係。

 一方でラインハルトは、これまで恋人すらいたことがない。今夜の舞踏会で、運命の相手と出会うという筋書きだ。

 つまり、俺とのやりとりはただの前座。ショーンはこの後、メイリンと軽く言葉を交わして退場。その後に、ラインハルトとヒロインのエリシアが出会い、舞踏会のメインシーンに入っていく。

 ……正直、前座にされても、舞台から下がって一息つけるのはありがたい。

 ここはサクッとメイとのパートをこなしてしまおう――そう思いながら、俺は彼女のもとへ歩み寄る。


「やあ、メイリン。ここにいたんだね」

「あっ、ショーン。探したよ」


 メイリン役のメイが、はっとしたように顔を上げた。


 ……あれ? 本当にメイ、だよな?


 一瞬戸惑ってしまった。

 いつものおさげ髪は解かれ、緑の髪が背中までさらりと流れている。それだけで、ずいぶんと印象が違う。

 さらに、いつもの機能性重視の服装ではなく、胸元が開いた淡い青のドレスをまとっている。

 透き通るようなドレスの色合いは、彼女の髪によく映え、どこか儚く、それでいて凛とした印象を与えていた。

 透明感。爽やかさ。そして――大人っぽさ。

 舞台の照明に照らされたその姿は、あまりにも綺麗で、一瞬見とれてしまうほどだった。


 ――だが、落ち着け、俺。


 見た目が多少変わったところで、中身はいつものメイだ。

 リアルのメイならまだしも、このアバターのメイに緊張する理由はない。

 俺は軽く息を吐き、セリフを口にする。


「ちょっとラインハルトのところに行っていたんだ。あいつから声をかければ、誰でも一緒に踊ってくれるだろうに、また一人で突っ立っていたからな」


 相手がメイだと思ったら、セリフも淀みなく言えた。何しろ、セリフ自体はメッセージとして目の前に表示されているんだ。読み上げるだけなら難しくない。


【ショーンはメイリンをまっすぐに見つめる】


 表示された行動指示に従い、彼女の瞳を見つめた――その瞬間、胸がふっと波立った。


 ……あっ、この深い緑の瞳は――リアルのメイと同じだ。


 こんな間近で、じっくり彼女の目を見るのは初めてだった。

 わざわざゲームキャラも同じ瞳の色にするなんて、きっとこの瞳は彼女にとって、コンプレックスではなく、誇りであり、アイデンティティなんだろう。


 ――それにしても、ミステリアスで、どこか引き込まれるような魅力のある色だ。


 それを意識した瞬間、アバターのメイと、リアルの彼女の姿が重なって見えた。

 そうだ――

 着飾ったメイの中身はいつものメイだが、さらにその中身は、ライブで誰よりも輝いていた、あのクールで、格好いいメイなんだ。

 その事実を再認識すると、途端に心臓が早鐘を打ち始める。


「でも、私はラインハルトさんに声をかけられても、お断りするよ。だって、私にはショーンがいるんだから」


 ――――!!

 宝石のような瞳で見つめられたまま微笑まれて、俺は完全に固まる。

 リアルのあのメイが、こんなことを言ってくれている――そんなふうに思ったが最後、頭が真っ白になってしまった。


 ……誰だよ、メイなら緊張しないとか言ってたやつは。

 さっきからリアルのメイを意識して、身体が熱いんだけど!


【「ありがとう。それじゃあ一曲お相手をお願いしてもいいかな?」】

【セリフとともに、舞台袖にはける】


 次の俺のセリフと行動が示されているのに、メイの瞳を見つめたまま動けないでいた。彼女の瞳に引き寄せられ、メッセージに目が行かない。

 今度こそまずい――そう思った時だった。


「もう、照れてないで、一曲踊ってよ」


 ふいに、メイが俺の手を取る。

 そのまま軽く引っ張るようにして、舞台袖へと歩き出した。

 まるでリードされるように、俺もよろよろとついていく。

 今のセリフは、台本にはなかったはずだ。

 彼女のセリフは「私にはショーンがいるんだから」で終わっている。

 つまりこれは――俺は固まっているのを察して、メイが即座にアドリブでフォローしてくれたってわけだ。


「……ごめん、メイ。助かったよ」


 舞台裏に下がってから、小さく頭を下げる。

 きっと、いつもの調子で皮肉の一つも返ってくるだろう――そう思ったのだが。


「大丈夫、いつものショウらしくやってくれればいいからさ」


 メイは優しくそんなことを言って、俺の手をぎゅっと握ってくれた。

 その柔らかな感触と温もりに、ようやく落ち着きかけていた心臓が、またしても跳ね上がる。


 ――こんなの、惚れてまうやろ!



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