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3.-③

   *


 その朝彼は、自分がいつもより早く目が覚めたことに気付いた。そしてどうしてこんな時間に目が覚めたのだろう、と思った。まだ周囲は暗いのだ。別に自然が呼んでいるという訳でもない。

 何だろう、と思いながら、夜具の中の暖まった空気を逃さない程度に彼はもぞもぞと位置を動かし、辺りの様子を伺う。

 そしてふと、窓の方へ視線を動かすと、誰かが防寒具を羽織ったまま、窓際に座っているのが見えた。誰だろう、と彼は思って、目をこする。

 中と外との気温差で生まれた水蒸気すら、外の冷たさに凍り付いている。その凍り付いた窓の一部分がこすりとられ、窓際の誰かは、外を眺めていた。

 何をしているのだろう、と思いながら彼はしばらくその様子をじっと見つめていた。するとふと、胸にぐっと力が込められるのを感じる。寒いじゃないか、と知った声が小さくつぶやく。

 起きたのか、と聞こえるか聞こえないか位の声で彼が問いかけると、相棒はオマエが勝手に動くから覚めちまったじゃないか、と悪態をつく。


「またミョーな夢でも見たんかい?」


 夢の話は、BPも以前この相棒にしたことがあった。相手のばかり聞いて、自分のそれも答えないのは不公平ではないか、と考えたのである。リタリットはそれについてはふうん、とうなづいただけだった。それがよくあることだ、という意味だったのか、それだけなのか、という意味なのかは、BPもよくは判らなかった。

 だが今はその夢ではなかったので、いや、と彼は声を立て、窓際に首をしゃくった。何なに、とリタリットはもぞもぞと彼の上から窓の方を見る。


「ああ」


 納得した様にリタリットはうなづいた。


「何だよ」

「……見に行く?」


 珍しいことがあるものだな、とBPは思った。だがこの寝汚い程よく眠る男がこんなことを言うのは珍しいので、ああ、と彼はうなづいた。いつもだったら、とにかく時間ぎりぎりまで眠りこけ、そのために彼を離そうとしないのが普通なのだ。

 彼らは音をさせない様にベッドの下段から這い出し、夜具の上に掛けていた防寒具を引きずり出すと、羽織りながらゆっくりとまだ暗い室内を横切った。


「よぉ」


 白い息が、外の照明に光る。短く刈り込んだ頭に、帽子をかぶったヘッドがそこには居た。よく見ると、その相棒のビッグアイズも一緒に窓の外を見ていた。


「何かあるのか?」


 BPはどちらにとも取れる調子で訊ねた。反応したのはビッグアイズだった。普段そう見ない、半分だけ開けた様な目と、弓なりに逸らした唇を向けると、彼に向かって窓の外を指した。BPとリタリットは黙ってその指された方向に身体を向けた。


「何だ?」


 凍った窓ガラスの向こう側には、煌々と光る常夜灯の下に、くくりつけられた幾人かの人間の姿があった。しかも、その身体には、防寒具は無い。


「『暁の祈り』だ」


 ヘッドは小さく答える。BPはその声の方を向く。


「お前が来てから初めてだが、隣の棟で脱走者が出た」

「脱走者?」

「考えられないことじゃないだろう?」


 ビッグアイズが付け足す様に言う。


「この流刑惑星で、お前『刑期』を聞いたことがあるか?」


 そういえば。言われてみて改めて彼はその存在に気付く。いや、考えなかった訳ではない。ただ、誰もそれを口にしないところを見ると、それはいつか何処かからもたらされるものなのか、と曖昧に考えていたのである。


「聞いたことないのは当然だ」


 ヘッドはそんな彼の考えにはお構いなしに続ける。


「そんなものは無いのさ。ここには」

「無い?」

「馬鹿かオマエ」


 相棒は容赦なく、何を今更、という様に彼をのぞき込んだ。


「ノー天気だよなあ。今までほんっとうに考えなかったのかよ。マジ馬鹿違う?」

「そう馬鹿馬鹿言わん方がいいぞリタ。お前につきあっているくらいだ。だが実際そうだ。ここに『刑期』なんて無いんだぞBP」


 ヘッドの細い目は、鋭く彼を見据えた。


「無いのか?」

「無い。奴らは俺達を働かすだけ働かして、そこで死んだらそれでよしと考えている。そのための記憶抹消だ。下手に里心つかれたら困るからな。だけどだからと言って、それで全てが管理できる訳じゃない。見てみろ」


 そして再び窓の外を指し示す。


「脱走は未遂だろうが計画だろうが、見つかればあれだ」

「あれじゃ…… 凍死する」

「そう。夜半からあそこにああやってくくりつけられて、明け方の、一番冷える頃に、とうとうああだ。その時に声を立てる奴もいるらしい」

「ほら見てみろよBP」


 ビッグアイズはその中の、一番その窓から遠くに居る者を指さす。


「もうじき夜が明ける。空が明るくなってくるだろ」


 確かにそうだった。話しているうちに、明けつつある空は、次第に色を変え始めていた。静かな朝の空は、そう感じるのが不謹慎だと思うくらいに、BPの目には美しく見えた。

 だがその美しく色を変える空の中に、そのシルエットは、黒く強烈に映る。


「あの姿が、まるで天に対して祈りを捧げているようだ、と言われてるんだ」

「それで、『暁の祈り』?」

「そうだ」


 ヘッドはうなづいた。


「そして、明日の俺達の姿だ」


 それは静かな声だった。だがひどくそれは、実感をもって彼の中に響いてきた。自分達には刑期は無い。この冬の惑星から、出られる時は無いというのか。

 彼はぐ、と唇を噛んだ。


「お前だったら、どうする? BP」

「どうするって……」

「俺達は、ここに居続けるにしても、何か起こすにしても、地獄と隣り合わせだ。だから誰でも一度はああやって考える。だが連中を見くびってはいけない」

「タイミングって奴さ」


 ビッグアイズが口を挟んだ。ぱち、と音がするので見ると、手には何処から調達したのか、綺麗に磨き込まれたナイフが開かれていた。


「ビッグアイズ、それ……」


 だがそんなBPの問いかけには、相手は大きな目を物騒にひらめかせると、にやりと笑い、またぱちんと刃を閉じた。


「まだ、その時じゃあない」


 ヘッドは普段の声よりずっと低くつぶやいた。


「あんたは、『その時』がいつか来ると思っているのか?」

「わからない」


 ヘッドは即座に答えた。


「だが、それが永遠である訳は無い」

「そりゃあそーだよね。死んだらそこで終わりだし」

「リタ」

「そーじゃんよ。死んだら全部終わりなんだよ? あーんな風に、氷の棒になっちまうか、真っ赤にまみれて転がるモノになっちまうか、それはどっちでもイイけどさ」


 彼はふと、相棒に残されていた風景を思いだしていた。


「死んだら終わりだ。ヘッドあんたもそれはよぉく判ってるはずじゃない?」


 リタリットは言い切った。


「オレは死にたくないね。まだ知りたいことがあるんだ」


 それは、その光景のことなのだろうか。BPは思う。しかしそれは自分も同じだった。同じ夢が繰り返される。その中に出てくる誰かは、日々、その感覚を蘇らせてくる。

 抱きついてくる、その折れそうに華奢な身体の感触。なのに込められた指の強さ。豊かな髪が触れた時のくすぐったさ。そして…… 


「それまでは死ねないし、死にたくない。オレは絶対、帰るんだ」

「ああ」


 ヘッドはうなづく。


「それは俺も同じだ。……皆同じだ」


 気がつくと、ベッドの中で目を覚ましだした房の者達が、窓の外の光景に気付き、静かに彼らの様子を見つめていた。


「焦るなよリタ。『その時』は必ず来る。いつかは俺にも断言できないが、必ず来る。ただ、それにはタイミングが必要だ。俺達の側だけでない。何か、そうするべき時が、必ずあるはずなんだ」

「ああ全く。あまねく神々は何をしてらっしゃるやら。我らはぐれた子羊なんてさすがにお忙しくて天使様すらお寄越しにならないのですね全く。さすがです当然です。天使は今では地の上で人と絡みその光を失いその力は既に我らが星まで満たしはしない。やるせないねえ」


 BPは思わず目を大きく瞬かせていた。何をいきなり言い出すのだこの相棒は。

 また始まったよ、とビッグアイズはくく、と笑う。そして小声でBPに囁いた。


「癖なんだよ、こいつの」

「俺は知らなかったが…… 」

「お前が来てからあまりそういうことは無かったけどな、BP。こいつは元々こういう奴だ。何処で覚えたのやら」


 それで文学者なのか、とBPはようやく納得した。

 リタリットはそれから延々十分程、世界に対する怨嗟の言葉を皮肉を香辛料に多数の修辞句つきで並べ立てると、ふっと息をつき、気が済んだとばかりにこう付け加えた。


「ま、言っても詮無いことだが」


 だったら言うなよ、とは決して誰も口にはしなかった。

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