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第30話 心の声、静けさの中に

今日はスズメのさえずりじゃなくてカラスが鳴いていた。


杏菜は、目覚まし時計よりも早くに目が覚めていた。


時刻は午前5時

隣の部屋で寝ている湊を起こさないようにと静かにトイレに向かった。モコモコスリッパが思いがけず、遠いところに移動していた。用を足すと、スリッパ探しに夢中になる。四つんばいになって、どこかどこだと探した。お気に入りのシロクマのモコモコスリッパが脱いでどこかいなくなった。杏菜は、朝から汗をかくくらい運動した。いっそのこと、雑巾掛けをして部屋掃除してもよかったんじゃないかと思った。


「何してんの?」


 湊は、廊下の壁に腕組みをして、杏菜の様子を伺った。物音に気づいて、 湊は起きていたようだ。



「……え? 何って、スリッパ探してた。お気に入りだから」

「だからさ!」


 湊は四つんばいになった杏菜の後ろに何回も飛んでいるのが見えた。スリッパを探しているのにスリッパを足で蹴飛ばしてることに気づいていない。


「ほら、後ろにあるから」


 湊は、拾ったスリッパを杏菜の右手に手渡した。こんな小さなことさえもできないのかと悔しがった。


「あ、ああ。どうも」

「そのシロクマ、トイレ用スリッパじゃないけど、

 しっかり手、洗えよ? さっきから素手で床掃除してるから」


 湊はそう言い捨てると、トイレのドアを開けて、進んでいく。


「ご、ごめんなさい」


 最近の湊との会話があっさりとしたものが多かった。プロジェクトがどうとかで、忙しいのはわかっていた。杏菜にとって、湊との関わりが減ったことで不満が募っていく。前までは丁寧にお世話してくれていたのを、ヘルパーの堀込さんに任せっきりなところが多くなった。ご飯作りも湊人自身まともに食べてないことが多くなってきた。



「杏菜、今日、早く出るから。適当に食べてもらえるかな。俺、時間がないからさ」

「えー、ああ。うん。大丈夫」

「冷蔵庫にはたくさん食材はあるけどさ。俺にそんな作る余裕はない。堀込さんに食べたいもの作ってもらって。あの人、料理得意って言ってたからさ」


 杏菜は、その言葉を聞いて、何も言えなくなった。ますます、湊と一緒にいる時間が減っている。


「ねぇ、湊」

「あ? 何?」


 少しイライラ様子で返事をした。見えていなくても声の調子で大体わかる。


「いや、なんでもない」

「俺に頼まれてもできないことの方が多いからさ、堀込さんに言ってよ。こっちは契約して、お願いしてるわけだから」

「契約……」

「うん。お金払ってるし、仕事してもらわないといけないっしょ」

「まぁ、確かに」

「だろ?」


 何だか何かが引っかかった。どうしてこんなに心が寂しいんだろう。

 お金でしか繋がれないものって何だろう。大学の研究の仕事で忙しいのはわかるが、何か見落としてるものはないかと湊に問いたい。


「んじゃ、そろそろ行くわ。今日、アメリカから助っ人教授が来るからさ、空港にお迎えなんだわ。スーツ着ていこうかな」

「……湊のスーツ懐かしいな」

「まさか、ホストの時のスーツ着るわけないだろ」

「そうなの?」

「まあな。違いはあるさ」


 湊はクローゼットにかけていたスーツに袖を通す。ワイシャツのボタンを首のところを最後にしめて、ネクタイをつけた。全身鏡で確認する。

ホスト時代は金髪で過ごしていたのを今は、ビジネスマンのような黒髪を

アップバングショートをワックスをつけて整えていた。


ギシギシ感は無くなり、髪質も良くなったため、好都合であった。

真面目すぎないかとちょっと気にしていた。


「そういや、湊って今、黒髪なんでしょう」

「ああ」

「まだ、見たことないな。真面目な顔になりそう。だって、金髪だったんだよ。黒髪ってどんなんよ」


 杏菜は、金髪だった頃の湊を思い出す。思い出し笑いが止まらない。


「何がおかしいんだよ。黒髪だってイケメンなんだぞ? 最近、弁当屋のおばちゃんにらーめんつけめん?って振られて思わずイケメンってノッてあげたけどさ」

「そういうのは変わってないんだね。ホストの名残……」

「営業スマイルスイッチ入れるのも疲れるんだぞ。お金もかからないのに

 俺は何してるんだって……」

「普通、自分で言わないよね。イケメンって……」

「あのなぁ、ナルシストじゃないとホストはやっていけないんだぞ」

「……今ホストじゃないじゃん」


 ピンポーン。


 話してるうちにインターフォンが鳴った。

 杏菜は慌てて、クローゼットに急ぎ、ネグリジェから私服に着替えた。


「俺、そろそろ行かないと行けないんだけど……堀込さんかな?」


 湊は玄関のドアを開けた。


「おはようございます。堀込です。湊さん、お久しぶりです。時間大丈夫でした?」

「あーやっぱり、堀込さんですね。お世話さまです。今、杏菜が着替えてますから、もう少し待ってくださいね。俺は、あと行かないといけないんで、

 よろしくお願いします」

「はい、お任せください」


 玄関のドアをおさえていた堀込の横を湊は靴を履いて通り過ぎる。


「お待たせしました。堀込さん、おはようございます」

「あ、杏菜さん。おはようございます。今日もブルーベリーに行きますか」

「あの、お腹すいてて、食べてからでもいいですか?」


 目の前で杏菜のお腹が大きな音で鳴る。玄関の外の通路では、湊の靴音が

 響いていた。後ろを振り向かず、時計を見ながら、階段をおりていった。



「朝ごはんまだだったんですね。わかりました。準備しましょう」


 堀込は、ニコニコと靴を丁寧に揃えて、中に入っていく。杏菜のお腹の音が大きくておかしかった。


「何でも食べるので、準備してもらっても」

「もちろんです」


と、堀込はやる気を出していた。

 湊にとって、他人と杏菜が関わることに抵抗はないのだろうかといつも感じていた。


 空に長く飛行機雲が伸びていた。

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