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6.-④


 お互いがお互いの料金を払って外に出ると、彼女は言った。


「ねえテルミン少佐、それでも少佐が聞いてくれるのは、とってもあたし、嬉しいのよ?」

「そう? そうだったら俺は嬉しいけど」

「局にはあたしの気の合う友達って少ないし」

「でもスタッフはたくさん居るだろ?」

「スタッフイコール友達ではないでしょ? それに、女の子だって居ることは居るけど、あたしとはいまいち話が合わないのよ」

「そういうものかなあ」

「だって軍隊だってそうじゃない? 少佐にも気の合う人合わない人っているでしょ?」


 ああ、と彼はうなづいた。


「確かにそうだね」

「そうでしょ。だから、合う人は貴重なのよ。こう例えちゃ悪いかもしれないけど、少佐は気の合う女友達に近い感覚なんだもの」


 テルミンは、予想していた答えに、苦笑しながらうなづいた。


「でも少佐、少食すぎるわよ。もっとちゃんと食べた方がいいわよ。あたしの方が絶対多く食べてたじゃない」

「うーん…… ちょっと普段が最近食欲無いから、きっと胃が縮んでるんだよ」

「そんなに少佐が食欲無くす様な相手って、どういう人なんだろうね」



 こういう人だ、とふと先日のことをテルミンは思い出す。


 そう大きくもないテーブルの斜め向こうには、あの首相の愛人の姿があった。テーブルの上には、象牙色のクロスが掛かり、花と果物がふんだんに置かれている。誰の趣味だろう、とテルミンはそのたびに思う。


「はいご苦労さま。じゃ下がってて」


 ヘラは係の者を、いつもの通り、ある程度までセットしたところで下がらせる。いちいち待ってるのは面倒だ、というのがその言であるが、それは判らなくもない。


「お前ももっと食べろよ、テルミン。最近やつれてないか?」

「そんなことないですよ」


 結局、敬語はこの程度に落ち着いていた。

 性格上の問題だ、と彼は気付いていた。別段敬意は無い。だが、自分にとって確かにヘラが特別な人間であるのは確かなのだ。そういう相手に対して、同等の口はやはり利きにくい。


「でも、食べられる時には、食べておいた方がいいんでしょうね」

「そりゃそうだ。毎日別に俺はごろごろしているだけで、毎日餓えること無く済んでる。ありがたいことだ」


 ちっともありがたくない口調で、ヘラはスープをすする。テルミンもテーブルの真ん中に置かれたスープポッドから自分の分を注ぎ、口にする。

 味は確かにいい。だが美味しいかどうかと考えるのは別だ。自分が半分毒味係でもあることは彼も知っていた。そうでなくて、どうしてこの人物をわざわざ手に入れたゲオルギイ首相が、こんな何処の馬の骨とも知れない士官を一緒に食事させておくだろう。

 それに気付いた時、昼の食事に美味しさを求めることを自分の身体はやめてしまったらしい。

 そして彼はふと口にする。


「そういえば、向こうの惑星では、食料は全てアルクからの持ち込みだそうですね」

「向こう?」


 ヘラは何を言っているのだろう、という様にまだスープをすするテルミンを見た。


「ライですよ。向こうには収容所があるのは知ってますよね」

「一応な」


 ヘラは興味なさそうに、揚げた魚にとろみのついたソースのかかったものにナイフを入れる。さく、という音がテルミンの耳に届く。


「もしかしたら」


 爆弾の使い方は、慎重にしなくてはならない。


「あなたがそこに居たかもしれない訳ですしね」


 かたん、とヘラの手からナイフとフォークが一度に落ちた。テルミンはそのまま相手の表情をじっと観察する。目が大きく開かれ、しかもその視線はテルミンからは、完全に逸らしている。


「何のことだ?」

「言葉の通りですよ」


 ヘラは顔を上げた。そこには、テルミンが今まで見たことの無い様な表情があった。大きく広げられた目には、怒りとも困惑ともつかない色があった。頬から目の下にかけて、軽く赤く染まっている。彼はまた、心臓が一瞬飛び上がるのを感じた。

 だが彼は踏みとどまる。この先が肝心なのだ。言うなら今しかない。そろそろその時期なのだ。


「三年前に起きた、軍の若手士官のクーデターを覚えてます? あれは結構大きな事件だった。何せ、首府を守るべき首府警備隊の士官達が、よりによって、首府に住む市民を脅かす行動を起こしたのだから」

「だからそれがどうしたって言うんだよ」

「俺はその頃、やっぱり首府警備隊にいました。だから、わりと他よりは情報が入ってきたんですよ」

「ふん?」


 ヘラは眉を寄せる。それがどうした、と言う様に。


「だけどその時の事件に関しては、奇妙に情報量が少なくて、それが逆に俺には不思議でした。……結局俺の掴めた情報は、一つだけ。―――25人」

「……」

「ところが、実際の刑場ではそうではなかった」


 テルミンは水を一口含む。口が乾いて仕方がない。ヘラは皿にナイフを落とした時と同じ姿勢のまま、ひどく緊張している。少なくとも、テルミンにはそう見えた。彼は次第に自分の口調が変わっていくのを感じていた。


「俺はその時、銃殺の広場の警備に回されていた。それでよくあんなに並ぶよな、と思いながら、並んでいた柱の数を数えていたのだけど」


 彼は視線を移した。ヘラは手元のクロスを握りしめていた。その手は震えていた。指先が白かった。


「23本しか無かった」

「見間違いだろ」

「見間違いじゃあない。俺は人数を聞いていたから、何度も何度も数え直したんだ。何回数え直しても、23本だった。この間、友人にその時のニュースの録画を借りた。やっぱり23本だった」

「だからそれがどうしたって言うんだよ!」


 ぐっ、とヘラはクロスを強く握りしめる。その拍子に、淡い緑のガラスの水差しがテーブルからすべり落ち、ひどい音を立てて、床で水ごと弾けた。

 どうしたのですか、と外の係の者がその音に拳でノックをする。何でもない、とヘラはひどく大きく、響く声で、それに返した。


「ちょっと手を滑らせて水さしを落としたんだ! 後で呼ぶからいい!」


 気紛れな主人の行動には慣れているのか、係の者は、それ以上の追求をして来なかった。


「その動揺」


 テルミンはゆっくりと指摘する。


「どうして、そんなに動揺しているの? ヘラさん」

「動揺なんかしていない」

「そんな訳ないじゃない」

「だったら、何が言いたい、テルミン。聞いてやる。遠回しに言わず、ちゃんと言え。俺は聞く」


 テルミンは立ち上がり、ヘラの前に手を置いた。


「あなたは、その生き残りなんだ」


 証拠は、未だ不完全である。だが間違い無い、と彼は信じていた。あの屋根裏の部屋で、階下の物音が消えた頃、彼もまた支配されていた身体を自由にされた。そして服のほこりを払いながら身に付け直していた時、彼の前に、あの派遣員はぽんと一枚の折り畳んだ穴の空いた紙を投げた。


「これは、あの日の記録」


 そしてテルミンはその紙を今度は自分の胸ポケットから出した。


「25人の名前が記載されている。読み上げてみようか? A・クーリヒ、K・マンハイム……」

「よせ……」

「……H・アルンヘルム」

「止めろ!」


 テルミンは言葉を止めた。ヘラもまた腰を椅子から浮かせていた。長い巻き毛がざらりと肩から前に落ちる。


「この名簿がずっと見つからなかったんだ。だけど探そうという者も無かった。それはそうだ。無くなったことが判ると、それがまた陽の目を浴びることになるからね? アルンヘルム君」

「俺じゃない! それは俺じゃない!」

「残念ながら、誰がクーデターの犯人か、は今は限定するのが難しいんだけど、H・アルンヘルムという士官のデータを出すのは、今でも実は簡単なんだよ」

「だけどそれは俺じゃない!」

「あんただよ、ヘラさん」


 テルミンは断言した。


「フォートつきで、身長体重生年月日血液型まできちんと記したデータが、H・アルンヘルムがあんただと証言している。ヘラさんあんたは、何故ここに居る? 答えを言おうか? あんたは仲間を売ったんだ」

「……」


 ヘラは腕の力を抜いて、椅子の上に崩れ落ちた。正直言って、テルミンはこのはったりが何処まで効くだろうか、と不安があった。

 確かに彼は、アルンヘルムという人物が、ヘラだという確信はあった。あんな姿の男が、そうそう居る訳が無い。何せ、軍隊のフォートの筈なのに、あの長い巻き毛はそのままだったのだ。

 軍規に頭髪の規制は無いが、実戦を想定すると、短い方が動きやすいのが当然である。なのに、まるで飾り人形の様なあの綺麗な巻き毛は、そのままその士官のフォートにはしっかりと写っていたのである。


「そうだよ」


 かすれた声でヘラはつぶやく。


「だとしたら、どうだって言うんだ?」


 そして、半ば開き直った様に、そう彼に向かって問い返した。


「軽蔑する? 断罪する? できるもんならしてみろよ。別に仲間を売ろうが、そんなことは俺にはどうだっていい。俺はただ生き残りたかった。それだけだ。だからそうした。そして生き残って、日々の生活に脅えることない暮らしをしてる。お前それを責める訳? 俺が望んで加わった訳じゃないって言うのに!」

「望んでいた訳じゃない?」

「あんなずさんな計画の、何処に成功の余地があるって言うんだ」


 彼は言い切った。それはさすがにテルミンの予想の範囲外だったのだ。


「じゃああんたは」

「俺はただそこに居た。話は聞いていたかもしれない。だけど俺に参加する意志は全く無かった。俺はただ」


 ヘラはそこまで言って、口をつぐんだ。


「いやそんなことはどうでもいいな。俺がそこに居てしまったことが悪いって言うのが、向こうの言い分だったからな。それでテルミン、俺にそんなこと言ってどうするの? 俺は今すぐに、お前をここから追い出すこともできるんだよ?」

「あんたはそれをしないよ、ヘラさん」

「何でそう思う? えらい自信じゃないか」

「俺はあんたにとって、有用な人物だと思うよ?」

「ふん?」

「そもそもヘラさん、あんたは決して馬鹿じゃあない。あんたは今の状態が、永遠に続くなんて考えている?」

「永遠なんて知らないよ」

「だったら話は早い。あんたの現在の場所は、現在の首相閣下の指一つじゃない。確かにあんたは今、どうしようもない程のお気に入りだ。でもそれは、気紛れで終わるものかもしれない。ずっとそのお気に入り状態が続いたとしても、もの凄く彼の運が良くて、そのまま彼が老衰するまで首相を続けられたとしてみてよ。その時あんたはそれでもこの位置に居られる? その時あんたは幾つだ? そうでなくても、何かの馬鹿馬鹿しいクーデターや革命騒ぎが起きて、それが奇跡的に成功してしまったらどうする? その時に蜂の巣になるのは、ゲオルギイ首相だけじゃない。あんたもだ、ヘラさん」


 ヘラは椅子の上に横座りになると、足を組み、腕を組んだ。

 脈はあるはずだ、とテルミンは自分にしては珍しいくらいの熱を含んだ雄弁に、やや興奮していた。静まれ、自分。

 しばらくの間、何も言わずに、ヘラは窓の外に視線を逸らし、しばらくそのまま何も言わなかった。

 ひどく長い時間にテルミンは感じられた。だが実際にはそう大した時間ではなかった様である。ヘラは彼の方を向くと、口を開いた。


「それでお前は、俺に何をしろって言うの?」

「あんたがもう少し自由になる方法を、俺は知ってる」

「ふうん? 言ってみなよ」


 視線がひどく冷ややかになる。テルミンは背筋が思わずぞくり、とするのを感じた。


「ゲオルギイが失脚するのも駄目。ゲオルギイが死ぬまで続くのも駄目。じゃあお前は俺がどうすればいい、と思っている訳?」


 低めの声が、テルミンの耳に届き、彼の中の何かをくすぐった。言ってしまえ、とその声は彼の中で作用する。


「あんたがあの場所を取ってしまえばいい」

「馬鹿か?」


 即座にそんな答えがヘラの口から放たれた。


「俺は本気だよ、ヘラさん。あんたが自由になるには、それしかないと思う」

「H・アルンヘルムはあの時銃殺刑にされたんだよ? お前そこまで調べといて、それができると思ってる?」

「無論アルンヘルムは死んだのさ。だからヘラさんが、なればいい」

「どういうことだ」

「あんたは、新しい人間として、その場所を取るんだよ。何処の誰でもなく、ヘラという個人として」

「またクーデターを起こして? そしてまた失敗するんだよ?」

「そんな馬鹿な真似はしない」


 テルミンはきっぱりと言った。


「やるならとことんやる。失敗はしない。俺の頭と時間と知略を全部あんたにやるから、俺はあんたにそうなってもらいたい」


 ヘラは目を伏せ、しばらく左の手で、頬を幾度か撫で回した。ほんの数秒だったかもしれない。だがテルミンには数分にも感じられた。

 やがてヘラは頬から手を離し、目と口を開いた。


「つまりは、止まるも地獄、進むも地獄って訳か」


 そして、開いた目は、それまでに無い強い光をはらんで、テルミンを見据えた。


「手を貸せ、テルミン」 

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