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24.ほとんど無い、という意味の歌い手

「これだから最近の若い子は嫌ぁねえ」

「肌にハリがなくなった大人はやだねー」

「何ですってっ」


 嫌な子、と吐き捨てるように言うと、彼ははカウンターの裏に入っていった。ガチャガチャ、とシンクにグラスを入れる音が聞こえる。


「気にかかるか?」

「まあ」

「何を聞きたい?」

「何って訳じゃないけど」

「はっきり言え。何が知りたいかはっきりしないと調べようがないじゃないか」

「あ、調べるつもり?」

「違う。調べたいのはお前」


 確かに、と安岐は思う。


「ごめん」

「何を謝る?」


 朱夏は首をかしげる。


「うん、まあ、流れ的に」

「変な奴だ」


 朱夏はすっと立ち上がった。そしてカウンターの方に向かって、大声で叫んだ。


「聞きたいことがあるんだが!」

「ちょっ、ちょっと朱夏!」

「な~に~よ~」


 手を泡だらけにしたままウェイターは出てきた。


「あらま、こっちの子だったの。いい度胸ねえ」

「すみません……」

「でも聞きたいのは安岐じゃないか。私のせいにするな」

「おやまあ」


 その様子を見ると、彼はちょっと待っててね、と言って再びカウンターの中へ引っ込んで行った。

 数分して、二人がオーダーしたものを手に、彼は再び現れた。


「まーったく。いくらウチの客が変なのばかりだって、こういう子は珍しいわよ」

「珍しいのか?」


 真顔で朱夏は訊ねた。


「珍しいわよ」


 ウェイターは自分の分も何やら持ってきたようであった。小さなテーブルの上には三つのコップが置かれる。


「で、何の話?」

「BBのことなんだけど」

「BB。何だと思ったらその話。安岐ちゃんここへ来るようになって長いけれど、そう言えば聞いたことないもんねえ」

「うん。あまり興味なかったから」

「突然興味が湧いた?」

「……うーん…… 湧かせられたというべきか」


 何のことやら、とウェイターは両手を広げる。


「それにしてもねえ。結構有名な話なんだけど、さすがにもう時間が経ちすぎてるってことかしらねえ」


 彼はため息をつく。そして、十何年くらい前かな、と話し出した。


「あんまりそれまでアマチュアのバンド・シーンがこの都市では盛んではなかったのよ。それまではね」

「へえ」


 初耳だった。


「だけとその頃、いきなりぽん、よ」


 彼は両手を上げてぱっと開く。


「にぎやかになった?」


 安岐がうながすと、ウェイターはそうそう、とうなづく。


「ポジティヴ・パンクと歌謡曲をくっつけたみたいなバンドがもうごちゃごちゃ出てきてね。もちろん中央ではもっと前からそういう流れはあったんだけど、この都市では本当、いきなりだったわ」

「へえ」

「本当に、聞いたことないの?」


 ない、と簡潔に朱夏が答えたものだから、ウェイターはああ全く、とオーバーに顔を押さえた。


「だけど、やっぱり売れるからって、同じような恰好したバンドが多くなっちゃうのよ。そうすると、もう重箱のスミつつきあい合戦よ。ここまでは皆と同じ、だけどここが他のバンドと違うのよ、って、本当にわずかな差で競り合うようになっちゃうの」

「じゃあBBってのはもともとそういうゴチャゴチャの中から出てきたの?」

「そうよ」


 どーだ、と言うようにウェイターは胸を張る。


「つまりは発想の転換よね。同じことしていちゃ絶対に前にはでられない。で、ただそういう格好して、似たような音を出すんじゃなく、もう歌謡曲すれすれのメロディに、それこそもう、放送禁止用語びしばしに乗っけたのよね」

「放送禁止用語?」

「うん? だから、強烈なんだけど、下手すると差別だの何だの、後でクレームがつきそうな言葉ってあるじゃない。でもそれを使うと強烈な印象を残すような言葉……」

「そういうのを使いまくったと」

「当初はね」

「当初は?」

「あそこは頭良かったからね。まず最初のインパクト。知られなくては意味がないからね。それでインディーズ・シーンで名を上げて、全国区で知られるようになって、メジャーへ行ったの」

「へえ……」


 ウェイターはテーブルの上のCDを指す。


「それはメジャーの四枚目よね。いきなり攻撃的になった一枚」

「攻撃的?」

「そう。それまではまだ結構『綺麗』なイメージがあったんだけどね、それを全部ぶちこわすような音や見かけになった…そうね、ターニングポイントかしら」

「……詳しいねえ……」

「だって、BBって連中につけてやったのアタシだもの」


 そう言って彼は一息つかなきゃ、とばかりにコップの中身を口にする。何のお茶なのか、ずいぶんスパイスの香りがきつい。


「ありゃ」


 世間は狭い、と安岐は思う。


「あの子達もよくここいらに来ていたしね。ほら、ここって結構いろんなバンドの連中がメンバー募集とか貼ってくのよ」

「あ、あれそうだったの」

「安岐くん! あなたの目は節穴だったの!」


 すみませ~ん、と安岐は平身低頭する。まあいいわ、と彼は肩をすくめる。


「もともとバンド名もどーでもいいって感じだったから、あの子達がまだ出られないあの店の名はどう? と持ちかけたら言ったのよあの子たち、『長すぎる』って。で、イニシャルだけちょんぎってぽん、よ」


 今度は片手だけを上げて人差し指を回す。


「へえ」

「へえって、あんたここの名前の意味知ってるの?」

「アメリカ南部の黒土地帯、特にアラバマ、ミシシッピ州あたりを指す。もしくはハーレムのような都市の黒人雑居地帯、全く違う意味では柔道や空手の有段者の『黒帯』」


 すらすら、と朱夏の口からそれだけの言葉が流れ出す。ウェイターは目を丸くする。


「違うのか?」

「柔道の黒帯じゃあないけどね」


 安岐も苦笑する。そう言えばレプリカントって知識だけは多かったな、と今更のように思い返す。

 つい忘れてしまうのだ。彼女がレプリカであるということを。いや、下手すると未だに信じていないのかもしれない。


「つまりまあ、あそこにもそれなりに深い意味がある、と言いたかった訳よ」


 ごもっともです、と安岐はうなづく。


「ところがあのFEWフュウの奴!…まあそういう口聞ける子だったから、未だ中央で生き抜いてるんでしょうねえ。全く」

「FEW」

「ヴォーカルの子よ。本名は布由フユ。ああ、もう『子』どもじゃないわね、いー加減あんた達からみりゃおじさんよ。あの頃もう、ハタチ過ぎてたものね」

「でもこの街にいないってことは、十年前にはもう中央に出ていたってことでしょう?」

「そう。メジャーデビューして二年目にぽん、とブレイクしたのよ。それがそのアルバムの一つ前かしら。売れたの」

「有言実行」

「そういう奴よ。それでも地元にはやっぱり気前良かったわ。ローカルのTVには必ず乞われれば出たし、中央のどこそこのホールよりも、自分達にはロブスターに立つ方が意味がある、とか言ってたし」

「ロブスター?」

「ゴールデン・ロブスター、『KD』にある総合体育館のことよ。そんなことも知らないんだから」


 ため息まじりに彼は言う。


「いつか見に行くって約束したのにね、結局果たされないままよ。全く。ここに来ることが出来れば、あの子達、相変わらずの人気なんだから、絶対あそこでできるのに……」

「やってほしいですか?」

「当然よ」


 ウェイターはきっぱりと言った。


「さあ昔話はおしまい。ゆっくりしてって」

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