= =
築数十年は経つ屋敷の、奥の方へ向かう古くて長い廊下。
そこをギシギシと音を立てながら、二人の男が歩いていく。
孝文の先導についていきながら、弘孝は数年振りに帰ってきた実家を懐かしそうに眺めていた。
「久々に顔が見られてホッとしたよ」
先を歩く孝文が、どこか嬉しそうな声色で言う。
「そう?」
「こっちには全然帰ってこないしさ」
「仕方ないだろ。帰ったら即『結婚』しか言わねー親父達に、会いたかねーよ」
「あはは、それはそうだよなぁ」
ウンザリした声音で返すと、孝文は呆れつつも愉快そうに笑った。
弘孝にとって、孝文は二つ下の良き家族であり、一番の理解者である。
一番下の雅孝を、その奇異な状況から一緒に守り続けた戦友で、雅孝を
「そっちの仕事はどうよ」
「まだ親父がバリバリやってるからね。覚えるのに必死さ」
他愛なく近況を話しているうちに、仁科邸の奥にある、物置部屋を兼ねた書庫に辿り着く。
「仁科孝四郎に関する本なんて、そもそもあったのか?」
そう言いながら、弘孝は書庫の大きな洋式ドアを開けて中へと入った。物置としても使っているせいか、入り口付近には子ども用のおもちゃや、シーズンオフのものがそこかしかに雑然と積まれている。
「昔、兄貴がここに籠ってた時、開かなかった金庫あったろ」
「あー、あったね」
雅孝の死が仁科家に代々続く『祟り』によるものだと知り、納得がいかない、と弘孝は大学を休学して、この書庫に引きこもっていた時期があった。仁科家に関する書物や安曇神社についても散々調べたが、祟りの理由も、それを解く方法も、当時は結局分からずじまい。
金庫はその頃にヒントがあるのでは、と一度開けようとしたもののかなわず、気がかりだったはずが、仕事に没頭するうちに、いつの間にか忘れてしまっていた。
「あれから俺も、なんとなーく金庫の中は気になっててさ。あの時は兄貴を引き摺り出すのに精一杯だったから、放置してたんだけど」
「……あん時は悪かったよ。電話で言ってた気になる資料ってのは、そこから?」
「そう! 安曇の蔵に、教え子連れて探し物しに行くって連絡もらった時に、そう言えばって咲苗ちゃんが言い出してさ。そっからなんとか親父を説得したんだ」
「だから俺らが来るタイミングで、業者呼んで開けられたのか」
「そういうこと!」
普段使わない荷物の山を抜けた先。そこには壁に作り付けの本棚がいくつかあり、その本棚と同じ並びに黒い金属製の金庫が鎮座していた。
ただ、重厚に見える金属の箱は、扉の辺りが激しく損傷していて中身が見えており、金庫の役割をほとんど果たしていない。
「え、結局ぶっ壊したの?」
「うん。なんでも業者曰く『わざと開けられないようにされていた』んだってさ」
ダイヤル式の鍵を開けた後、開いた鍵穴に保管されている鍵を差し入れて開ける二重ロックだったのだが、差し込む鍵穴は潰されていた上、さらにダイヤルもわざと回らないよう、意図的に固定されていたそうだ。
「マジか……」
「昔は業者が匙投げて開けられなかったけど、今は技術も機械も進歩してるからね。結局壊す羽目にはなっちゃったけど、ようやく開けられたって感じ」
仕方なく、父親の許可も得た上で物理的に破壊しての解錠となったらしい。
「よほど見つかっちゃいけないものでも入ってたのかね……」
「まぁ、見られたくはないかもね。歴代当主の裏の記録とか、安曇の家に置いておけない昔の帳簿みたいなのとか、マジで色々出てきたし」
弘孝は床から自分の胸元辺りまである大きな金庫に近づき、こじ開けられた金庫の内側を覗く。金庫の内面には、安曇の蔵でも見たようなお札がところせましと貼られており、思わず眉を
「裏の記録って?」
「安曇の裏支えとしてのヤバい記録とか、怪異周りのあれこれ、とかだな」
そう言いながら、孝文が本棚に移動しておいたらしい帳簿を、眉を下げた顔で手渡す。弘孝は受け取ったそれをパラパラとめくりながら、同じように眉を下げ、目を細めた。
「……へぇ、巨大な繁栄の裏側ってやつか」
話には聞いていたが、安曇家の『本物』としての仕事を、仁科家もやはりそれなりに手伝っていたらしい。
チラリと見ただけでも、現代ならば下手すると違法になり得そうな、危険な仕事内容が書かれている。
「ご先祖達は本当に色々やってたみたいだな。だからこそ神社なんて建てたんだろうけど。……で、その中に、白狛神社の記録と仁科孝四郎が書いたと思われる本があってさ」
そう言いながら、孝文は金庫の一番下の段から、お札がベタベタと貼られた箱を取り出した。漆塗りの綺麗な箱を、墨文字や記号のような模様が書かれたたくさんの札で、必死に包んでいるようにも見える。確認のため一度開けたらしく、茶色く変色した札は蓋の辺りが破れていた。
「なんだこれ……」
改めて蓋を開けると、中から出てきたのは古びた四冊の本。
「中をざっと見てみたんだが、白狛神社に関する記録と、仁科孝四郎の日記らしい」
「やたら厳重だな。結局、仁科孝四郎は何者なんだ? 白狛神社の
日記の方を数ページ飛ばしで捲りながら弘孝が聞くと、孝文は金庫の横にある本棚に乗せた紙の束を漁る。
「金庫から出てきた古い家系図には、初代仁科家の末弟として記録されていたよ」
「存在ごと消されてたってわけか」
明治時代の半ばに戸籍の様式を改められた時期があるので、そのどさくさで存在を消された可能性が高そうだ。あれだけ徹底して痕跡を消しているのだから、そのくらいやっていても可笑しくはない。
「ああ。そして、自死してる」
「……そうか」
孝文は紙束から一枚の紙を見つけ出すと、それを弘孝に渡す。
すっかり黄変した、古い家系図だった。
紙面の上部には、見覚えのある仁科家初代の名前があり、その下に子どもたちの名前が並んでいる。兄弟として連なる名前の一番最後には『孝四郎』の文字があった。
安曇家から送られてきた家系図の写真には載っていなかった名前。
末弟に科せられる祟りの、始まりの名前だ。
「……兄貴は」
「ん?」
「まだ、マサのために調べてるのか?」
孝文が弘孝の目を見つめてそう言った。
彼がそう思うのも仕方がない。
亡くなった者に囚われ、生きることを蔑ろにした過去がある。
でも、今は違う。
「……いいや。和都のため、それから、千都留のためだよ」
決して納得のできる過去ではないが、これは未来のための足掻きだ。
弘孝の言葉に、孝文は少し安堵したような顔をした。
「そうか」
だがやはり、千都留の名前にどうしても表情が曇る。
仁科家を継ぐことが決まった者にだけ伝えられる、他言無用の『祟り』の話。特に女性には伝えることが憚られる内容だ。
「本当に、祟りは終わるんだろうか」
家督を継ぐ孝文も、弘孝同様に聞かされ、それを知っている。お互いに唯一この件で相談ができる身内のため、弘孝は昨晩バクから聞いた話を孝文にも共有していた。
「どうかな。でも、祟り神様に頼まれた以上は、やるしかないだろう」
安曇真之介が殺された真相と、仁科孝四郎の動機。
月明かりの下で、これらを見つけてくれば、和都を見逃し、代々続く『祟り』も終わりにしてやると、金色の瞳の獅子は言った。
「そうじゃなきゃ、二人はまたマサと同じことになる。それだけは、避けないと」
自分より小さな命が、先に逝く。
子どもの未来が、本人と関係のない場所で決められてしまう。
これほど不幸なことはない。
「……頼む」
「ああ。この本、借りてくよ」
辛そうな表情で頭を下げた弟の頭を、兄は優しく撫でながらそう言った。