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54.知ってたけど黙ってた

 有無を言わせぬ、とはこのことである。車の中に放り込んだのもそうであれば、車から引き出してきたのも、ここまで連れてきたのもそうだった。

 まるで、でかくなりすぎた猫を抱えるように、朱明は肩の上にHALをかつぎ上げて階上まで運んだ。

 荷物のように、仮眠室のベッドの一つの上に転がされても、HALはずっと黙っていた。聞けばいいのに、と大きな口を言ったのが嘘のようだった。いつもの減らず口も無い。かと言って逃げ出す気配もない。


「で」


 ようやく重い口を開く。


「俺に何を聞きたいの?」

「全部だ」

「全部」


 くすくす、とHALは笑って、ボンネットの上でそうしたように、ひざを抱え込んだ。


「朱明は全部全部と言うけれど、何処からの全部なんだよ? そんなあいまいな言い方されちゃ俺は答えられないよ」

「ああそうかい」

「もう一度殴る?」

「俺は無駄なことは嫌いだ」

「怒った?」

「当たり前だろ。それがどうしても必要だったって言うのか? 奴を呼ぶために」


 さすがにその言葉にはHALもやや表情を動かした。


「……ああ…… それ、安岐に聞いた?」


 ああ、と朱明はうなづく。


「そうだよ。BBの布由。彼を呼びたいんだ」

「必要なのか? 都市を開くのに」

「必要だよ」

「それだけか?」

「何それ」


 ひらりと冷たくHALは問い返す。


「何か他があるって思ってる? あいにくと、それだけだよ。どうしてそう思う?」


 そう言われると朱明は弱かった。

 明らかに、これは嫉妬なのだ。あの夏に、藍地ほど露骨に態度に現さなかったにせよ、明らかに自分の中にあった感情だった。


「じゃ言い換える」

「どうぞ」

「何で、今なんだ?」

「何でって?」

「九年…… いや十年だ」

「うん。十年だね」

「お前はずっと、知っていたんだろ? この都市を元に戻す方法は」


 HALは目を半分伏せる。


「ああ。知っていたよ。ずっと。最初から」

「最初から」


 朱明は声を荒げる。


「最初から、知っていたと言うのか? お前が、九年前、その姿で戻ってくる前から?」

「そうだよ。気付かないお前の方が馬鹿じゃないの」

「知っていて、ずっと、黙っていたって言うのか?」

「そうだよ」


 それを聞いて、朱明の中に再び怒りが湧く。


***


 思いきり張ったヘッドを叩いた時の音が好きだった。最初からその感じは変わらない。

 きっかけはもう忘れたが、その時の「その感じ」は今でも覚えている。

 友達と一緒だった。そこへあの「影」が通ったのだ。友達にはそれが見えない。

 判ってはいた。

 子供の頃、最初に母親に告げた時からたびたびそれは彼の目の前に現れ、そしてそのたび誰かが死んだ。

 十くらいの時からぷっつり見えなくなった。

 そういうものだろう、と彼は思った。実際その頃周囲で病気やけがをする人も、老いて亡くなるような歳の人も少なくなっていた。

 だから、忘れかけていたのだ。

 それがその時「居た」。それもそれまでの何よりも鮮明に。

 「影」というより、それは別の次元の生き物のように彼には見えた。それがじわじわと近付いて来て、友達の手にまとわりつこうとするのも。

 彼は友達のもう片方の手をそのたびに取っては、その影から引き離そうとした。

 すると友達は何だよ暑苦しい、と言いながらも一応その影のいる場所から離れてくれた。

 だがその時の影はしつこかった。

 子供の頃に見えていたそれは、もっとふわふわして、大気に流れてしまうようなものだった、と彼は記憶している。見えはするが、やがて消えゆくものではあった。

 だがその時のそれは、消える様子はなかった。そしていきなり膨れ上がった。

 彼は反射的にスティックを握りしめ、スネアドラムに思いきり叩き付けた。

 乾いた音が防音された窓の無い部屋中に響いた。


 何だよ朱明、いきなり、驚いたじゃんか。


 友達は肩をすくめた。

 そして影の姿はそこには無かった。

 次に影が現れたのは、それからずいぶん後だった。


「西か」


ここいらで決めないと、自分は腐ったまんまだな、とその頃朱明は思っていた。

 彼は、あるバンドに誘われていた。

 パーマネントなバンドをするか、完全なスタジオミュージシャンになるか。そろそろ決め時だ、と彼は思っていた。

 ドラム以外、音楽以外、他にできることはない。他にしたいこともなかった。

 高校は卒業したが、それだけだった。だが他に手に職があるか、と言われれば、即座に「無い」と答える。

 だから、自分にはそれしか無かった。そうなるように自分を自分で追い込んできた、とも言える。後悔はしていない。

 彼を誘ったバンドは、BBと言った。


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