「モモは、あんま見んなよ?」
「え?」
少しだけ優しい声に戻った陽は、そう言い残して私から離れた。
同じく壇上にいた銀髪の男の人に何かアイコンタクトをしてから、正面にいるSudRosaの面々を
「
陽が一言命令すると、大勢の男達がいっせいに一点を向く。
「ひっ」
みんなの視線の先の男は、おびえたように唇を震えさせていた。
「Nの扱いには気をつけろっつったよなぁ? ……会長に消されてぇの?」
冷たい声でそう言い、壇上から降りた陽。
陽がその男の元に行けるように、男達が道を開けた。
陽の言葉から、例の不良達にNを渡していたのは彼なんだと理解する。
陽はあの人をシメるって言ってたけど、どうするの?
もしかしなくても暴力的なことするってこと?
ピリピリとした空気。
陽の氷のように冷たい怒りが、青ざめていく男に向けられている。
陽の怒りに釣られるかのように、他の男達も怒りの感情を江島と呼ばれた男に向けているのが分かった。
「あんな奴らに横流しするとか、どういうつもりだったのかしっかり聞かせて貰うぞ?」
「うっぐぅあっ」
江島の胸ぐらを掴み、陽はそのまま彼を持ち上げる。
陽のその強さと、首が絞まっているのか苦しさで歪む江島の表情に私はドクドクと血流が早くなるのを感じた。
……怖い。
これから起こる暴力が。
それを指示する陽が。
陽のことを知りたいって思った。
でも、陽が無抵抗の人間に暴力を振るう姿が見たいわけじゃない。
怖くて、でも目が離せなくて……呼吸だけが浅く速くなっていく。
どうしたら良いんだろうって思ったとき。
「おい、あんた」
「っ!」
すぐ近くから声が掛けられた。
同時に、スパイシーな薔薇の香りがして思わず警戒しながら声の方を見る。
「あんたはこっちで休んどけ」
一緒に壇上に残っていた銀髪の男の人が、つまらなそうに別室を指していた。
Nに似た香りも、すぐにシトラス系の香りに変わる。
あ、れ?
気のせい? Nを持っているのかと思ったけれど……。
「なんだ、来ねぇの? それともあいつ殴られるの見ていたいとか?」
背を向けてどこかへ行こうとした銀髪さんは、私を振り返ってまたつまらなそうに言う。
「あ、いえ。見たくないです」
彼は、私がこの後の暴力を見なくて済むように別の部屋へ案内してくれるつもりらしい。
そういえばさっき私に『あんま見んなよ』と言った陽はすぐ後にこの銀髪さんにアイコンタクトしてた。
もしかして陽の指示ってことかな?
長身の銀髪さんについて行きながら、陽の優しさに胸がトクンと優しく鳴った。
さっき怖いと思ったばかりなのに、こんなちょっとしたことで嬉しいって思うなんて……。
あんな風に怖いところがあっても、やっぱり私は陽が好きなのかもしれないって思った。
ホールを出て、丁度反対側にある小部屋に案内された。
銀髪さんは私にソファーの一つに座るよううながすと、置かれていたポットや茶葉を使って手際よく紅茶を淹れてくれる。
見た目は怖いのに丁寧に淹れていて、なんだか意外だなと思いながら見ていると、ふわりとストロベリーローズの香りが広がる。
「わっ、とても良い香り」
私の好きな薔薇の香りと甘酸っぱいストロベリーの香りに、思わず声を上げてしまった。
さっきから緊張してばかりだったから、落ち着く香りにゆっくり肩の力を抜く。
そんな私に銀髪さんは僅かに微笑んだ。
「そうか、それは良かった。花の香りの紅茶は嫌いな奴もいるからな」
そう言いながら私にティーカップを差し出してくれた彼は、自分のカップにも紅茶を淹れると私の向かい側に座って紅茶の香りを楽しんでいた。
私もせっかく淹れて貰ったんだからって香りを楽しみながらカップに口をつける。
ほんのり感じる甘酸っぱさと薔薇の香りを楽しんでいると、銀髪さんがまず名乗ってくれた。
「俺は
「あ、藤沼萌々香です」
笙さんがちゃんと自己紹介してくれたから、私も改めて名乗る。
見た目は怖そうだけれど、紅茶を丁寧に淹れたりとか意外と真面目そう。
話し方も結構しっかりしているし、大人の男の人って印象だった。
「災難だったな、陽もわざわざ下っ端シメる日に彼女のお披露目しなくても……まあ、あいつのことだから早く自慢したかったんだろうけど」
「じ、自慢!?」
この間のように私が危険な目に遭わないようにだって説明はされたけれど、自慢したかったなんて聞いてない。
それは笙さんの勘違いなんじゃないかな? と思っていたんだけど。
「自慢だろ? あんなに浮かれてる陽初めて見たぞ?」
「そう、なんですか……」
笙さんと陽がいつからの知り合いなのかは分からないけれど、少なくとも私よりは長いと思う。
勿論SudRosaの総長としての顔もずっと前から知っているはずだから、笙さんの言葉が全くの間違いってこともないかもしれない。
……陽、浮かれてたんだ?
「えっと、笙さんって陽のことよく知ってるんですね?」
「まあ、小さい頃からの付き合いだからな……あいつは覚えてないだろうが……」
「え?」
最後にポツリとつぶやいた笙さんは、傷の痛みに耐えるような悲しい目で紅茶を見つめていた。
覚えてないっていうのはどういうことなのか。
聞こうと思ったけれど、それを口にする前に顔を上げた笙さんに「なんでもない」と言われてしまった。
「とにかく、総長の女となったからには多少は俺たちの事情も知っておいた方がいいだろう。説明するから、ちゃんと覚えといてくれよ?」
「あ、はい。お願いします」
SudRosaのこととか、もっとちゃんと知りたいと思っていたから笙さんの言葉は私にとっても好都合だった。
「さっきNの話しても不思議そうにしてなかったってことは、Nのことはある程度知ってるんだよな?」
「はい、前にネットで調べ物をしていたときにNの情報を見つけて」
「そうか。じゃあ、SudRosaがこの南香街禁止区域を管理してることは?」
「あ、それは確か陽が言っていた気がします」
不良達に襲われたとき、現れた陽が彼らに言っていた。
SudRosaの管理する土地への無断侵入とか、Nを盗んだんだろとか。
「じゃあ、Nの管理もSudRosaがしてるってことは?」
「それは……」
Nがこの南香街禁止区域で作られているかもしれないっていうウワサがあるから、もしかしてとは思っていたけれど……。
「そっか、じゃあその辺りからだな」
そうして紅茶を一口飲んだ笙さんは話し始めた。
「まあ管理っつっても、基本的には保管するだけだな。SudRosaは
「啼勾会……」
初めて聞く組織の名前に、それは私が聞いて良いことなのかな? って不安になる。
でも、さっき陽が江島に対して『会長に潰されてぇの?』って言ってたのは、その啼勾会の会長にってことだったんだなって理解した。
「でも今回みたいに俺たちの目をかいくぐって横流ししたり盗んだりする奴がたまにいる。そういう連中にあんたが利用される可能性もあるからな、気をつけてくれ」
「は、はい」
どう利用されるのかなんて分からなかったけれど、笙さんが真面目な顔で言うので私は素直に頷いた。
「あと、話は少し変わるけどな……啼勾会からの指示で数年前からちょっとある女を探してるんだ」
「は、はぁ……」
Nの話から突然探し人の話になってちょっと困惑する。
その話は私に何か関係あるのかな?
「その女はちょっと啼勾会にとって重要なものを持ってるらしくてさ。薔薇姫って呼んでるんだけど、あんた見たことねぇか?」
不思議に思ったけれど、問われたことでただ情報が欲しかっただけみたいだと理解する。
Nに関する話題よりは気が楽になって、私は口の中を潤すつもりで紅茶のティーカップを手に取った。
でも、続いた笙さんの言葉に持ち上げたティーカップをピタリと止める。
「桃色の髪の女なんだけど」
「っ」
瞬時に言葉と息を詰まらせた私は、口の中がカラカラに乾いていくのを感じた。