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21話 モルモット

 目が覚めたのはどこかの廃墟のベッドの上だった。屋根が壊れて明かりが差し込んでいる。そこに丁寧に寝かされていた。


「っ!」


 起き上がろうと右手をついて、痛みに転げた。力が入らない。それに、じわりと痛みが走った。


「まだ痛むぞ。随分深く刺したからな」


 見れば離れた場所に彼は座っている。鳶色の瞳が興味のあるものを観察するように見ている。


「細い腕でよくやる。度胸だけで殺し合いの中に入るからこうなる」

「止めたかったので」

「だろうな。あいつのあんな目を見たのは初めてだ」


 そう言って、思いだして笑う。その姿はどこかレヴィンにも重なる、少し無邪気な感じのある笑みだった。


「気に入ったのは本当だ。だから猶予をやった。あんたの傷も治療したから、大人しくしていれば塞がる。こんなこと、普段はしないんだぞ?」


 なんて、小さな頭を僅かに傾げて言っている。危険な人とはとても思えない、憎めない様子だった。

 体をどうにか起こすと、水を手渡される。受け取るのに視線を向けたその目に、赤い色が映った。


「怪我、してる」

「ん? あぁ」


 何でもないような顔をしているが、血がまだ流れている。腕の傷は簡単に布で縛っただけだ。


「ダメです、もっと強く縛らないと血が」

「どっちにしても止まらない」


 そう言い切った人は、緩く悲しい笑みを浮かべた。


「止まらない?」

「あぁ、止まらない。どこを縛ろうがな。ほら、高い部分でも縛ってるだろ?」


 言われてみればちゃんと止血点を縛っている。それでも血は止まらない。そんなに大きな傷ではないのに、まだ滲んだものが白い布を汚している。


「止まらないんだよ、この体は。もうダメなんだ」

「どういう、事ですか?」


 喉の奥が鳴る。怖いのだ、何かが。この人とレヴィンとの共通点を知るからこそ、何かが。

 グランヴィルはシリルを見つめ、ベッドの脇に腰を落ち着けた。自分を襲った殺し屋だというのに、シリルは不思議とこの人が怖くなかった。


「俺達の事は、知っているんだな」

「はい」

「俺達の命が他より短いことは、知っているか?」

「え?」


 静かに吹き込まれる事に、シリルは目を見開いて首を横に振った。

 知らない、そんな事。過去を話してくれたけれど、そんな事は一言だって……。

 でも、そこかしこに散らばっていた。『人体実験』という言葉。


「まさ、か……」

「思い当たるのか」

「だって、優秀な暗殺者だからこそ薬の実験には!」

「それは微妙にずれている。優秀だったのは暗殺だけじゃない。薬の適合者としてもだ」


 痛む心臓を握るように服を抱く。じわりと傷から血が滲んでも、今はちっとも痛くはなかった。


「俺達に投与されていたのは、傷の回復を早くする薬だ」


 グランヴィルは静かに話し始める。シリルはそれを、胸の痛い思いで聞いていた。


「詳しくは知らない。だが大抵の子供は投与されると血が止まらなくなって死んだ。傷からじゃない。全身から血が滲んで、穴って穴から垂れ流しだ。あれは流石にしんどい」


 思いだして辟易とした様子だ。だが、この程度なのだろう。散々見てきた人の抱く恐怖は、かなり麻痺しているようだった。


「ある程度の改良ができた薬は、俺達に投与された。激痛にのたうったが、命までは取られなかった。そして数日後にはバカみたいに早く走ったりできるようになった」


 「そうやって、無理矢理体を作り替えられた」と、グランヴィルは静かに笑う。諦めるように、小さく低く。


「六枚の羽根は六回の投薬に成功した証だ。俺達の傷は恐ろしい速さで治る。レヴィンもそうだろ?」

「あ……」


 言われると、そうかもしれない。早く治る事を喜んだし、レヴィンは「ロアール医師の腕がいいから」なんて言っていた。けれどそれにしてもおかしいと思わなければいけなかったんだ。


「だが、こんなのが普通の人間であるわけがない。傷の回復を早くさせるのは命の前借りだ」

「命の、前借り?」

「傷つけば勝手に早く治す。だが徐々にガタがくる。こうして、血が止まらなくなってくる」


 未だ滲むその赤は、この人の命が溢れ出ている。そう思うと怖くて、悲しくて、シリルは咄嗟に傷を布で抑えた。それでも、新たな布も染まっていく。

 「くくっ」と、低く楽しげな声がして頭をポンポンと撫でられる。ダメになっていくのに、まるで人ごとのようだ。


「どうして笑うんです!」

「いや、あまりに可愛い反応をするから。優しいんだな、あんたは」

「優しいなんて、そんな! だって! だって……」


 同じだ、レヴィンと。大事な人と同じ顔をする。表情は違うけれど、感じる痛みや悲しさは同じだ。


「俺の体はもうだめだ。多分、一年も生きられない。レヴィンはまだ無事だな?」

「多分……」

「それならいい。あんたも、これ以上あいつを使うなよ」


 そう言いながら、またポンポンと頭を撫でる。シリルはこの人の心が分からない。攫った人なのに、こんなに優しいのだから。


「グランさん」

「レヴィンがきたら一緒に帰りな。俺は疲れたから、あいつに始末を頼みたかった。報酬もあるからって言ってくれ」

「始末って!」

「……生きたかっただけだ。拾った人間が極悪人でも、結局ここから足を洗えなかったとしても、生きてみたかった。何かを……人らしいものを見つけたかった」


 グランヴィルは小さく言って笑う。また、寂しそうに。柔らかく。


「終わりの見えた命を感じて、最後に復讐してやろうと思ってな。俺を結局使い捨てにした奴の末路を直接見る事はできないが、あの世は見通しがいいだろうし、高みの見物をしようと思う。あんたなら、それができるだろ?」

「どうしてもっと、穏やかに出来なかったのですか?」

「昨日の事か?」

「はい」


 死にゆく身を知って、諦めていると言って、憎い相手に復讐をすると言う人の、昨日のあれは腑に落ちない。

 言えば複雑な表情をしたグランヴィルの、苦く悲しく寂しく嬉しい笑みを見た。


「嫉妬した。同じ天使だったはずなのに、あいつは沢山の宝物を手にした。それが羨ましかったのと……始末を頼むんだから、恨んでもらう方が楽だからな」

「レヴィンさんにこれ以上人殺しなんて。友達を殺させる事なんて、させたくありません」


 悲しむのは分かっている。優しくて傷つきやすい人だから、それでも平気な顔をする人だから。

 真剣な鳶色の瞳が見下ろし、少し離れる。そして、無造作に置いてあったシリルの剣を前に置いた。


「それなら、あんたが始末をつけてくれ」

「え?」

「あいつにさせられないなら、あんたしかいない。流石にここまで生にしがみついたから、俺は自分を殺せなかった。これでも悩んで、あいつを選んだんだ」

「グランさん……」

「土産は懐かしい我が家の底に眠ってる。俺は間に合わなかったが、あいつやフェリスならまだ間に合うかもしれない」

「何の事ですか?」

「行けば分かるさ」


 にっこりと笑った人は、不意に顔を赤らめる。そしてぼそりと「友……か」と呟いた。とても気恥ずかしそうにするその姿は、とても悲しく映り込んだ。

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