◇
文化祭もなんとか無事に閉会し、残すは後夜祭の開始を待つ時間となった保健室には、和都を含めたいつもの五人が集まっていた。
「なんか三階、大変だったらしいじゃん」
談話テーブルの椅子に座った菅原が、和都の方に声をかける。
「うん、めっちゃ大変だった」
疲れた顔でそう答える和都は、椅子に座って仁科からきちんと手当てしてもらっている最中だった。
「相模もケガしたのか? 大丈夫かよ?」
「うん、多分おれが最初」
「応急処置してすぐ騒ぎになったから、後回しになっちゃったんだよねぇ」
和都の腕に新しい包帯を巻きながら、仁科が申し訳なさそうに言う。
三階は和都がケガをした後、廊下で多数のケガ人が出てしまい、その対応をしていたら、あっという間に全員参加の閉会式の時間になっていた。
閉会式も終わったので、こうしてようやくちゃんとした治療が出来ている。
「春日クン、本部にはなんて報告してくれたの?」
「一応、演習室の窓が開いてた関係で、カマイタチ現象でも起きたんじゃないか? ということにしておきました」
「風とか真空とかで、切れるヤツだっけ?」
「そうそう」
実際のところカマイタチ現象は、真空に触れて切れるという説や、旋風で舞い上がった小石などで切れるという説もあるので、きちんとした原因は解明されていない。
「ケガをした全員が急に強い風が吹き抜けた、と言っていたそうなので、ちょうどいいかと思いまして」
「まぁ、その辺が妥当かもなぁ」
仁科は春日の報告に頭を掻いた。
幸い、和都より酷いケガ人はおらず、応急処置を施した程度で済んでいる。
「犯人て、結局なんだったの?」
「なんかの妖怪? 頭が鎌みたいになってた」
「本物のカマイタチ?」
「意外と、そうかもしれん」
そう言うと、春日は演習室で拾っておいた紙を談話テーブルの上に広げた。
「なにこれ?」
「演習室から音がするから、中に入ってみたらコレが落ちてて。拾ったら、この紙から、その絵の妖怪みたいなのが出てきたんだよね」
折り畳まれていたルーズリーフの内側には、出てきた妖怪そっくりのイラストと、その説明と思われる文章が書いてある。よく知られている鎌を持ったイタチの姿に似ているが少し違い、頭と尻尾が鎌になっており、胴体がイタチのようだ。名前なども書かれていたようだが、血で汚れているので詳細は分からない。
「あー、美術部のやつじゃね?」
「第二体育館に、デッカイ百鬼夜行みたいな絵を展示してたな。なんか、すげーなげぇやつ」
「確かに、色んな妖怪がたくさん並んでる絵だったな。それ用の設定画とかかもな」
「でも、書かれてた紙は普通のだし、なんで出てきたんだろう?」
この紙の持ち主は見当がつくが、そこから妖怪が現れた理由が全く思い当たらず、全員で首を傾げた。
〔多分、その絵のせいだよ〕
不意に室内にハクの声が響いて、ベッドの上の天井辺りから、しゅるしゅると白い渦が巻き、中からハクが姿を現す。今回はきちんとベッドを壊さない程度の、大きな虎くらいのサイズだ。
「ハク、これのせいって?」
〔多分なんだけど、アイツ、三階に漂ってた黒いモヤの塊だと思うんだよね!〕
「モヤの塊?」
〔そう! 神社にあった『鬼の湧く穴』から出てくるモヤと、おんなじ味だったよ!〕
味、という言葉に少したじろいでしまったが、和都は構わず聞き返す。
「あのモヤが集まって塊になると、妖怪になるの?」
〔お化けとか妖怪とか鬼ってね、そういう悪い気が集まって生まれることがあるんだ。最初はただの気の塊だけど、それに姿とか名前とか細かい設定がつくと『自分はそういうものだ!』って意志を持っちゃうの〕
「それで、この絵と同じのが出てきたのか」
ハクの説明に、改めてルーズリーフの絵に視線を落とした。
確かにあの妖怪が姿を現す前、周辺の黒いモヤがこの紙に吸い込まれていったように見えたので、なるほどと納得する。
〔多分ね〜。細かく設定書いてあるし! あと、チカラの強くなったカズトの血が付いちゃったのも、あるんじゃない?〕
「なるほど。相模の血は、お化けや妖怪にとっちゃ『栄養ドリンク』みたいなもんってことか」
「やめてよ……」
小坂の例えに、和都は分かりやすく嫌な顔をして睨んだ。
しかし、確かに仁科よりもチカラが強くなっているのであれば、鬼たちはより自分を食べたいと思っているのではないだろうか。
「その『鬼の湧く穴』って祠で封じられてたとこ、だよな?」
〔そうだよ!〕
「でも、祠が壊れたのは三月だろ? なんで今頃そんなモヤが出てくるんだ?」
菅原の言葉に、言われてみれば、と和都も考える。
祠が壊れたことで鬼たちが出てきたのであれば、その黒いモヤも三月頃から現れているはずだ。
「ん、待てよ。相模が『三階が寒い』って言ってたの、そのモヤのせいだったよな? そう言い始めたの、倒木の撤去作業が始まった頃じゃなかったか?」
「あ、そうだった」
「もしかして、木をどかしたせい?」
穴を封じるための祠が壊れても、その上に木があったことで、モヤは出られなかったのかもしれない。そうであれば、タイミングとしては合ってしまう。
「でも、なんでモヤはうちの学校の三階なんかに集まって来たんだろうな?」
〔そりゃあ、カズトがずっと三階に居たからだよぉ〕
「『狛犬の目』のチカラか」
「……そっか」
気付いて、和都の顔に影が差した。
鬼も人間も、あらゆるものを惹き寄せる、バクの目のチカラ。
黒いモヤが鬼やお化けの素であるなら、そのチカラに惹かれて集まってしまうのも無理はない。確かに、夏休み終盤から二学期以降は、文化祭準備で忙しく、和都は大半の時間を学校の三階で過ごしていた。
今日の三階での光景を作り出した原因に、目の奥が滲むように痛い。
「相模」
仁科に呼ばれて、ハッとする。
そちらに視線を向けると、諫めるような目がこちらを見ていた。
「お前が悪いわけじゃないからな」
「……うん、大丈夫」
出てきそうになった言葉を飲み込んで、和都は頷く。
「でも、あの木をどかしたせいなら、また集まってくるんじゃねぇの?」
「たしかに。塞がないといけないんじゃ……」
「一応、そういう穴が出てきたら、札を納めるようにって渡してあるとは聞いてるぞ」
倒木の撤去工事の手配は、安曇家に一任しているが『鬼の湧く穴』についても、凛子と現当主に伝えてあるので、それを想定して手配しているはずだ。
「なるほど」
「こないだ見に行った時は、工事もう終わってたっぽいし。じゃあもう大丈夫なのか?」
「ハクが食べちゃってからは、三階のモヤみたいなの、無くなった気がする」
「木どかして、札納めるまでの間に出てきた分が集まってた、ってことかなぁ」
「そうかも」
もしかしたら、三階に漂っていた黒いモヤ全ての集合体が、あの妖怪だったのかもしれない。
モヤの出どころも閉じられ、出てきていたものも全て神獣であるハクが食べてしまったのであれば、今回のようなことはもう起きないだろう。
和都はホッと胸を撫で下ろし、座っていた椅子の背に凭れた。
「応急処置的な札だとは言ってたけど、今回みたいに開きっぱなしにはならないから、問題ないでしょ」
「そんなあぶねーところ、応急処置のままで大丈夫なのかよ」
「今回の工事で敷地の整地と、祠も作り直してもらったらしいからね。それに近々、凛子が『ちゃんとしに来る』って言ってたし」
「んじゃー、大丈夫か」
話が一段落した辺りで、校内放送が鳴り始める。