僕は、大学を辞めないよう説得するために生寄を家に呼んでいる。
本当はもう少し時間をかけてゆっくりと説得したいのだが、生憎うちの大学のキャンパス祭は9月の上旬。
退学の処理が半期ごとであるうちの大学では、もう殆ど時間がない。
なので、説得の準備に時間をかけている暇はない。
大して信用してないけど、青い鳥やミンスタでも激重系の女性の対処法や、どうすればいいかなどを調べてみた。
ここで得た知識は最終手段としよう。
どれだけ前準備をしたって、生寄を説得できるかは分からない。
「ふぅ……」
少し緊張してきた。
だけど、大丈夫だ。大丈夫なはずだ。
予定通りに進めば生寄は説得できる。
そうだ、大丈夫だ。
♢♢♢
ピンポーン
少しして、家のチャイムが鳴る。
決めた時間と1分1秒違わずピッタリで―――それだけのことでも、今の僕は少し怖く感じてしまう。
扉の覗き穴から見ると、案の定生寄だったため中に入ってもらう。
前回と同じように、丸テーブルに座ってもらい、飲み物を用意する。
僕も生寄の前に座り、生寄に目を合わせる。
彼女の人生を決めるかもしれない説得。
これは大袈裟でもなんでもないだろう。
口を開こうとしたとき、僕の中の何かが僕に問いかけてくる。
―――なんで僕は、こんなことをしているんだ?
何かは言葉を続ける。
―――ちょっと前まで、好きな人と付き合えて、楽しくて……なのに、なんで今は人の人生に関わる説得をしているんだ?
―――お前が他人の人生を背負う必要なんてないだろ?
僕に問いかけてくるなにか。
そのセリフに、僕は逃げたくなる。
だけど、逃げるわけにはいかない。
だって―――
―――必要なくても僕は背負う。だって僕は彼女が好きだから。
大丈夫だ、いける。
僕は、重い口を開き―――
「あのさ、生寄」
話を切り出した。
何度も考えて、シュミレートした手順だ。
落ち着けば大丈夫、絶対に失敗しない。
「大学を辞めないでくれないか?」
生寄を説得するのは簡単じゃないと思う。
だけど、僕は生寄が好きだから。
僕のせいで、生寄の人生を壊したくない。
だから―――
「うん、わかった。じゃあ退学届は撤回してもらうね」
「……えっ」
今、分かったって……
「どうしたの?」
「い、いや。別に、何でもない……」
なんか、もっと大変だと思っていた。
自意識過剰かもしれないけど、「ワタシはアナタに尽くすために大学を辞める」とか言われて難航すると思っていた。
しかし、説得してみれば拍子抜けもいいところ。
たとえ拍子抜けでも、生寄が退学を撤回してくれるなら口を挟むべきではない。
「じゃあ、スマホから消した他の人たちの連絡先も戻してくれないか?」
「うん、いいよ」
本当に終わってしまった。
長丁場を予想していた僕としては拍子抜けもいいところ。
しかし、ここまで素直だと少し不安にもなる。
まあ、単純に頭が冷えたんだろう。
だけど……
「なんでここまで……」
呆気なく用事が終わった僕は、油断していたのか少し大きい声で呟いてしまう。
「なんでって。言ったでしょ? アナタに尽くすって。アナタが言うってことはアナタに利益があることだと思うの。なら、ワタシはそれに従っていればいいじゃない」
「…………」
「それにね。アナタが望むってことはそれが最善手だと思うの。ワタシに友達と仲良くしなさいって言った時もそう。アナタのお陰でワタシは生きていける。アナタはワタシの一部。カラダの一部なの。ワタシにはアナタがいればいい。アナタとずうっと一緒―――」
僕の何かが叫ぶ。
「逃げろ」と。
でも、僕は目の前の生寄が怖くて動けない。
僕は、何かに呑まれていく気がした。
必死に抗う。
だけど逃れられない。
何かに完全に飲まれる。
瞬間、僕は彼女に恐怖を抱く。
好意とは、恋心とは、愛とは
―――こうも人を変えてしまうものなのかと。
それは、心の奥底で僕が思っていたことで―――必死に封じ込めていた考えだった。
そして、僕は辿り着く。
一生後悔するであろう決断に。
最悪の逃げの決断に。
普段だったら決して発さないであろう言葉を発してしまう。
「こんなの、僕が好きになった生寄じゃない」
全てを壊す、一言を。