今夜の御仕事。
アスラから同行を求められたとき、いつもよりすんなりと「仕方がないなあ」と、マヤが引き受けたのには理由がある。
ひとつは距離。車で30分ほどの湯乃川町であれば、運転も苦になる距離ではなかったこと。
もうひとつは、以前から【落ち武者塚】には関心があったからだ。この辺りでは一番有名な心霊スポットであり、この場所をモデルにしたホラー映画を鑑賞したこともある。
いつか訪れてみたいなと、正直思ってはいたのだが、人気の景勝地だけに、日中は散策路も人が多く、『立入禁止』の看板を無視して山道に入っていくのも気が引ける。
そうなると、夕暮れ時から夜にかけて、という時間帯が最適ではあるけれど、薄ぐら闇のなか、この心霊スポットをひとりで訪れる勇気がマヤにはなかった。いつか同好会の仲間たちと~などと思っているうちに、大学も卒業してしまった。
一度、いっしょに行かないかと、両親を誘ってみたものの、先祖代々、仏具店を生業にしているわりに、両親は心霊ネタに滅法弱く、
「お、お、落ち武者塚?! そんな恐ろしいところには行かれない。あそこは出る。絶対に憑かれるよ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
震えながら経を唱えはじめる姿を見て、それ以来誘ったことがない。
それもあって、アスラから今回の件を聞いたとき。少なからず思ってしまったのだ。
──大黒様の打出の小槌が行方不明
──小槌の反応があったのは心霊スポット【落ち武者塚】
──なにそれ、ちょっと面白そうじゃない?
大黒様の打出の小槌を失くしてしまい、閻魔庁をあげて大捜索しているというのに──アスラがいれば、怖い思いもしなくて済みそうだから丁度いいと、不純な動機で同行したから、罰が当たったに違いない。
「ヤバイ──なんてもんじゃねえな」
アスラがそんなことを云うのを、はじめて聞いた。
そっと後ろを振り返ったマヤは、漆黒の闇夜を見つめる。
ここから、ひとりで山道を戻るなんて、絶対にムリだ。怖すぎる。
洋画ホラーは一人で鑑賞できるけど、邦画ホラーは大人数での鑑賞が必須のマヤである。
こんなことなら付いてくるんじゃなかった──
あとの祭りもいいところで泣けてきた。
「そろそろ、行ってみるか。マヤ、離れるなよ」
いよいよとなったとき、恐怖からか自然とアスラのスーツの裾を握りしめると、わずかばかり鬼の纏う空気が和らいだ。
「どうした? さすがに怖いか?」
「そりゃあね……この雰囲気がさあ。いかにもって感じで、祟られたらどうしよう」
本気で怖がるマヤを背にして、鬼が嗤う。
「それはねえな。マヤを祟りやがったら、首無しだろうが、落ち武者だろうが、俺が奈落の底の底に沈めてやる」
辻風が吹いたのはその時だった。
地表の落葉が舞い上がった瞬間、アスラの左手が鬼道を放っていた。
青白い焔を避けるように渦を巻いた辻風は、落葉といっしょに、近場のカエデの木の幹を駆け上がっていく。風がやみ、枝葉が揺れてハラハラと舞い落ちる落葉。
カエデの大木を睨み上げたアスラの瞳は、いつの間にか
「てめえ、何しにきやがった」
声はいつも以上に、低く冷たい。
不穏な気配をビシバシ漂わせながらも、アスラから話しかけたのをみると、知らない間柄ではなさそうだが、仲はよろしくないと思われる。
暗闇に目を凝らしたマヤは、地上数メートルの高さの枝に、獣のように光る一対の緑眼を見つけた。
「相変わらず、危ない鬼だな。挨拶ぐらいさせろ。あっ、お嬢さん、こんばんは」
アスラよりは少し高い声。夜の闇によくとおる美声だった。
枝が軽くしなる音がしたと思ったら、
「驚かせて、ごめんな」
マヤの目の前には、黒と見間違いそうな濃紺の長髪に金メッシュ。目立ちすぎる明るい緑眼を持つ、ちょっとチャラい系のスーツ男がいた。
閻魔庁の者です、といわんばかりに、アスラと同じ黒スーツを着ているが、『黄泉比良坂所』の職員が白シャツであるのに対して、チャラ男が着ているのは、とんでもなくドギツイ青だった。
しかし例のごとく、このチャラ男も人ならざる者なのだろう。いかんせん、顔はすこぶる良かった。長身で手足の長いスタイルは言わずもがな。
このドギツイ青を違和感なく着こなしているのが、嫌味にしか見えない
当然、マヤの当たりはアスラ同様、強くなる。緑眼のイケ鬼を無視して、となりの鬼課長に訊ねた。
「アスラ、こちらは、どちら様?
「ありえねえ。
やっぱり鬼だったか……
マヤに無視された鬼野郎は、ドギツイ青にも負けない鮮やかな緑眼をパチパチとさせて、「あれ?」と首をかしげてみせる。
「俺、幽世でも現世でも、女の子たちにかなり人気があるのにな。
鬼ってヤツは、どいつもこいつも、こうなのか。呆れるほどに自意識過剰だ。
マヤの呆れ顔に気づかない夜叉系の勘違い鬼野郎は、さらに──
「キミ、めずらしいな。コイツ、怒った顔ばっかりしているだろ。たいして気も利かないし、人遣いも荒そうだ」
そこは合っていると、頷いたマヤは阿修羅と夜叉を前に告げた。
「わたし、そもそもの話が、鬼系タイプじゃないから。鬼は鬼でも、好きなのは圧倒的に吸血鬼。ドラキュラ伯爵最高!」
ブラム・ストーカー原作、ホラー映画の傑作『吸血鬼ドラキュラ』の大ファンであるマヤの言葉に、「マジか」と夜叉。そのとなりでアスラも「嘘だろ…」とショックで固まった。