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第13話「取り引き」

 初音さんとのやり取りから一週間ほどが経った。

 改めて思えば激動の一週間と言って良いのかも知れないけれど。


「――んじゃ、失礼しまーす」

「はい、ありがとうございました」


 黒雨会が手配してくれた引っ越し業者さんが去っていくのを見送る。

 業者の人も稀人だった、聞けば黒雨会は頼られたのなら稀人に仕事も斡旋しているらしい。

 裏を返せば仕事を斡旋できるほどのコネクションを有しているということで、思っていた以上に手広いというか、各所へと根を伸ばしているんだなと実感した。


「ドッグカフェ、ねぇ。名案と言えばそうかもしれないけど、俺に出来んのかよ」


 最後にこの看板を表に出せばそれで終わり。

 新しい俺の住まいはここ、ディアパピーズというドッグカフェとなった。

 一階部分はまだ犬の一匹もいないが、カフェスペースとなっていて、二階に看板は出さないが俺の探偵事務所兼住居スペースが用意されている。


「まぁ、別に儲けを出す必要はないって言われたけど……素子の治療費を稼げる程度には頑張らねぇとなぁ」


 素子が意識を失って、身元保証人としての能力がないと判断されたことで俺は共生会に通うことができなくなった。

 一足先に卒業したと思えばそれで終わりの話だけれど、もう少し歪でも学生って立場でいたかったような気もするから不思議なもんだな。


「しっかし、肝心のお犬様はどうするかな? 街を散歩しながら情報収集に使えるでしょうなんて言われたけど、言うことを聞かせるなんて出来ねぇし。そう都合よく捕まえられるわけなんてないんだけど」


 流石に稀人を纏めている組織だけあってそこら辺もわかってくれてるはずなんだけどな?

 犬の言葉を理解できるって言っても、命令に従わせるなんてことは無理だ。

 そりゃ確かに素子と暮らしてたマンションの近所にいた飼い犬たちとは多少仲が良いけれど、誰かに飼われている犬を店員ならぬ店犬に出来るはずもない。


「どうしたもんかね」


 今更になって家事能力はあっても主に経済面での生活力は素子のおんぶにだっこだったんだなと思い知る。

 まったくもってお金様は偉大だよ。先生からもらった金は治療費に回すとしても、俺自身の生活がダメになるんじゃ元も子もないわけで。


「はぁ……って、うん?」


 何やら表が騒がしい、というかやたらと強い足音がこっちに向かってくる。

 なんだ? 別に新規オープンの広告をうったわけでもないし、持て成す環境が整ってもいない。

 客ってのはありえないだろうが……あれ? この匂いは。


「ジンドノッ!!」

「うわっ! カイル君じゃ――って、あはは、くすぐったいって」


 店に飛び込んできたのは出雲鳴の番犬ことカイル君だった。

 入って来るや否や飛び掛かってきては顔を舐められて、くすぐったいっての。


「マッタク!! レイクライイワセテクレッ!!」

「い、いやぁ、まぁなんだ? バツが悪かったと言うか、あんな姿のまま放り込んでごめんなさいと言うかだな」


 俺を押し倒して腹の上で仁王立ち、ならぬ四足立ちをしたカイル君に怒られてしまった。


「ナニヲイウカッ! アリガトウ! ジンドノッ! コノオンハゼッタイワスレズカエスゾッ!!」

「あはは。俺も仕事でやっただけだから、気にしないでくれって話なんだけど? 気持ちはありがた――」

「長野仁っ!!」

「――はい?」


 聞きなれない声がカイル君の後ろからしたと思えば。


「ようやく見つけたわっ! アンタッ! よくもわたしの邪魔をしてくれたわねっ!!」

「……えぇ?」


 そこには両手を腰に俺を見下す、出雲鳴が居た。




 さて一体どういうことだろうか。

 とりあえずと二階の真新しい俺の居住スペースへと案内して、お茶を出しては見たものの。


「上等なものじゃなくてすみません」

「……ふん。別に、期待していたわけじゃないから構わないわ」


 ソファに座った出雲鳴は出したお茶に一口つけて渋顔を作った。

 そりゃ議員の娘なんかを満足させられる茶葉なんて用意できるわけもないし、謝ってはみたもののなんだかな―という気持ちが強い。


「それで、俺に何か御用でしょうか」

「っ、そうよ! よくもわたしの邪魔をしてくれたわね長野仁っ! どう責任取ってくれるのよ!」

「オジョウ……」


 いきり立つ出雲鳴に、隣できっちりお座りの姿勢をとっていたカイル君が微妙な顔を向けているが。


 責任、ねぇ?


「仮に俺が出雲さんの何かを邪魔したのだとしても、ですが。あの時あの場で俺の仕事はあなたを家に届けることでした。そしてそう俺に仕事を任せたのはあなたの父親だ。責任を取れというのなら、まずは親と話すべきでは?」

「ち……稀人のくせに、中々真っ当なことを言うじゃない」


 あれぇ? 出雲鳴って稀人の社会進出を後押ししようとしている人間だよなぁ? この態度とのギャップが酷すぎるぞ?


「モウシワケナイ、ジンドノ」

「あぁ、うん、カイル君は気にしないでいいよ」


 思わずといったように頭を下げてくるカイル君に癒されるよね。


「しょうがない、撤回するわ。勢いで押せると思っていたこと、謝ってあげる」

「これっぽっちも謝られている感じがしないんですけどそれは」

「これでフラットよ! さぁ、わたしの話を聞いてもらうわっ!」

「はぁ」


 まったくもって意味が分からないから腹の立ちようもないよなって。

 しっかし見た目はお清楚なお嬢様って感じのくせにめちゃくちゃ口悪いなこいつ。


 ……いかんいかん。

 俺みたいな木っ端を簡単にどうにかできる相手には違いないんだ。気を付けよう。


「単刀直入に言うわ。わたしに買われて飼われなさい」

「俺は別にヒト待ち少女を生業にしていませんが。見ての通りただのドッグカフェの店員でありオーナーです」

「しらばっくれなくていい。あなたの情報は買ったから」

「へぇ?」


 情報を買った、ねぇ?

 こんなでも黒雨会をバックに持てた俺だ、当然ある程度以上に情報は守られている。


「もちろん、と言うべきかしら? タカミ、っていう可愛い女の子からよ」

「……はぁ」


 なんてこったい誰に俺を売ってんだよ先生ってばさ。しかも女だと思われてるぞ。

 けど、何の意味もなくこの場をセッティングする人じゃない、話を聞くべきか。


「聞いているわ。長野素子、あなたのお姉さん、入院しているんだって? その上治療費の工面にも困っているらしいじゃな――う、ぁ」

「……あまり、他人の心に土足で踏み込むべきではありませんね? それがあなたの仕事なのでしたら……排除せざるを得ませんが」

「ジンドノッ!?」

「っと、すみません。失礼しました、怯えさせるつもりはありませんでした」


 カイル君に感謝、だな。

 思わず言葉に力が入ってしまった。

 目でカイル君にもごめんと伝えてみれば、こちらこそ申し訳ないといった感じに首を横に振られたけど……人間みたいな反応するね? いや、まぁいい。


「……ごめん、なさい」

「え?」

「触れられて嫌な場所くらい、稀人にだってあるわよね。わたしが悪かったわ、ごめんなさい」


 これは驚いた。

 多くの人間と同じように、じゃあないけれど、こうも素直に謝られるとは思ってなかったな。

 あるいは、こういった部分を持っているからこそ稀人の社会進出をなんて言えるのかもしれないが。


「ふぅ。いえ、こちらこそ改めてすみません。ではお話を聞かせてもらいます」

「ありがとう。それで、そう……うん。失礼をしておいて、だけど単刀直入に言うわ、あなたのお姉さんの治療費をわたしが面倒みるわ。その代わりにわたしの助手になって欲しいの」


 ……うーん。

 何をバカなって反射的に言いそうになったけども。

 素子の治療費を工面してくれるってのはもの凄くありがたい話だ。


「もちろん、長野素子が入院している病院に関しても世話をする用意がある。今の病院じゃ行き届かないことも多いし。出雲の息がかかっているところなら多くの意味で安心できると思うわ」


 黙っている俺に対して更に好条件らしきものを提示してくる。

 なるほどね、勢いで誤魔化そうとしたっていうのは本音の部分だったのかもしれない。

 話の主導権と決定権を握っているのは俺だ、今更になって実感した。


「俺があなたの助手になる、というのは? 確かに俺は探偵となります。であればそんな形にせずとも、普通に依頼として俺に持ってくればいい話だと思いますが」

「……これは嫌味でもなんでもなく言うけれど。やっぱりまだあなたは探偵じゃないのね、少しでも前向きに考えようとしてくれるなんて思ってなかったわ」

「駆け出しにすらなっていないのは認めるところですが」

「ううん、ありがたいわ。知っているかもしれないけれど、わたしは非治安区域に入るための方法を探している……いえ、正しくはどこかの非治安区域にいるだろう人を探しているのよ。でも、こんなことに協力してくれたり、仕事として引き受けてくれる人間の探偵はいないわ、裏社会にどっぷり入る必要があるし、なおさらね」


 その通り、なんだろう。

 多分実際に頼んで回ったんだろうな、言葉端に徒労に終わったなんて感情が匂う。


「あなたの指示に従って調査を行っているという構図にしたい、と」

「その通りよ」

「その、俺にはあまり想像できない話なのですが、大丈夫なんですか? あなたは議員の娘で、しかも父親よりもテレビだなんだに出ている有名人なのに」

「出雲の名前なんてどうでもいい、とまでは言わないけど。優先順位の問題ね、これは。わたしは、彼に会わないと前にも後ろにも進めない」


 他の何を置いても先に非治安区域にいるらしい存在を探す、か。

 覚悟、あるいは執念みたいな何かを感じるけど……この匂いはそれだけじゃなさそうだ。


「どう、かしら?」

「……少し、お待ちを」


 どうするか。

 出雲鳴は追い詰められていると言ってもいいだろう。

 普通の探偵は当てにできず、自分で動こうとしてみれば裏社会に阻まれて。

 下唇を噛んで堪えているのは緊張だけじゃないだろう、無力感であったりもそうだ。


「あえて、言いましょうか」

「ええ、聞かせてもらうわ」

「あなたの言うことを聞く義理も義務もない」

「っ……わかって、いるわ」


 そうとも、確かに素子の件は魅力的だが俺にだってやることややりたいことがある。


 だから。


「そこで、です。取り引きをしましょう」

「とり、ひき?」


 そうとも、取り引きだ。

 別に心躍る言葉というわけでもないけれど、自分から持ち掛ける初めての取り引きは、これでいい。


「あなたが俺の助手になりませんか?」

「どういう、こと?」

「まだ何も始まってすらないですが、ここは表向きドッグカフェです。店員が必要なんですよね、この店の表も裏も知っているという条件が付いた」

「っ!!」


 信頼できるかどうかは別にして、頭はもの凄くいいんだろうな。

 これだけで何を言いたいのか理解されたのか、目が輝いている。


「引き受けて頂けるのであれば、非治安区域に関する情報を得られた時には優先的に教えるだけではなく、実地調査も行いましょう。素子に関する取り扱いに加えて、この条件を飲んでいただけるのなら、ですが」

「もちろんよっ!!」


 がばちょと勢いよくソファから立ち上がった出雲鳴がガッツポーズを決めて。


「ジンドノッ!!」

「ちょっ!? か、カイル君!? ま、待って――く、くすぐったい!?」


 カイル君が負けず劣らずの勢いで飛び込んできて俺の顔を舐めに舐めてきた。


 ……まぁ。

 先行きは未だに不安だけれど。

 この復讐を胸に、これからに挑んでいこう。

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