電子タバコの水粒子が主な成分の人工煙が部屋にくゆっていた。
ぼんやりと祥無と深羽がパズルであそんでいるのを悠真が椅子に座って眺め
ていた。
時々、二人がこちらに目をやって微笑む。
一緒にやろうと誘われたが、十分で止めていた。
森などの草花と街の風景のジグソーパズルだが、ピースが多すぎて面倒くさ
くなったのだ。
深羽には呆れられたが。
彼女は自分の小型ビジョンで音楽を流していた。
古い日本の歌手で、Saluyというはるか昔の女性が歌う曲がお気に入り
のようで暇があれば延々と聴いている。
まるで異界にでもいるかのような劇的に変わった生活に、悠真は内心、戸惑
ってもいた。
全ての人間関係も社会生活も捨てたような孤独な生活から、一挙に安心感を
与えてくれる温かみのある日々。
夢か。
煙を吐きつつ、燈霞病という致死律百パーセントの病気が末期の悠真は自嘲
してみる。
インターフォンが鳴った。
時間は午後二時丁度。
悠真はすぐに脳を燈霞にリンクさせる。
「問題ないですよ。ちなみにイマジロイドの方です」
祥無が何気ないといった気楽な声を投げてきた。
悠真は一応、普段通りの装備を身に着けているので、ジャケットを羽織り、
そのまま玄関にでた。
扉を開けて目に入った人物は、女性だった。
涼し気な民族系の服を来た細いオレンジ色をした髪の長い、少女と言ってい
い人物だった。
「はじめまして。宵(よい)というものです。少々、悠真さんにお話しがある
のですが?」
「へぇ」
ちらりと、祥無を見ると深羽とパズルに夢中といった様子である。
「ちょっと、出るか」
悠真は相手がうなづくと、暑苦しいアパートの外の路地を歩きだした。
「その辺の公園で良いです」
言いつつ、彼女は先導してゆく。
近くの公園まで歩いて十五分はかかる。
二人は重苦しい雰囲気にもなることなく、人影もない樹木で囲まれた場所に
ついた。
ベンチに座ると、微風が葉を揺らして互いに擦れる音が頭上で鳴っている。
「さてと。まず燈霞の話です」
宵は、隣の悠真に視線をやらず、真っすぐ前を向いていきなり喋りだす。
電子タバコを咥え、悠真はリラックスした様子で、前かがみになった。
あえて相手が何者かは尋ねず、喋るままにしておく。
「内部で抗争が起こっています。深羽奪還派と追放派で」
「ほー。どっちにしろ、放っておく気はないんだろう?」
「ありませんね。それどころか、深羽は危険です」
「危険?」
つい、聞き返す。
「実は、燈霞も脅威に思っている勢力がいるのですが、燈霞は万が一が起こっ
たときには全人類を道連れにするつもりです。そして、深羽は、古代から現在
のあらゆる人の怨念を一身に封じられている身体です。こちらも何かがあった
なら大変なことになるでしょう」
「……それで?」
「あなたはもすぐ死にます。それに、燈霞や第三勢力に対抗できるほどの人物
でもありません。まるで象と蟻のようなものです。おとなしく、深羽を燈霞に
引き渡すべきです」
悠真は嗤った。
「……知らんよ。まぁ、情報はありがたいがね。大体、こっちはこっちの事情
で動いてるもんでな」
「伊瑠コミュニティですか。まぁ、伝えることは伝えました。有益に使ってく
ださい」
宵は立ち上がり、背を見せた。
「ああ、言い忘れてましたが、公安があなたを狙ってますよ」
肩口に言うと、路地に消えて行った。
電子タバコの煙が立ち上っては、風に消えてゆく。成分には燈霞病の治療薬
をいれているものだった。
死ぬことなんてわかりきってる。
面倒くさい話ばかりである。
悠真は立ち上がって、やや猫背気味にポケットに手を入れて帰りの道を進み
だした。
いつもより、無意識に目が座っていた。
気が付けば、道に迷っているらしい。
訝しげながら、頭のマッピング機能を使うが、反応しない。
突然、目の前に以前見た姿が現れる。
珍しく、悠真にの背中が冷えた。
両手を鉄の野太い釘で壁に打ち付けられた死体である。
ここにもか。
舌打ちしたい気分で、かすかに指先を震わせながら改めて眺めると、以前と
少し違う。
腹は裂かれてはいるが、内臓が垂れてはいない。
連続殺人鬼は、サインを残す。
目的の一つが、一種の追うものとの知的ゲームでもあるからだ。
とにかく、アパートの近くに釘打ち事件の犠牲者が出るというのは問題だ。
ただ、なぜか悠真の気分はいつの間にか幾分か晴れたものになっていた。
訳がわからない。
戸惑っていると、急に目の前が歪み、見知った道の真ん中に立っていた。
今度は舌打ちした。
もう少し、調べていたかったのだが。
「余りにも、過激すぎる!」
形を成さない、空間の中で、怒りに満ちた意思が浸透してゆく。
「何を怯えているんだ? 我々が全てを支配している。十分じゃないか」
まるで酩酊して歌うかのような陽気さが応じる。
「我々が滅んでは意味がないだろう!?」
「落ち着けよ。全てを手に入れているのは我々だよ? ニカラはそこから何を
得ることができるんだ?」
「人類のことは考えないのか!?」
「考えたさ。これが結果だ」
永遠と続けられるぶつかり合い。
だが、そこに進展も後退の余地がなかった。
燈霞が意思を持った。
その技術がありながら、何故、魂を作ることが不可能なことがあるのか。
哉藻はいつものように、自分に言い聞かせるように考える。
執務室で、別のことも考えていた。
伊瑠は、何故接触をしてこないのかと。
事態がこの状況になった以上、東久瑠との全面戦争を考えていないのだろう
か。
それとも相手にしていないのか。
とにかくも、彼はずっと連絡を待っていたのだ。
グラスにウィスキーを注いだまま、そのままぼんやりとして。
腰から下が動かない。
過去の抗争の怪我によるものだ。治療不能という。
現代科学も大したことがない。
ならば、自分が超えてやる。
自嘲の意味で、グラスを一口つける。
もう、午後八時を過ぎる。
突然、彼の眼前に浮遊ディスプレイが開いた。
そこには何の特徴もない女性の顔が映っている。
『哉藻様でいらっしゃりますね。伊瑠コミュニティの者です。お時間はよろし
いでしょうか?』
やっとか。
哉藻は内心嗤う。
「かまわんが?」
『湖守がお話をしたいと言っております』
「代わってくれ」
すぐに画面が、スーツを着て髪をなでつけた男性のものになる。
小さな微笑みをたたえた表情だ。
『久しぶりだな』
「お互い忙しいしな」
『それもそうだ』
敵対コミュニティの相手同士だというのに、旧知の友人間のような雰囲気が
あった。
「で、正直うちが深羽を狙っている件について、どうするつもりなんだ?」
いきなりだが、まるで昼食を尋ねるように斬りこまれた湖守は微笑を浮か
べ、見透かしたような目だけを向けてくる。
『建前上、手を出すな、としか言えんなぁ』
「こちらが伊瑠関連に仕掛けたら?」
『遠慮なく全面戦争だ』
向き直った湖守は、無表情だった。
「今そちらから動くきはないのか?」
ニヤリとした笑みが返ってくるだけだった。
『まぁ、楽しく殺し合いしようじゃないか。うちら極道はしょせん、そんなも
んだろう?』 哉藻はグラスを口にして笑った。
通信のディスプレイが同時に切れる。
それなら、ちょっとつついてみるか。