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14-05 *

 本邸で夕食をいただいた後、片付けを手伝っていた和都は、通りかかった玄関で、何やら外に出る準備をしている仁科を見かけて声を掛けた。

「あれ、先生、どこか行くの?」

「ん?」

 振り返った仁科の手にはバケツが握られており、その中には柄杓やロウソク、緑色の葉っぱが入っている。

「あー、墓参り。お前もくるか?」

「……行っていいなら」

 和都はサンダルに履き替え、バケツを持った仁科に続いて玄関を出た。

 仁科は大鳥居をくぐって境内を出ると、神社の敷地前を走る道路をしばらく山の方に向かって歩き始める。

 街灯は少ないが、月の明るい夜。

 カエルの声で騒がしい田んぼと田んぼの間のあぜ道を、転ばずにまっすぐ歩いていくと、その突き当たりにこぢんまりと墓石の並ぶ場所が見えてくる。竹林を背にした、小さな墓所のようだった。

 そこにはお寺で見たことのある四角いお墓とは少し形が違う、てっぺんの尖った墓石が並んでいる。いくつもあるうちの一つ『仁科家奥津城』と書かれた墓石の前で、仁科が立ち止まった。

「ここには安曇と仁科と、繋がりのある親類の墓しかない。……弟はここのお墓に一緒に祀られていてね」

 そう言う仁科は懐かしそうに目を細め、墓石を見つめる。

 それからきちんと墓石の掃除をし、持って来ていた緑の葉っぱ──さかきを建て、ロウソクに火をつけたら、二人並んで二礼二拍手一礼と頭を下げた。

「……お線香じゃないんだ」

 仁科に倣うまま頭を下げた和都が、顔を上げながら不思議そうに言う。

 近所のお寺にある墓地では、お花を飾り、線香をあげて手を合わせていただけだったので、気になった。

「あー、うちは神道だからね」

「へー」

 お寺と神社では少し違うのか、と和都は納得する。

「仏教だと故人は仏様になるけど、神道は神様としてお祀りするから」

「だから神社のお参りと同じなんだ」

「そういうこと」

 仁科家と縁があったのであれば、実父も神道の考え方になるのだろうか。それであれば、亡くなった実父が視えない理由も、なんだか分かったような気がする。

 幽霊は視たことがあっても、神様は視えたことがないからだ。

「お前には、視えたりするの?」

「神様?」

「うん」

 仁科に言われ、和都は目の前の墓石をジッと視つめる。

 特に何も視えない。

 いや? 墓石の後に何かある。とても大きな、何か。

 それに気付いて、和都はそれが続いているままに視線を動かすと、空を見上げる形になった。

 それは暗い夜天に向かって真っ直ぐ伸びる、一本の大きな白い柱。

「……視えた」

 小さく開いてしまう口から、ぽつりと漏らす。

 柱の表面はキラキラと光っていて、なにかが浮き上がっては引っ込んで、デコボコとしながらささやかにうごめいていた。その凹凸が人の形をしているようにも見えたが、誰が誰、という判別は難しい。

「でも、そんなに楽しくはない、かな」

「……そっか」

 神様を『柱』と数えるのは、この姿だからか、と和都はぼんやりと納得する。

 しばらく眺めていたら、すっと消えるように視えなくなった。

 見つめ過ぎたのか目が痛くて、和都は俯いて何度か瞬きを繰り返してから目を擦る。

「……さ、戻るか」

 様子を見守っていた仁科が、和都の頭を撫でた。

 持って来たものを片付け、来た道を戻っていると、田んぼと田んぼの間の一本道だったところが、何故か二手に分かれている。

「……あれ? 一本道だった、よね?」

 和都が驚いて道を指差しながら仁科を見ると、面倒臭そうな顔をして別れ道を見ていた。

「あー、やっぱり出たか」

「え、なに?」

「狐だよ。この辺の野狐やこどもは、こうやって人を化かすんだよね」

 野狐とは狐の妖怪の一種で、存在しない幻を見せたり、違う何かに化けておどかしてきたりなど、イタズラが多い。

「この道進んじゃったら、どうなるの?」

「普通に田んぼに落ちるよ。んで、それ見て狐共が笑って、おしまい」

「えぇ、どうすんのコレ。帰れないじゃん」

 慌てる和都と対照的に、仁科はさして驚きもせず、慣れた様子で持って来ていた煙草を取り出す。

「こういう時は、マッチで火をつけたり、煙草を吸ったりする。狐は本物の火が苦手だからね。そしたらそのうち元に戻るよ」

 そう言うと辺りを見回し、あぜ道の脇にあった縁石代わりと思われる大きな石に仁科が腰を下ろした。

「だからまー、しばらく休憩だな」

 それから仁科はマッチで火を起こすと、その火を咥えた煙草の先端につけて吸い始める。

 和都は仁科の吐き出す煙を見つめてから、二股になった道を振り返った。まだ道は二本のままだ。

「どんくらいで戻るの?」

「狐の気分しだいだからねぇ」

「そっかぁ」

 仕方なく、和都は座り込んだ仁科の横に立って、月明かりに照らされる田んぼを眺めた。

 水の張った田んぼに青々とした稲が、草原のように広がって、風が吹くたびにサラサラと揺れている。

 墓所の近くに来るまでは虫やカエルの鳴き声で騒がしかったのだが、この辺りは不思議と静かだった。

 人や動物の気配もなく、薄明るい夜に二人だけ取り残されているような気分になる。

「お墓参り、なんで夜なの?」

「昼間だと暑いじゃん」

「……たしかに」

 田んぼの周りは日差しを避けるものがないので、日中の暑さはすごそうだな、と和都は頷いた。

「それに、この時間帯に本邸にいると飲まされるからね。久しぶりに帰ってきたし、飲まされる覚悟はしてたけど、連日やられると流石に資料探しにならんからなぁ」

「なるほど」

 仁科が頭を掻きながら、少しうんざりしたような声で言うので、和都はくすくす笑う。昨晩はよほど飲まされていたらしい。

 ふぅっと吐き出され、舞い散っていく煙に視線を取られていると、煙草を持っているのと反対の腕が腰の辺りに伸びて来て、そのまま抱き寄せられた。

「え、ちょっと。なに?」

 向こうは石に腰かけているので、頭がちょうど自分の胸の辺りにくっつく。

 突然だったので、驚きと一緒に鼓動がグッとはやくなる。

 そういえば、今日はやることが多くて、ずっと一緒にはいたけれど、身体が触れたのは随分久しぶりに感じた。

「……心音が聞こえる」

 胸の辺りに耳を押しつけて、仁科がぽつりと呟く。

 自分でもうるさいくらいなのだ。これだけぴたりとくっついてたら、はっきりと聞こえてしまうだろう。

「そりゃあ、生きてるんで」

「うん、生きてる音だ」

 ドクドクと流れる生命の音。

 ──あぁ、そっか。

 死んだ人からは、体温の音なんてしない。

「……お前からは、ちゃんと生きてる音がする」

 居なくなった人ではなく、ちゃんと自分のことを、見ている。

 体温を、聞かれている。

 なんだか大きな犬に擦り寄られてる気分になってしまって、仁科の柔らかい癖っ毛の頭を、わしゃわしゃと両手で撫でた。

「こら、やめなさい」

 そう言って振り払うようにこちらを見上げた顔が、少しだけ嬉しそうで、ドキリとする。

 ──……かわいい。

 素直に、すとんと何かが腑に落ちるように、そう思った。

 気付いたら、そのまま自分から顔を近づけていて、仁科の口を自分の口で塞いでいて。

 しまった、と気付いてすぐに顔を離す。

 が、仁科は少し驚いたような、照れたような顔でジッとこちらを見ていた。

「……珍しい」

 言われて顔が、ギューッと耳まで赤くなるのが分かる。

 完全な無意識だった。

 口を何とか動かし、頭の中で一生懸命それらしい言葉を探す。

「今日の分を、してもらってなかった、から……」

 自分でも分かる、なんて苦しい言い訳だ。

 いつだったか、仁科が言っていた言葉の、そのままじゃないか。

 二の句が継げなくて、口が開いたまま。

 息が、胸が、苦しくなってくる。

 仁科が笑って言う。

「もっかい」

「えっ」

 腰に回されていた手が肩に伸びて、ぐっと顔を引き寄せられて。

 もう一度、唇同士が触れ合った。

「……んっ」

 わずかに開いた隙間から舌が入り込んできて、自分の舌を絡めとられる。

 煙草の香りが、じわりと口の中の唾液に混ざる。

 仁科の肩に掴まって、目を閉じて、そのまま。

 心臓を打つ音が痛いくらいに早くて、口内で動き回る湿度の高い音と合わさって、騒がしい。

 顔を上げれば簡単に逃げられるのに、自分から離れられるのに、しなかった。

 はぁ、と息を吐き出すように、唇が離れる。

 目を開けると、眼鏡の向こうで目を細めた顔が優しく笑った。

「……こっちは嫌、なんじゃなかったの?」

「──嫌だったら、自分からしない」

 答える声が震えていた。

 顔が熱くて、泣きそうだったから。

 自覚したくない感情に、心臓を思い切り殴られた気分だ。

「それは……光栄だね」

 優しい表情のまま、仁科が頭を撫でる。

 和都は口を横に結んだまま視線を逸らした。

 ふと視界の隅に、二股だったはずの道が見えたのでそちらに目を向ける。すると来た時の一本道に戻っていて、思わず声が出た。

「……あっ」

 仁科もつられてそちらを見て、戻ったか、と立ち上がり、煙草の火を消して携帯灰皿にしまう。

「さ、戻ろうか」

「うん……」

 仁科は片方の手でバケツを持つと、もう片方の手で当たり前のように和都の手を取った。

 何も言わないでいる仁科の横で、和都も黙ったまま、月明かりの下のあぜ道を並んで歩く。

 大きな手に捕まった手を、ギュッと握り返して掴まった。

 熱くなった頬を、冷ますように風が撫でていく。

 静かだった周囲が、虫やカエルの鳴く声で騒がしくなってきた。

 ようやく現実に戻ってきたような気がする。

 神社が近づくにつれ、小さな歓声が上がっていることに気付いた。何事かと思いつつ大鳥居をくぐって境内に入ると、薄闇の中、広場のほうでパチパチと爆ぜる光と煙が見える。

 昼間一緒に水鉄砲をした中学生たちが、手持ち花火をしているようだった。

「あ、花火!」

 夜になったら花火をやろう、と話していたことを思い出し、和都はするりと仁科の手を離すと、そのまま参道を駆けていく。

「おかえりー。遅いから始めちゃってるよー」

 凛子の声のする方へ向かうと、ビニールシートが敷かれており、その上にたくさんの手持ち花火が置いてあった。

「おれもやる!」

 そう言って和都は楽しそうに中学生達にまざり、花火を選び始める。

 後からゆっくり歩いてきた仁科に気付き、凛子が声を掛けた。

「遅かったね」

「狐にやられてた」

「あぁ、野狐の道か。夜だとしょっちゅう出るのよね」

 この辺りでは定番の現象なので、凛子がなるほどね、と呆れたように笑う。

 仁科は和都の方に視線を向けた。

 たくさんの中から選んだ花火に火をつけて、吹き出す火花を楽しんでいる姿は、どこにでもいる学生のそれと変わらない。

「……なぁ、凛子」

「なに?」

「お前、墓に入った人たちって、視えたことある?」

 なんとなく、墓前での和都の様子を思い出す。

 墓の後ろ、そしてそこから何故か空へ視線を移して、何かを視ていた。

 その時の瞳の色は、何度か見たことのある、綺麗な琥珀色。

「お祀りする前ならあるけど……お祀りしたら普通は視えない、かな。なんで?」

「……そうだよなぁ」

 自分もそうだ。祀られて神様になった存在を、高い霊力を持っていても視ることは出来ない。普通なら。

「何かあった?」

「あいつ、何か視えてたみたいなんだよね、先祖の墓で」

「え、もしかしてアタシより強いんじゃない?」

「まぁ、俺はその強弱を測るチカラがねぇから、よく分かんねーんだけどさ」

 明らかに、和都の霊力チカラは安曇神社に来てから強くなっている。

 この神社とは相性がいいらしい、とハクに言われたそうなので、その影響だろう。

 和都のチカラが強くなるということは、ハクもそれだけ強くなっているということ。

 ハクが強くなれば『鬼』を食ってもらえる。

 今回の資料探しで手がかりを見つけられなくても、手段が増えるので悪いことではないはずだ。

 ──本当にこのまま、強くしていっていいんだろうか。

 自分に第六感はないはずだが、なんだか嫌な予感がして、うなじの辺りがヒリつく。

 ふと気付くと、凛子が何やら真剣に、和都のほうをジィッと見つめている。

「ますますお婿さんに欲しくなっちゃうなぁ」

「だからやらねーって」

「……分かってるわよ」

 果たして和都をここに連れて来て正解だったのか、仁科は若干不安になってしまった。





「じゃあ、おやすみなさい」

「ん、おやすみ」

 境内で花火を終えた後、和都と仁科は離れに敷いてもらった布団に、それぞれ横になった。

 電気を消したものの、薄いカーテンの向こうから入り込む月明かりで室内はほんのり明るい。

 数分もしないうちに、背中を向けた隣から、スースーと寝息が聞こえ始めた。

 仁科がそっと隣を見ると、あっという間に寝落ちた和都の身体がこちらを向いている。

「……寝付きはいいんだよなぁ、コイツ」

 身体を起こし、ぐっすりと眠る和都の頬に手を伸ばして優しく触れた。薄闇の中でも、どこか安心したような寝顔がよく分かる。

 ──ホント、良くないよなぁ。

 墓に参った後、和都からあんな風にキスをされたのが、思った以上に嬉しかった。

 最初は似ているから気になって、よく倒れるから気にかけるようになって、助けられるのが自分だけだからと手を貸して……。

 見ることが叶わなかった雅孝の、未来の先の姿を見られるのではないか、と期待していた。最初はそうだと思っていた。

 だからこその、執着だ、と。

 でも、どんなに似ていても、重ねても、一緒に過ごして知れば知るほど、違うものだと思い知った。

 引っ込み思案で、自分さえいればいいと、くっついて回っていた雅孝と、和都は全く違う。

 他人と積極的に関わったり、自分に文句を言ったり、雅孝はそんなことしなかった。

 全く違う人間だと分かっても尚、和都に向ける執着は増すばかりで。

 ──いい加減、認めないとな。

 似ているからではない。

 代わりとしてではない。

 仁科はそっと和都の身体を、自分の布団のほうへ引き寄せると、再び横になる。

 それから、すやすやと眠る寝顔をじぃっと見つめた。

 手放したくない。

 どんな形になってもいい。

 彼の味方として、近くにいたい。

「……おやすみ、和都」

 呟くように言って、仁科は瞼を閉じた。

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