ライフルを構えるその機体には見覚えがあった。思い出すのも難しくない、つい数日前の記憶にだ。
「あん時のネオコーメン……ってこたぁ、やっぱり後つけてきやがったな。今度はだんまりじゃねぇのか?」
『最早隠す必要もなくなったのでな』
そう告げた蛇腹のような関節構造を持つ奇妙なネオコーメン式中型スチーマンは、高所から撃ち下ろしを続けるつもりは無いらしく、銃を背負い直してからガリガリと地面を削りつつ湖底まで下りてくる。
あるいは、名乗りと見ても良かったかもしれない。以前は見なかったエンブレムが、しっかりと肩の外装に浮かんでいた。
「チッ、模様付きの中でも最悪の部類かよ」
「デボス加工された薔薇の紋様……たしか、エグランティーヌ、だっけ?」
「ああ、道理で強ぇ訳だぜ。賞金稼ぎの銀眼鏡だ」
おかげで記憶の片隅にあった、謎の既視感についても合点がいった。
サテンがどこで都市外労働者の名前持ちを調べたのかは知らないが、できれば不正解であって欲しかったと心底思う。
ダウザーでもスクラッパーでもないスチーマン乗り。鉄道会社や労働者組合と直接取引をしているというバウンティハンター兼隊商護衛。
スチーマン同士の戦闘を食い扶持とする、極めて稀なタイプだった。
『意外にも耳が広いのだなヒュージ・ブローデン。あまり労働者とは関わらないのだが』
「スカしやがってよ。お互い似たようなもんだろが、ベンジャミン・ヴィカス・モレル」
意外そうな声に腹が立つ。
写真以外でその顔を見た事がないのは事実だが、やっていることに大きな違いは無い。多少金回りは良くとも、結局は町の中に居場所のない塵芥だ。
『名乗るまでもないとは恐れ入る。だが、吾輩はどう思われようと結構。己の仕事をこなすのみなれば』
ベンジャミンがフッと笑ったように思えた次の瞬間、エグランティーヌの蛇腹のような形をした腕が、胴体の周りを回転し始める。
それは徐々に加速して、まるで機体を算盤の玉で包むような格好を作り出した。
「なん……っだぁ!? っとぁ!?」
形もそのまま、体当たりしてきたエグランティーヌを反射的に転がり躱す。
するとオールドディガーの代わりに直撃した岩が、ガリガリと音を立てて削り取られるのが見えた。
「や、野郎、訳わかんねぇ動きしやがってェ!」
『ハハハどうした!? キミは接近戦を得意としているんだろう。吾輩は一向に拒まんぞ!』
駒のように腕を回転させながら、ベンジャミンは高らかに笑う。
まるでコマだ。地形や岩を削り取ってもなお、ほとんど揺らぐことなく方向を変えて追いかけてくる。その上機動力が落ちた様子もないあたり、逃げる避けるだけではジリ貧だ。
ならば、やることは1つ。
「くっそ、その手に乗るかよォ! って、はぁ!?」
リボルビングバスをぶちこむまでは良かったが、スチーマンの外装を穴だらけにできるはずの散弾は、派手な火花と共に弾かれる。
まるでかち合ったベーゴマだ。損傷したようには全く見えず、俺はギョッとしなければならなかった。
「あ、ありゃ腕だろ!? 何でできてんだよ!」
「特殊掘削用の装置を武器に転用してる……?」
『驚いたかね!? このグラインドロンヴスは超々硬合金製の刃を高速回転させているものだ! 散弾程度で抜けられると思うなよ! さぁどうする!』
苛立ちが募る。
反撃に殴りかかってみても、それは実質接近してくるエグランティーヌから少しでも距離をとるための逃げに過ぎない。しかもその度にナックルプロテクターは確実に削られていた。
リボルビングバスを連続で撃ち込めば或いは。そう思いはすれども、こちらを削り取ろうと接近してくる敵機から大きく逃れる術もない。
「ガァァァ! イライラさせやがる! どうすりゃいいんだ!?」
「ヒュージ君! 左アンカー、地面に!」
「んぁ!? お、おう!」
頭が加熱していたからだろうか。反射的にサテンの言う通り、火薬発射式チェーンウインチの先端構造を操作するスナップスイッチをフックからアンカーへと切り替え、狙いもつけずに左手のトリガーを叩いた。
発射音とほぼ同時に、ガチンと硬い地面が砕ける。多分すぐ足元に刺さったのだろうが、探している余裕なんてない。
『ほぉ?』
「チェーン操作貰う! 緩め回転!」
「俺は何すりゃいいんだ!?」
「攻撃を躱しながら、敵の周りを回って! 出来るだけ早く!」
「こう、かぁ!?」
何が何だか分からないが、言われるままに敵を跳ね返しつつ、横っ飛びにエグランティーヌの周囲を回り込む。
正直、意味があるとは思えなかったが。
『足を絡めようとは小賢しい真似を。エグランティーヌの柔軟性を舐めてもらっては困るな!』
「へぇ? そうかな?」
ウインチの派手な動作音と共に、チェーンが勢いよく引っ張られる。
ぐるりと回されたそれは、確かに敵機の足へと迫った。
『甘いな! 止めてみるがいい!』
しかし、気づかれている以上奇襲にはならず、高性能機であるエグランティーヌは大きく跳躍すると、張られる鉄鎖を綺麗に躱し。
――あ?
景色がスローに見えていた。
ひし形の回転部から外れ、宙を舞う細い脚が。
「今! 真下!」
言われるが早いか、俺はオールドディガーを突っ込ませていた。ちょうど敵の真下、ラグビーのようなタックルを、エグランティーヌの脚目掛けて。
『ぬっ!?』
「へへへ……やぁっと掴まえたぜぇ、歪なロリポップがよぉ!」
回転する切削部に、頭部の外装が軽く削られた気がした。仕方ないことだ。抱きつくような格好になってしまったのだから。
それでも、懐に潜り込めば最早こっちのものだ。パワーに物を言わせ、掴んだ脚部を持ち手のようにしながら縦に振り抜いた。
「だぁっしゃぁぁあああい!」
『ぬおあああああッ!?』
激しく土埃が舞い上がる。何せ、掘削機がぶち当たったのと変わらないのだ。
本来の用途かどうかは知らないが、叩きつけるような運用は流石に想定されていなかったのだろう。回転機構は急激な圧力に負けて止まり、硬い地面にぶつけられた腕も菱形を維持出来なくなっていた。
それでも、俺は小さく舌を打つ。
『ぐ……ハ、ハハ、やはりできるな』
「チッ、柔軟な上にいい腕した野郎だぜ。全力でぶん投げたのに、平然と立ち上がりやがって」
ゆらりと姿勢を起こしたエグランティーヌは、背面からハンマーを引き抜くと静かに構えてみせる。
戦闘職の奴と殴り合うのは初めてだが、本当に大した根性だ。
「でも、今ので回転稼働部は損傷したはず。もうあの攻撃はできないでしょ」
『だとして、勝ったつもり、かね?』
「あぁん? だったらなんだって――」
言いかけた所で、機体が揺れた。
衝撃自体は大したことがない。しかし、とてもとても嫌な揺れ方。
「今の……?」
サテンが不思議そうな声を出した途端、オールドディガーがゆっくりと沈み込む
「……おい、おいおいおいおい!? どうなって――げぇ!?」
揺れながら落ち込む圧力計の針。モニターの片隅に映りこんだ白い蒸気。
あの位置なら腰の後ろを走っている主缶蒸気管だろう。派手な圧力降下で安全装置が働いて、オールドディガーは勝手にしゃがむ姿勢を取ろうとしている。
『見事な隙の作り方でした、ベンジャミン氏』
『不甲斐ない姿を見せました。貴女の手を煩わせるとは』
背後から聞こえてきた感情の乗らない女の声に、ベンジャミンが恭しく応じる。
その一方でこちらの機体は膝をつき、静かになったところで、俺はゆっくりと背後を振り返るしかなかった。ちょうど足元を覗き込んでいたサテンとも目が合う。
「もしかしてこれ結構、いやかなりピンチだったりする?」
「……するかも、なぁ?」