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お昼時。仁科が持ち込んでいたコンビニ弁当を食べ終わり、食後のコーヒーを飲んでいると、保健室のドアをノックする音がした。
「どうぞー」
「失礼しまーす」
そう言いながらガラガラと開いたドアのほうを見ると、和都を含めたいつもの四人組が立っている。
「あれ。どうした、お前ら」
「ご飯、ここで食べていい?」
「……いいけど」
仁科がそう返すと、それぞれが談話テーブルの椅子に座って昼食に手を付け始めた。まだ夏休み期間で校内の購買が開いていないため、彼らも学校外のコンビニで買ってきたらしい。
「生徒なら教室で食べなさいよ」
「相模が、三階は寒いって言うんで」
小坂がそう言うので、仁科が和都の方を見ると、ぶかぶかのグレーのジャージを着ていた。サイズ的に本人のものではなさそうなので、春日にでも借りたのだろうと予測がつく。
「寒い?」
「……うん」
「だからジャージなんか着てんの?」
そう言いながら仁科は、困った顔でおにぎりを食べている和都に近寄り、額に手を当てた。体温は普段と変わらず、発熱している様子はない。
「……風邪とも違うか」
「飲み物買いに一階きたら全然寒くないから、たぶん三階だけ寒い」
本人も理由がよく分からないようで、和都は膨れっ面で言った。
「お前らは平気なの?」
「ぜーんぜん」
「むしろ暑い」
どうやら和都だけが寒いと感じているらしい。
なんだろうな、と全員で首を傾げている時だった。
〔三階、なんかいるよね!〕
室内に響く声と共に、談話テーブルの向かい側、ベッドのある辺りの空中に白い渦が巻き始め、渦の中からゆっくりとハクが姿を現す。
ベッドの上から天井につくほどの大きな身体、大きな顔、前足。胴体は後ろ足の付け根の辺りまで見えている。白い毛をふさふさと揺らし、大きな金色の瞳の、まさしくオオカミと言わんばかりの彼がこちらを見た。人間を簡単に丸呑みしそうな巨大な口からは、赤くて長い舌がだらりと垂れている。
「でっか!」
立派な体躯で現れたハクの姿は、全員に視えているらしく、その大きさに小坂がはしゃいで近寄っていった。その一方、ハクの乗っているベッドがミシミシと音を立てて潰れそうになっていて、和都は慌てる。
「わー! ハク、もうちょい小さくなれない?」
〔あはは、ゴメンゴメン!〕
そう言うと、ハクはしゅるしゅる萎んでいき、ベッドの上に寝そべるくらいの、大人の人間より少し大きい、小柄な虎ぐらいのサイズになった。
「おぉ、変幻自在か! すげーな!」
小坂が楽しそうに言いながら、ハクの頭を撫でる。
その後方では、楽しそうな菅原と不機嫌そうな春日の視線が仁科のほうに向いていた。
「先生、これってやっぱ、アレですか?」
「……言い訳があれば、一応聞きます」
春日がパキパキと指を鳴らすのを聞きながら、仁科が困ったように頭を掻く。
「いや、だから。何もしてないってば。ずっと神社の敷地内にいたからだろ」
「そうだよ! おれ、向こうにいる間、毎朝お参りしてたし!」
和都が慌てて仁科を援護するも、春日と菅原の視線は変わらない。
何もなかった、と言えば嘘になるが、実際ハクがここまで大きくなるほどに
和都が上手く説明できずにいると、ベッドの上のハクがのんびりとした声で言う。
〔そうだよぉ、ユースケ。ニシナよりチカラの強いリンコもいたし、あの神社、カズトと相性がすっごくよかったからね〜〕
小坂に顎周りを撫でられて、ハクは気持ちよさそうに目を閉じていた。
「へー、だからそんなになったのかぁ」
小坂は一人感心して、ハクの立派に生え揃った耳先をつまむ。
「リンコ? って誰ですか?」
「安曇凛子。安曇神社の次期当主だよ。今んとこ、俺ら親族の中じゃ一番チカラが強い」
ハクと仁科の説明で、春日と菅原も一応は納得したらしい。
──説明してくれてありがとうね、ハク。
ホッと胸を撫で下ろし、和都が心の中でハクにそう語りかけたのだが、普段なら何かしら答えてくれるのに、反応がなかった。
──あれ、ハク?
改めて呼びかけたが、ハクはやはり小坂に撫でられて気持ちよさそうに目を閉じているまま。
「……ねぇ、ハク」
〔なぁに? カズト〕
声を出して話しかけると、普通に返事をしたので、和都は首を傾げた。
「前は、念じたら会話できてた、よね?」
〔あ、もしかして話しかけてた? ごめんごめん。多分ねぇ、かなり実体化してきてるから、出来なくなっちゃってるのかも!〕
「そうなの?」
〔一応ボク、神様だからね! 神獣だけど。だからニンゲンと少し
ハクが言うには、神と人は基本的に存在する世界──
通常であれば人間はその
神獣であるハクがこうしてみんなに視えているのは、チカラが強くなり、人間の世界にチューニングを合わせられるようになったためだという。
「じゃあ、そのうちハクのこと、おれや先生でも視えなくなっちゃう?」
〔カズトはどんどん強くなってて、今もニシナより強くなってきてるから平気だと思うよ。ニシナは変わんないから、視えなくなるかもね!〕
「そっかぁ」
心の中を読まれてしまうのは嫌ではあったが、これまで出来ていたことが出来なくなるのは少し寂しい。
〔まぁ、神様だからね! 実体化してればみんなに視えるし、視える人をボクが決めることもできるから、大丈夫だよ!〕
「神様って、すごいんだね」
〔えっへん!〕
そう言って、ハクが得意げに鼻を鳴らす。
「じゃあ、三階に何かいるというのは、結局なんなんだ?」
腕を組み、黙って話を聞いていた春日が口を開いた。
〔それがちょーっとボクもよく分かんないんだよねぇ。鬼とも幽霊とも妖怪とも違う感じ。悪い気配がモヤ〜ッて漂ってる〕
どうやらその悪い気配とやらが、和都が寒いと感じる要因らしい。
「実体のない何か、ってことか」
〔西の階段近くのお部屋が、一番強いかな!〕
「西側の端だと、演習室だな」
教室のある各階には、西の端に自習等に使える教室の半分くらいの小さい部屋がある。普段は鍵が掛かっており、職員に申請すれば誰でも利用ができるので、個人自習や追加の補習、生徒たちだけでちょっとした会議をする時などにも使われる部屋だ。
「今は文化祭が近いから、各クラスが作りかけのものを置いてて、だいぶごっちゃごちゃだぞ」
「出入りも頻繁になるから、文化祭の実行委員が鍵の管理してるんだっけ」
時期柄、普段以上に利用者も多く、和都もここ最近はよくそこに出入りしている。
「うーん、最近も今までも、そこで何か視たってことは、ないんだけどな?」
しかし、階段の下やプールの鏡など、今まで視たことのない場所で幽霊を視ることが増えているのは確かだ。
もしかしたら演習室にも、鬼の存在によって刺激された何かがいるのかもしれない。
「まぁ、近づく時は気を付けるようにしなさいね」
「はい」
仁科に言われ、和都達は頷いた。
何がいて、何が起きるのか。
全てが終わるまで、油断はできない。