「いけず、ですわ鳴様。わたくし、もっと長野様とお話しできたらなと思っておりましたのに」
「申し訳ありません
複雑だ、ものすごく複雑だ。
少し前の自分を助走つけて思いっきり殴ってしまいたい気分でもあるけれど。
なんで社会活動なんていう時間があるのよ、お嬢様学園だからよね、知ってるわよもう。
思い付きで、というかアイツの驚き狼狽える姿が見たいなんて思うんじゃなかった。
「ですが、わたくし大いに反省いたしました」
「反省、ですか?」
「はい。稀人なんてどうせ、という考えが実にくだらないと実感いたしましたので。同時に、鳴様がどれだけ素晴らしい概念を社会に唱えられているのかとも」
理解を得たかったわけじゃないのだけれど。
でも、ある意味成功だと思っていいのかもしれないわね。
人間全員がこの子みたいにちょろ――げふん、素直に考えを改めてくれたらいいのに。
「いえ、お言葉は有難く思いますが。わたしも稀人の社会進出を訴える元を辿れば、わたしたち人間の役に立つという考えからですし、褒められたものではありませんわ」
「人間がどうやってもできないことを稀人に、でしたか。適材適所という言葉もございます……けど、長野様のお作りになるスイーツに心奪われてしまった後で言う言葉ではございませんわね」
そうだ、元々は父が言い出した適材適所という考え方、その一点だけなら確かにと納得できるものだった。
納得できるからこそ、わたしは己の存在を世間に打ち立てるため利用したのだから。
でも、そうね。
「こうしてここでアルバイトをするようになったから、ですが。物の見方というものが少し変わったように思います」
「と、言いますのは?」
「未だに差別的、あるいは人間第一主義的な言い方になってしまうのですが。稀人も人間も、本質的な部分では変わらないと見た方が、より建設的な社会や関係を築けるのではないかと思ったのです」
「まぁ……」
確かに稀人は一面において脅威だ。
人間では到底出力できない力を発揮して、扱い方を間違えればあっという間に種として上位に位置されてしまう。
かつての人間たちがそう考えても仕方ないと思えるくらいには、否定できない事実だ。
「今の社会は停滞しています。経済という面もそうですし、文化という面も同じく。カンフル剤と言う言い方が正しいのかは別としても、稀人を排するのではなく、受け止めることで社会を活気づけるための刺激としては十分すぎるほど効果を発揮できるはずです」
日本が他国に先んじる、なんて大きな目線をわたしはまだ持てないけれど。
それでも目に見えて稀人の力を活かせる仕事や、稀人の力を必要とする人間はいる。
「うふふ」
「智美さん? どうなさいました? わたし、何かおかしなことを言ってしまったかしら」
「いえ、上から目線のような言い方になってしまうのですが、鳴様は一皮剥けたなんて思ってしまいまして」
まぁ、少し思うところはあるけれど。
「智美さんのように若くしてあの有名ブランド、ロジータの代表取締役を任せられた方に言われるとは思っておりませんでした、嬉しく思います」
「もう、お止しになって下さいませ、これでも七光りは自覚しておりますわ。ですが、わたくしも鳴様の仰る通りかと存じます。そう、稀人への嫌悪感とでも言いますか、忌避する感情は根深いものがありますが、それでも鳴様であればと思ってしまったのですわ」
膝元で鼻を鳴らすカイルを撫でながら優雅に、かつ穏やかな表情をされながら言われる。
自分で言った通り嬉しく思う気持ちと、少しの罪悪感。
あるいは嫉妬、かも知れないわね。
智美が思う出雲鳴はきっと気高い人間なんだろうけど、その人物像には遥かに及ばない、挑むことが出来ないと思ってしまうほどに。
「それはそうと、鳴様?」
「あ、はい? 何でしょう?」
「不躾ではしたない質問と自覚しておりますが、その」
智美が言い淀むなんて珍しいこともあったものね、何を聞きたいのかしら。
「長野様とは、一体どういったご関係なのでしょう?」
「……はい?」
「で、ですからっ! 店長と店員、それだけのご関係とわたくしは認識してもよろしいのでしょうかと聞いているのですわっ!」
え、えぇ?
言っちゃったみたいな顔して恥ずかしそうに。
何? 何なの? え、あれぇ? と、とりあえず。
「その、わたしと店長は仕事上の関係、と言いますか。仰る通り店長と店員でしか、ありませんが」
「そ、そうなのですね! ふ、ふぅ、良かったですわ。重ねて妙な質問、失礼致しました」
「い、いえ」
良かったって何?
あれ? いやもしかしても何もないんだけど、智美ってば本当に長野仁のことを気に入っちゃった、とか?
「も、もうっ。そのような目はお止しになって下さいませ。顔から火が出てしまいそうです……」
「あ、はい」
頬を染めて、若干潤んだ瞳でアイツが行っただろう二階の方へと視線を向ける智美を見て。
「……ほんとに、失敗したなぁ」
「ど、どうされました?」
「いえ何も。ところで紅茶のお代わりは如何ですか? 手前味噌ではありますが、店長よりも上手く淹れられますよ」
「ちょ、頂戴いたしますわ」
改めて学園カリキュラムである社会活動と、自分の思い付きを後悔した。
「じー……」
「今日はいつも以上に睨まれることが多いな?」
迎えが来た智美を見送って片付けた後に二階へ向かえば何やら本を読んでいる長野仁がいた。
まぁ、そうね。
「美形を、否定はできないわね」
「は?」
素直な気持ちだ。いつだったかそう思ったことも否定できない。
「アンタ、彼女とかいるの?」
「いやさっきから急にどうした?」
「いるの? いないの?」
「いないよ」
部屋に入った時からずっと苦笑いが浮かんでいる理由、困らせてるって自覚はあるけれど。
どうにも、そうね、やっぱりコイツの雰囲気は、何処か優しくて温かいからつい、甘えてしまう。
……甘える? このわたしが? 出雲鳴が?
「だろうと思ったわ」
「男としてはプライドを傷つけられたなんて怒るべきなんだろうけども」
「流石に稀人の恋愛観なんてわからないけど。何? 好きな人とかもいないの?」
「ほんっと、慣れてくれたよな?」
認めない、認めたくない。
でも、きっとそうなのだろう、わたしは甘えているんだ、恐らくどころか、初めて。
「で、どうなのよ」
「はぁ。まぁ、そうだな。この気持ちが異性に向けるものなのか、家族に向けるものなのかはわからないけど。俺は姉である長野素子が好きだよ、愛している」
「あ、あいしてる、って」
び、びっくりした。
何を素面で急に言い出すのよコイツは。
「そう思って恥ずかしいと感じる女じゃないからな。誰に理解されずとも構わねぇけど、少なくとも俺は胸を張って言える」
「……アンタ、ほんとにわたしと同い年なの? 年齢詐称しているなら先に教えておきなさいよ」
「正真正銘18歳だよ。別に自慢するつもりはないが、そう思われるほど老け込んでしまう原因はそれなりにあったかもしれないが」
「わたしのせいって言いたいの?」
そりゃ、苦労をかけていると思わなくもないけどさ。
なんて思えば長野仁は笑って首を横に振って。
「俺に限らず稀人はこの世界で生きにくいって言いたいんだよ。老け込むっていうか、人間が経験しにくいだろうことを身で知って、何でもない幸せの価値を思い知る機会に恵まれたって話だ」
「っ……」
少し遠い目をされながら語った。
「あぁ、悪い。アンタを責めている気はこれっぽっちもないし、社会を恨んだりもしていないよ。アンタがやってることは稀人を救うと言っていいことだろうとも思うから、感謝しないといけないな。ありがとう」
「別に、感謝してもらおうと思って、やってることじゃない、し」
あぁ、もう今日は本当に失敗した。
結局自分の浅慮さを思い知っただけじゃないか、一番驚いたのは誰だって話よ。
悔しいな、コイツも智美も、きっとわたしが見えないことも見えている。どれだけ自分がまだまだ未熟なのかって思い知ってしまう。
「どうした? 大丈夫か?」
「なんでもないわよ! それより、何を読んでたの? なんだかイメージじゃないんだけど」
今の考えを深く掘り下げて行ってしまえば浮かび上がるのに時間がかかりそうだ。
だから逃げる、のは癪だけど一旦保留ということで話題を変える。
「あぁ、ちょっと狼の逸話だとか伝承だとか、そんなのをな」
「狼の逸話? 伝承? 何それ、急にどうしたの? それとも読書が趣味だったとか? 余計にイメージじゃないわね」
「一言多いんだよ出雲鳴。そういうアンタはどうなんだ」
「わたし? 自慢じゃないけど本は結構読む方よ。必要に迫られてって言う面はあるけど、それを抜きにしても嫌いじゃないわ」
嘘じゃない。
家の部屋にある本棚の裏には結構な趣味本が眠っている。
別に、他人に見せられないわけじゃないからね?
「そうなのか。あぁ、だったら何か知らないか? 狼について」
「狼について、ねぇ。うーん」
何かあったかしら?
美女と野獣なんかは違うか、そもそも狼じゃないだろうし。
「伝承とか神話とかじゃなくてもいいぞ? 何なら漫画だなんだって言うのでも構わない」
と、言われてもね。
狼というか犬が出てくる話はそれなりにあるけれど、凄い活躍をする話なんてあまりない。
あるとすれば。
「……壬生浪士組」
「みぶろうしぐみ?」
「新選組って聞いたことない? 幕末で活躍した剣客集団、のことなんだけど」
「しんせんぐみ? ばくまつ?」
あ、すっかり忘れていたけどそうだ、長野仁は共生会の出だったわね。
「ごめん。日本史……江戸時代ってわかる?」
「武士だとかーの時代だよな? 戦国時代とはまた違うのか?」
「戦国時代が終わった次の時代、とでも言うのかしらね。明治を迎えるにあたって当時に政権を握っていた徳川幕府が終わるころを幕末って言うのよ」
「へえ、そうなのか。んで? その幕末って時代に活躍した新選組ってのがどうした?」
あんまり興味なさそうね、コイツ。
戦国時代を知っているならって思うけど、まぁいいわ。
「新選組と呼ばれる前は、壬生浪士組って呼ばれていたのよ。浪士っていう部分をもじって狼、壬生の狼なんて表現をされることがあるわ」
「はー……みぶろ、か。剣客集団なんだろ? 格好いいな!」
う、目を輝かせないで? さっきとのギャップが酷いわ、やめて?
っていうか本当に格好いいと思ってるのね、尻尾をブンブン振っちゃってまぁかわ――げふん。
「えぇと、興味、ある?」
「そうだな! 最近ずっと小難しいヤツばっか読んでたし! 興味あるぞ!」
「……む、むむぅ」
別に貸してあげることに抵抗は、無いんだけれども。
手持ちが、なぁ……ま、まぁコイツならそういうのに興味はないだろうし、知らないだろうし、大丈夫、よね?
「わ、わかったわ。じゃあ、週末にでも持ってきてあげる」
「本当か! ありがとう!」
えぇい! どうにでもなぁれってものよ!!