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2話 谷底の夜

 シリル達がリゴット砦を出た夜、ユリエルは谷底の家にいた。そしてその隣にはルーカスの姿もある。


「無事に旅立ったか」


 穏やかに言う彼の隣でユリエルは表情を沈ませる。未だ、この決断が正しかったのか判断がつかない。こんなことを彼らに任せてしまった事を後悔している。

 肩にふわりと手が触れた。見上げると、穏やかな金の瞳が見下ろしている。なぜだろうか、この瞳に見られると心の不安が軽くなる。大丈夫だと言ってもらっているようだ。


「不安か?」

「はい」

「だが、考え続けた結果なのだろ? ならば、見届けるのが君の責任だ」

「厳しいですね」

「そうだな」


 この恋人は、案外厳しいのだと最近気づいた。王としての覚悟というものがユリエルよりもある。ユリエルは、可能ならば全てを自らが負いたいと考えてしまう。自分はどれだけ傷ついても構わないと。

 けれどルーカスは違う。仲間を信じ、任せ、その上で責を負う。そういう覚悟を持っている。


「お前が出て行ってもネズミは捕まらない。だからこそ、あの子に託したのだろ?」

「そうです。そう、なんです。考えて、どうにかならないかと必死になってもこれ以上は出てこなかった。不甲斐ない」


 項垂れる。その肩を、ルーカスは優しく抱き寄せる。強い手が包むように、力づけるように側にある。


「信じてやればいい。お前が信じないで誰が信じてやれる。お前が祈らずに誰が祈る。堂々と構えていればいい。そして、必要な手を回してやるんだ」

「……はい」


 可能な限りの手を回した。シャスタ族、アビー、それに聖ローレンス砦の者達。レヴィンとシリルに手を貸せる面々を揃え、いつでも動けるようにした。

 でも、それでも手が足りなかったら? 彼らに何かあったら。最悪、シリルは殺される事はないだろう。だが、レヴィンは違う。彼は……運が悪ければ、命に直結しない傷ですらも命取りになる。


「まったく、俺の恋人は心配性だ」


 溜息が聞こえて、彼の存在を無視するような振る舞いをしていた事に気づいて申し訳なくて、ユリエルは顔を上げる。その唇を、彼は素早く奪っていった。


「んぅ……ふぅ」


 歯列を割られ、舌が滑り込んで口腔を犯していく。頭の芯がぼんやりと霞み、力が抜けていく。思考も心も攫うような深い口づけは、体が震えてくるまで続いた。

 解放されても体に力が入らない。頼りなく見つめているうちに、深い金の瞳が笑い抱き上げていく。驚いたが、彼の力に敵うわけがない。「暴れると落ちるぞ」と笑って言われて、しょうがなく首に抱きついた。

 そのまま下ろされたのは別室のベッドの上。暖かな布団の上に下ろされ、そのまま彼を見上げる。少し睨んだが効果はなさそうだ。


「怖い顔をするな。嫌か?」

「嫌じゃ……ないです。でも、流石に今日は!」


 彼らを送り出したばかりで気持ちが整理できていない。こんな状態で彼に抱かれるのは複雑すぎる。

 何より、少し後ろめたい。大変な事を押しつけておきながら自分は恋人と睦み事なんて。彼らはそれどころではないのに。

 けれど、ルーカスは逃がしてくれるつもりはないようだ。唇が首筋に触れて、思わず声が漏れた。


「ユリエル、シリルの言葉を忘れたのか?」

「……いえ」


 「恋人の求めを拒むことのないように」と、シリルはこっそり伝えていった。それを思い出したが、だからって。


「兄の幸せを願う。できた弟じゃないか」

「急に大人になってそんな事を。だからって」

「少し気持ちが離れた方が楽だ。それに、俺も人肌が恋しい」

「っ!」


 大きな手が体に触れる。温かく、優しく。その指先が服の上からでも触れると、素直に反応を返してしまう。分かっている。理性だとか並べ立てても、心も体も彼を求めている。疲弊した精神が彼を欲している。


「ユリエル」


 耳元で囁かれる名に、犯されているような気がする。含み笑う声に色香を感じて、期待に震えている。いつからこんなに淫らになったのだろうか。声の一つ、視線の一つにこんなにも体が震える。


「ルーカス」


 名を呼んで、首に腕を絡めて、引き寄せるように口づけをした。求められた事に安堵したように、ルーカスの金の瞳が嬉しそうに細められる。触れた唇は先ほどの激しさを見せない。優しく甘やかすような時間が、心を穏やかにしてくれる。


「本当の名を呼ばれるのは、やはり嬉しいものだな」


 嬉しそうに言った彼の言葉を反芻していく。そういえば、そうだった。互いの正体が明らかとなってから、まだ一度も夜を共にしていない。キスくらいはあっても、こうして深くは触れていない。

 意識して、途端に恥ずかしくなった。顔に出たのか、ルーカスは楽しそうに笑う。


「可愛い顔をしないでくれ。このままだと、枯れるまで求めてしまいそうだ」

「あの、流石にそれは。身が持たない」


 自分よりもずっと逞しい彼が枯れるまでとなると、動けなくなる可能性がある。それに、そんなに耐えられるか? 気絶するまで抱き合うのは流石にちょっと困るのだが。


「分かっている。君にそんな負担を掛けたくはない。だから、そんな可愛い顔で煽らないでくれ」


 そう言いながらも嬉しそうなルーカスのキスは、先ほどよりも熱くなっていた。


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