「はっきりとした原因は分かりませんねえ。恐らく、ストレスによる体調不良だと思われますが」
翌日、夏音を連れて僕は近くの内科を訪れた。今朝はこの数日間で一番彼女の体調が良い日だった。30分以上待たされて、ようやく名前を呼ばれて診断してもらった結果は、僕らが期待していたものとはかけ離れたものだった。
「ストレス……」
隣で夏音が、「そんな答えが聞きたかったんじゃない」というふうに落胆しているのがよく分かった。まあでも、何か恐ろしい病名を告げられるよりは些かほっとしていて、僕も彼女も目の前にいる中年の医者を訝し気に見つめると同時に、「重病というわけじゃあないんだね」と安堵していたのも事実だ。
いや……でもちょっと待て。
この医者は重要なことを忘れてないか?
「記憶……」
僕が口を開きかけた時、彼女が先にポツリと大事なワードを呟いたため僕は咄嗟に自分の口を噤んだ。
「私、さっき京都に来た時の記憶がないって言ったんですけど、それはどうしてですか……?」
「そうですよ。ストレスで体調が悪くなるっていうのは確かにあると思いますけど、じゃあ彼女の記憶喪失の原因は何なんです?」
傍から見ると、僕はかなり必死になって彼女の記憶喪失の理由を問いただしているように見えたに違いない。
「ああ、それも」
「それも?」
「ストレスで説明がつくんですよ。具体的には解離性健忘と言って、自分にとってショックな出来事、強いストレスを感じた出来事を思い出そうとする際に精神的に葛藤して、その出来事が思い出せなくなるんです。きっと天羽さんの記億喪失もその類だと思います」
「はあ……」
カイリセイケンボウ。もう何が何だか分からない。
「それって……治るんですか?」
「はい、解離性健忘は治るものです。ですが、治すためには、ストレスの原因となっている心の傷を取り除く必要があるでしょうね。もしよければ専門の医師を紹介しますよ」
「それじゃあ、ぜひ――」
「いえ、結構です」
夏音のきっぱりとした声が診察室の中に響き渡り、僕は思わず「え?」と声を上げてしまう。
「あなたがおっしゃる通り……多分ただのストレスだと思います。記憶が消えた原因も、自分で何とか探します」
「はあ、分かりました。また何かあったら相談に来てください」
「はい、ありがとうございました」