帝釈との戦闘が終わった。氷の結晶がゆっくりと解けおちる中、俺たちはしばしその場に立ち尽くしていた。
「灰島、先にいけ。私は他のメンバーの救援に向かう」
フレイヤが背を向ける。
「必要ないだろうがな。みんな、そう簡単にはやられないだろうし」
口調はあくまで軽いが、その目には静かな決意が宿っていた。
「灰島、私が追い付くまで、無理はするなよ」
「わかってる」
俺は静かに頷くと、前を見据えた。まだ先に進まなければならない。黒磯風磨を――仲間を、連れ戻すために。
脚は重かった。帝釈との戦いで、体はすでに限界に近い。
それでも、止まるわけにはいかない。ここで立ち止まったら、すべてが無駄になる気がした。
「絶対に、連れ戻す」
自分に言い聞かせるように呟いた。
足場の悪い渓谷を、息を切らしながら駆け抜ける。
岩を蹴り、水飛沫を踏み越え、全身に痛みが走っても止まらない。
黒磯――すぐに迎えに行くぞ。
幾度も転びそうになりながら、湿った岩肌をよじ登る。
最後の岩壁を乗り越えた瞬間、視界が開けた。
目の前に広がる高台――その中央に、立っていた。
そして――追いついた。
そこには黒磯だけではなかった。
その異様な光景に、俺はほんの一瞬、足を止めた。
風に吹かれて揺れる髪。砂の上に残された足跡。
それは確かに――“味方”だったはずの二人のものだった。
「……水上?」
目を疑う。
拘束され、連れ去られたはずの彼女が、まるで何事もなかったような顔で、俺の前に立っていた。
それだけじゃない。
その腕には、俺の妹――葉奈が、眠るように抱きかかえられていた。
「葉奈……!」
駆け寄りそうになる足を、黒磯が止めた。
「よせ、灰島。これ以上近づくな」
その声は、どこか淡々としていた。
だが、ただの警告ではなかった。明確な敵意が含まれていた。
「どういうことだ、黒磯。なんで水上と一緒に……葉奈まで、どうしてここにいる」
「話せば長ぇよ」
黒磯が肩をすくめる。
「でも、今のお前にならわかるかもな。SENETってやつが、どれだけヤバい世界かってこと」
「ふざけるな……! 俺たちはここで、お前を連れ戻しに来たんだ」
「連れ戻す? どこにだよ」
黒磯が笑った。その顔には、いつか見た冷たさがあった。
「現実か? それとも、あのクソみてぇな支部か?」
俺は、言葉を詰まらせた。
そのとき、水上が一歩前に出た。彼女の顔に浮かんでいたのは、どこか申し訳なさそうな、それでもはっきりとした覚悟だった。
「灰島くん……ごめん」
「水上、お前……」
「申し訳ないけど、葉奈ちゃんはまだ返せない」
その言葉に、俺の胸が冷たくなる。
「なんで……なんでそんなことに……!」
「運命だよ」
黒磯が代わりに言った。
「俺も水上も、おまえの妹も、このゲームから抜け出すことはできねえ。この世界が――いや、宇宙が存在する限り、絶対にな」
「……!」
理解が追いつかない。だが、確かに言えるのは――
水上と黒磯は、もう戻ってこないつもりだということ。
「ふざけるな……! 葉奈は俺が現実に連れ戻す……絶対に!」
ガン・ダガーを構えた。
だが、目の前に立ちはだかる黒磯。
「悪い、灰島。俺、もう、そっち側には戻れねえわ」
その声は、まるで静かに落ちる石のように、重く響いた。
「お前の気持ちはわかる。でも、今の俺には――もっと大きな意志がある」
「それで、お前は仲間を捨てるってのか!」
叫ぶように言うと、黒磯は少しだけ目を伏せた。
「……捨てたわけじゃねぇよ。ただ、信じてるだけだ。お前が、他のやつらが、俺のいない分まで背負ってくれるってな」
その言葉の裏にある信頼が、かえって胸に突き刺さる。
「水上……行け」
「うん」
水上はそう言うと、再び葉奈を抱えて走り出した。
追おうとする足を、黒磯が止める。
「ここから先は通さねぇ。お前が俺を倒すまでな」
その背には、かつての仲間としての想いが、未練が、決意が刻まれていた。
俺はゆっくりとガン・ダガーを構える。
「だったら――止めてみろよ、黒磯」
空気が、張り詰める。
次の一瞬が、全てを決める戦いになる。そして、ここから先――誰も、もう逃げられない。