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69.あいまいな感情

 だがやはりあいまいだった。


 何があいまいだったと聞かれてもきっと自分は答えられない、と布由は思うのだが、何か大切なことがすっぽり抜けているような気がするのだ。

 逆かもしれない。何かがすっぽり自分の心から抜け落ちているために、自分はHALに対してどんな感情を持っていたのか、HALが自分に本当はどんな感情だったのか、思い出せないのかもしれない。

 ただ、朱夏の言う「いなくて寂しい」はHALには無かったような気がする。


「朱夏は」

「何だ?」

「そういう風に『いなくて寂しい』相手が居るのか?」

「居る」


 彼女はきっぱりと言う。そこには迷いはない。


「それが例の安岐くん?」

「そうだ」

「向こうもそう思っているかな」


 朱夏は首を横に振る。


「それでも安岐のために、こうやってわざわざ俺を捜したんだ?」

「当然だと思うが?」

「何で」

「もう一度会いたいからだ」


 真っ直ぐすぎる答え。何となく布由は、意地悪をしてみたい衝動にかられる。


「だけど彼は君に助けられたからと言って、君に感謝するとも限らないよ。もしかしたら『川』の中の居心地が良くて、帰りたくなくなっているかもしれない」

「可能性としては否定できない。だが別にそんなことはどうだっていいんだ。感謝だって要らない」

「どうだっていい?」

「私がそうしたいからそうするんだ。そんな不確定な未来を懸念して動けなくなる、そのことの方が私にはよっぽど良くないことのように思える。だってそうじゃないか」

「まあそうだね」


 布由は苦笑する。


「ごめん朱夏。俺はちょっとばかり君の真っ直ぐさに苛立ってた」

「判らない」


 朱夏はふらふらと首を揺らす。


「布由の言うことは判らない」

「判らなくていいさ。君はまだ本当に子供と同じだから」

「だけど、子供だと言って、許されることと許されないことがあるはずだ。私は安岐と約束した。お前を呼んでくるって。そうすれば全て上手くまとまると、私も思った。だってそうだろう。都市は元に戻るし、私の中の不快な音も消える……」

「音?」

「私の中に、お前の声があるんだ」

「俺の? 何で?」

「判らない。確かにお前が必要だから、その手がかりとして入れたのだとは思う。でも不快だ。ずっとずっとずっと同じCDだけが頭の中で回り続けている状態というものが理解できるか?」

「……確かに拷問だな」


 それも自分で選んだのではなく。


「お前の声が、というのではなく、同じものが延々回っているのが嫌なんだが……これは私の第一回路に入っているから、作った奴にしか消せないんだ。でも安岐が居ると、その不快さが消えるんだ」

「消える?」


 そうだ、と朱夏はうなづいた。


「安岐だけなんだ。彼が触れているとそうなんだ。他の誰でも駄目なんだ」

「……不思議だね」


 それは確かに不思議だ、と布由は思う。


「私をずっと保護していてくれた東風でも、私を可愛がってくれた夏南子でも駄目なんだ。安岐じゃないと」

「……それは強烈だ」

「でも布由は、そういう話を私がいるたび変な顔になっている。そんなに私の話は変か?」


 布由ははっとして顔を上げる。


「そんなに変な顔してたか?」


 してた、と朱夏はうなづきながら断言する。


「別に話は変じゃないさ。ただ、お前、HALと似てるのは外見だけだなあって思ってね」

「だけど基本的に違うところないと思うんだが。私が一度消去されて、新しく始めたのは第二回路だ。第一回路は同じはずなんだ」

「でもお前の話じゃ、HALの入っているレプリカはただの容れ物ってことだろ?」

「そうだ。だけど布由、容れ物と言っても、自分と同じ姿のものに、別の性格を入れたいと思うか? 常識として」

「……まあ、不気味だろうな」


 朱夏から「常識」という単語が出るのもやや不気味ではあるが。


「そう言えば、安岐はHALに、訊ねたんだ。あの時」

「あの時?」

「私を使って、都市を元に戻すことを言った時だ。それまで何を言われても平気だったHALが、動揺した」


 それは珍しい。


「何て訊いたんだ?」

「何のために……いや、『誰のために』そうしようとしているのかって」

「誰のために?」


 朱夏はうなづいた。


「そうしたら、いきなりあの空間から追い出された」

「らしすぎる……」

「今までにもそんなことあったのか?」

「さすがに『空間』から追い出されたことはなかったけど……」

「部屋から追い出されたとかそういうことはあったのか?」

「あった」

「どういう時だ? 何か興味がある」

「それは……」


 言おうとして、布由は、気がついた。

 思い出せない。

 その部分に、完全に霧がかかっている。

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