▼下午
リゴット砦から見える場所にタニス軍は大きく野営を展開した。
距離はまだかなり離れていて大砲が届く範囲ではない。大型のテントがこれ見よがしに並んでいるのを見ながら、ルーカスは冷静だった。
「これじゃ流石に大砲は届かないぜ。どうするよ、陛下」
「焦るなガレス。あちらがいつ動くかを今は見よう。こちらから出る事はないし、大砲があれば易々とは近づけないだろう」
ルーカスはユリエルを考えていた。彼ならばどうするか、その心を考えていた。彼は冷静に見せて実は優しく仲間を大事にする。ならば、被害は最小限にとどめようとするはずだ。これだけの部隊が一気にこちらに突撃するような無謀な作戦は立てないだろう。
では、単騎で出るか? そうなればあまりに危険すぎる。それを、彼の仲間は許すのか? そもそも単騎で攻めて一体どうするつもりだ?
予測でしかない不安が広がり、胸が痛くなる。自身の無茶よりもよほど恐ろしい事だ。もしも彼が単騎で攻めてきたら、攻撃の手を緩めるのか? それは兵の命を預かる身としてできない。では、彼を傷つけ、最悪殺すのか? そんな事は絶対にできない。
「陛下?」
名を呼ばれ、ルーカスはハッと顔を上げる。キアが、どこか不安そうな顔をして見ていた。
「すまない、少し考え込んでいた。キア、お前にも一つ頼まれて欲しい」
「はい、なんなりと」
「石橋に爆薬をしかけておいてくれ」
「それは!」
キアだけではなく、ガレスも目を見開く。戸惑うのはもっともなことだ。だが、ルーカスはどこかで感じていた。この砦は落とされる。彼の宣言は誓いのようだった。そう簡単に諦めたりはしないだろう。
「もしもタニス軍が攻め、砦の門が開いてしまった時には橋を爆破し、奴らの進軍を止める。橋が落ちれば復旧には数か月単位で時間がかかるだろう。その間に、様々な体勢を整える」
「それは……納得はできます。ですが、この砦が落ちるとお考えで?」
「自身の陣営に罠を仕掛けるような奴等だ、一筋縄ではいかない。準備をしておくことも必要だ」
ここまで言うとキアは納得してくれたらしい。一つ頭を下げて、早速仕事を始めた。
「陛下、大丈夫?」
残されたガレスが問いかけるのに、ルーカスは緩く笑う。弱く、疲れたような笑みだった。
「少し、疲れているのかもしれない」
「仮眠取ったら? 俺が見張ってるから安心して」
「……そうだな」
ガレスからの気遣いにルーカスは緩く笑う。そして、お言葉に甘えさせてもらう事にした。
自室に戻ってもいまいち落ち着かない。心の中は嵐のようだ。初めて知った恋情というのは、こんなにも激しく心を揺さぶるものか。
よく、色恋で失敗をする者の話を聞く。今まではなんて馬鹿な事かと思った。だが、今はその者達の事を言えはしない。何よりも愚かな決断を下した自分が、何を言っても説得力などないだろう。
今はただ願う。ユリエル、どうか無茶をしないでくれと。
§
同じ頃、ユリエルもまた皆を集めて最終の確認をし、グリフィスは最後の抵抗をしていた。
「ユリエル様、危険すぎます! どうかもう少し我々を頼ってください」
「十分頼りにしていますよ。そうでなければ、私はお前たちに背中など預けない」
「私が貴方の代わりに突入の役をやると言ってもダメなのですか?」
グリフィスは噛みつくような目で言うが、ユリエルは緩く首を横に振る。それでは計画が狂ってしまう。なんとしてでも、ユリエルは真っ先にリゴット砦に入らなければならないのだ。
あの砦にはルーカスがいる。彼を逃がすだけの時間を稼ぎ、他の者が彼と切り結ぶ事が無いようにするには最初に突入しなければならない。
何よりも、一目でいいから会いたかった。
「お前では目立ちすぎます」
「貴方ほどではない」
「王である私が後方に下がっているのは普通ですが、お前が前線にいないのは明らかに違和感があります。あちらに不審がられますよ」
「まぁ、それは確かではあります。ですが、無理をして貴方に何かあれば国が持ちこたえられません。その点、重々ご承知ですね?」
クレメンスも今回に限ってはチクチクと言ってくる。口には出さないが反対なのだろう。それを押し切ったから、不満があるのは当然だ。
「気を付けます。それに、私の影武者が自陣に立ってくれます。私ほど夜に目立つ者もいませんからね。変装も楽でしょ?」
ユリエルは笑って傍のシリルを見る。それに、シリルはしょうがなく頷くしかなかった。
今回、自陣を空けるユリエルに代わり影武者が立つことになった。その役を、シリルがかってでた。自陣を出ない役回りで比較的安全が確保されている事、レヴィンが彼の傍に常に付き添っていることもあり、容認されたのである。
「……俺の馬をお連れ下さい。あれは音にも光にも怯えない、強く速い馬です。そのくらいは」
「グリフィス……有難う。借ります」
やんわりと微笑み、ユリエルは頷いた。悔しそうに、それでも諦めて聞き入れてくれたグリフィスには申し訳ない。彼らを騙している事が心苦しい。これは罪だと分かっているが、どうしても守りたい者ができてしまったのだ。
「森の中は多少いるよ。でも、リゴット砦の付近に集中してる。見た所、俺が前に当たった暗殺者の姿は見えないし、こっち側は安全」
周囲の様子を偵察していたレヴィンが帰ってきて、報告をする。そして自然に、シリルの隣に腰を下ろした。
「森の中を抜けると言っても、あまり近づきすぎると気づかれるよ。目立たないようにとは言え、気を付けないと」
「兄上、無理をしないでください。僕には大したことはできませんが、無事を祈ります」
「レヴィン、シリル、有難う」
可愛いシリルを抱きしめ、レヴィンにも視線を向けてユリエルは笑う。同時に誓った。ここで死んだら仲間を裏切るばかりではない。ルーカスを酷く傷つけることになる。無事でいなければならない。
その気持ちが、強くユリエルの覚悟を支えた。