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14-03

◇ ◇



 翌日、早朝。

 カーテンを締め切った室内なのに、和都はその明るさで目が覚めた。

 広間をぐるりと囲む障子の、廊下を挟んだ向こう側は、雨戸を開けたガラス戸と薄手のカーテンだけなので、外からの明るい光が入ってきているらしい。

 離れの広間に敷かれた二組の布団。隣の布団では眼鏡を外した仁科が、まだこんこんと眠っていた。

 仁科の寝顔を見ながら、和都は昨晩のことを思い出す。

 昨晩は本邸にある大きな広間で、繋げた大きな座卓の上にたくさんの料理が並び、それを大人子どもが大勢で囲んだ状態で夕飯を食べた。

 色んなおしゃべりと笑い声が飛び交うなかでご飯を食べるというのは、和都には殆ど初めての体験で、あたたかい気持ちになったのを覚えている。

 その後、仁科はたくさんの年配連中に捕まって囲まれ、ひたすらお酒を飲まされていた。凛子に「先に寝てたほうがいいよ」と言われ、本邸でお風呂をいただいた後は一人で離れに戻り、先に寝落ちたので後のことは分からない。

 いったい何時まで飲んでいたのだろうか。自分が寝落ちた後に離れまで戻ってきたのであれば、深夜も零時は回っているだろう。

 眠っている仁科の頭を撫でてみたが、寝息ばかりで起きる気配はない。

「……目ぇ覚めちゃったな」

 スマホで時間を確認すると、朝の五時台。しかし、太陽はもう昇っているようで随分と明るい。

 Tシャツ一枚だったので薄手のフード付きパーカーを羽織ると、和都は来る途中のサービスエリアで買ったサンダルを履いて外に出た。

 空は気持ちよく晴れていて、すでに気温が上がり始めている。神聖な境内の中だからなのか、それとも自然の多い土地というのもあるのか、空気がすぅっと澄んでいる気がした。

 すでに起きている人がいるようで、参道を箒で掃く音が鳥居のほうから聞こえる。早朝だというのに、拝殿の前には高齢と思われる人物が立ってお参りしていた。地域の人だろうか。

 ──たしかこっち、だったっけ。

 和都はふと思い立って、境内にある社務所の裏手、その雑木林の中の、奥へ入る細い参道を見つけてそちらへ足を向けた。

 昨日は夕方だったので薄暗く感じたが、早朝のためか昨日よりはいくらか明るい。木々の隙間から見える光が、キラキラと眩しくて綺麗だ。

 参道の突き当たりに小さな鳥居を見つける。と、その隣に見覚えのある白い大きな生き物がいた。

「あれ、ハク?」

〔あ、おはよーカズト〕

 顔を地面にぺたりとつけて、まるで寝そべっているように見える半透明の狛犬の頭部が、寝ぼけ眼で返事をする。

「なんか近くに居る感じしないなぁと思ったら、ずっとここにいたの?」

〔うん! やっぱりシロ様の近くが落ち着くからね〜〜〕

 シロ様、とは白狛神社で祀られている主神の名前だろうか。

 大きな欠伸をしながら顔を上げたハクの姿が、なんだか出発前に見た時と違う。首から下は前足の付け根のあたりまでしかなかったはずが、そこにしっかりと、大きな犬の前足が生えている。

 そしてそのサイズも、大型犬程度だったものが、下手すると大きな虎かライオンのような大きさだ。

「……なんか、大きくなってない?」

〔ここの神社、和都と相性がいいみたいで、いるだけでどんどんチカラが増えてく感じだよ〜。すごいねぇ〜〕

「そうなんだ……」

 確かに、仁科と波長が合うのもここの関係者であることが理由なら、この神社にいることでチカラが増えていくというのも納得だ。

 ──そういえば、ここにいる人たちは、変な感じにならないな。

 昨晩夕飯をいただいた時に集まった人たちは、近隣に住んでいる安曇家の親類だと聞いている。そのせいなのか、こちらに対して攻撃的になったり、その逆の異常に執着してくるような雰囲気がまったくない。

 波長の相性がこの神社に関係しているならば、ここで過ごしている間は余計な心配をしなくて良さそうだ。

 和都は小さな鳥居の、その奥に鎮座する小さなお社に向かって立つと、二礼二拍手一礼する。

「……おはようございます」

 そう言って笑うと、まだ眠そうなハクの、大きくなった頭を撫でてやった。





 太陽が天辺に上がる頃、すっかり室内が明るくなった離れの布団の上で、仁科がようやく身体を起こした。

 広間を囲む障子はすでに開け放されており、仁科は重たい身体を引きずるように立ち上がる。

 座卓に置いていた眼鏡を掛けて視界を少しばかりクリアにすると、拝殿側を向いたガラス戸の前に掛かるカーテンを開けた。

 ガラス戸も開けると、よく晴れた青空の下、拝殿周辺の広場で子ども達の遊んでいる声が聞こえてくる。どうやら中学生達が水鉄砲の打ち合いをしているらしく、キャーキャーと大声で騒いでいた。

 内側から殴られるような痛みのする、思考のおぼつかない頭で眺めていると、その中に高校生の和都が混じっているのを見つける。が、大して違和感がないので、仁科は小さく笑った。

「……なにしてんだ、アイツ」

 外から吹き込む風に当たりながら、仁科がその場に胡坐をかくと、離れの奥、本邸と繋がる廊下からキシキシと床板を踏む足音が聞こえてくる。様子を見に来た凛子だった。

「あ、やーっと起きた。おはよー、ヒロ兄。もうすぐお昼よ」

「おー、久々に飲まされたわ。頭いてぇ」

「だろうと思った。はい、お水」

 欠伸をしながら返す仁科に、凛子はミネラルウォーターのペットボトルを差し出す。

「さんきゅー」

 仁科はペットボトルを受け取って開けると、一気にごくごくと半分ほど飲み下した。ズキズキと痛むこめかみを押さえつつ、仁科は凛子に一応聞く。

「……あれ、何してんの」

「近所の中学生たちが、夏休みになるとよく境内であーやって遊んでるんだけど、同い年だと間違われて巻き込まれたみたいよ」

「まぁ、見た目は中学生と変わらんしな」

「んふふ、そうね」

 凛子が「お昼できたら呼びにくるね」と言って本邸の方へ戻っていくのに返事をし、仁科は再び水を喉へ流し込んだ。

 やはり和都は元々、身体を動かすほうが性に合っているタイプなのだろう。中学生に混ざって駆け回る姿は、体育祭の時のようにハツラツとしていた。

 ぼんやりと風に当たりながら外を眺めていると、座卓に置いていたスマホが鳴り始める。すぐ切れるかと思えば止まないので着信だと気付き、のそのそと四つん這いで近づいて取り上げると、表示された名前に驚きつつ、応答を押した。

「もしもーし」

〈おはようございます、春日です〉

 春日の声は、電話越しでもどこか生真面目さが滲む。

「電話なんて珍しいじゃん」

〈話した方が早そうだったので〉

「……例の件?」

〈はい〉

 夏休みに入ってすぐ、偶然学校で会う機会があった春日に、仁科家の『祟り』について、共通点でもなんでも気付いたら教えて欲しいと、家系図と一緒に託してあった。何かしら収穫があったらしい。

〈まず、末子Aが亡くなった後、次に末子Bが亡くなった場合、Aが亡くなった時のBの年齢は、必ず七歳以下になっていることがわかりました〉

「七歳以下……?」

〈先生の弟さん、雅孝さんが亡くなった時、和都は六歳。傍系の瀬川家の方が亡くなった時に雅孝さんが五歳、という感じです。ただ、和都の前に一歳で亡くなっている子どもがいるので、和都は厳密には雅孝さんの次ではないですね。ちょうど先生の従妹にあたる方です〉

「あー……そういや、立て続けに葬式あったな」

 雅孝が事故で亡くなった半年後くらいに、生まれたばかりの従妹が高熱で亡くなり、不幸ごとが続くものだ、と母親が嘆いていたのを思い出した。

「なるほどね。あの時は祟りのことは知らなかったんだよな。七歳以下で本家筋を優先って感じなのかね」

〈そうかもしれません。そして、遡れる範囲、報道等されてる範囲でそれぞれ死因を探してみましたが、八歳以上で亡くなってる方は殆ど事故死のようでした。七歳以下の場合は情報を見つけられなかったので、病気の可能性があります。見つけられた共通点はそれくらいです〉

「そうか……」

〈『七歳までは神のうち』という言葉もあるので、向こうが次のターゲットに憑ける年齢のリミットが、そこなんじゃないでしょうか〉

 昨日、凛子から同じ言葉を聞いたな、と思い出して、仁科は眉を下げる。

 雅孝の場合、自ら死に歩み寄った結果の事故だ。世間の記録にも事故として載っている。もしかしたら、本当の事故死だった者はあまりいないのかもしれない。だがその証明はきっと難しいだろう。

〈あと、一人っ子も末子の扱いのようです。例外なく、亡くなっています〉

「となると、アイツも例に漏れず、祟りの対象になるってわけか」

 それであればやはり、あの和都の中にあるという『狛犬の目』のチカラこそが、仁科家に続いている末子短命の元凶だ。

 このままでは、たとえ『鬼』を退治したとしても、和都は『祟り』によって成人を迎える前に殺される。

〈……あの〉

 考え込んでいると、電話口の向こうで春日が何やら訝しむ声を発した。

「ん、なに?」

〈後ろで和都がすげー騒いでる声がするんですが〉

 春日に言われ、境内の広場で遊んでいる和都たちの方へ視線を向ける。中学生との水鉄砲による戦いは、なかなかの熾烈を極めており、和都は離れの近くにまで追いやられて来ていた。

「あー、今ね、中学生と水鉄砲で遊んでる」

〈……何してんだ、アイツ〉

「俺は高校生を連れて来たはず、なんだけどねぇ」

 春日が電話の向こうで深くため息をつくのが聞こえる。命を脅かされているはずの当人は、何も知らずに明るく笑っているのだから無理もない。

〈資料探し、ちゃんとやってくださいよ〉

「わかってるよ。ありがとう、じゃあね」

 ちょうど電話が終わったタイミングで、和都がこちらに気付いて駆け寄って来た。

「先生、おはよ! やっと起きた!」

 Tシャツにパーカー、ハーフパンツにサンダルと、まるで中学生のような格好の和都は、海かプールにでも入ってきたのかと思うくらい、頭からまるっと濡れている。

「おはよ。何してんの、びしょ濡れじゃん」

「人数足りないから入れって言われてさ。そしたら集中攻撃してくんの。中学生、ズルくない?」

 額に滲んでいる汗か水か分からない水分を、和都がそういって手の甲で拭った。

 文句を言いつつも、随分と楽しそうに話す和都に、仁科は目を細めて笑ってから訊く。

「……楽しかった?」

「うんっ」

 ただただ無邪気に、和都が楽しそうに笑って返すのを見て、仁科はそれだけで、連れて来た甲斐はあったな、と感じた。

「身体拭いて着替えないとな。もうすぐ昼飯だってよ」

「はーい」

 そう答えて、和都が笑顔で離れの出入り口へ回る。

 タオルを用意してやるか、と仁科は重い腰を上げて立ち上がると、奥に置いた荷物の方へ足を向けた。

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