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学祭が終わって家に帰ると、なぜか母さんが塀に寄りかかって待っていた。俺の存在を認知するや否や、顔を見てギロリと睨みつけてくる。
「た、ただいま……。どうしたのさ、こんなところで」
「お祭りが楽しすぎて、なにを拾ってきたのやら」
塀に寄りかかっていた体を起こし、俺の目の前に立ちはだかった。
「はじめまして、優斗のお母さん。って言っても、歓迎されていないみたいだね」
俺の声で博仁くんの言葉が告げられたことに、心底驚くしかない。
(なんで!? ってあれ……)
声が出せない――それだけじゃなく、体も自分の意思で動かせなくなっていた。
「優斗のバカ。乗っ取られたんだよお前」
母さんのセリフですっと青ざめたけど、既に遅いのは明白だった。いつの間にかあの緑色の炎が、俺の手に出ている状態だった。
「アンタ、それはっ?」
「優斗のお母さんなら、これを受け取っても平気ですよね。名のある霊能者なら、これをどうやって受けてくれるでしょうか?」
言い終わらない内に、母さんに投げつけられる炎。だけど手に持っていた数珠を使って、瞬く間に光り輝く大きな結界を張り巡らせた。
(――母さんっ!)
だけどそれは炎によって、簡単に燃やされてしまった。メラメラと紅蓮色に燃え尽きて、いとも簡単に結界が壊された。
「優斗、なにボケッとしてるのさ。さっさとそんなヤツ、体の外に追い出しな!」
そんなことを急に言われたって、追い出し方が分からない――。
(博仁くん、母さんに向かって、いきなり炎を投げつけるなんて酷いじゃないか!)
追い出し方が分からなくても、文句なら言える。説得して、これ以上の攻撃を止めさせなくては。
「君のお母さんから、攻撃をしようとしていたんだよ。その証拠に見てごらん。あの手に持っている数珠を。実の息子を待ちながら、持っているべきものではないだろう?」
(そ、れは……)
「優斗の姿形をしていても中身が違うだけで、別人になるものだね。お蔭でこっちから仕掛けやすい」
なにかの術をかけようとした母さんに向かって、再び放たれる緑色の炎。
(止めてくれ博仁くんっ。母さんは悪くないのに――)
話し合えば、きっと分かってくれるハズだよ。
心の中で必死に叫んでみてもスルーしたまま、母さんへの攻撃の手を緩めてはくれなかった。
「優斗の力を使って、そんなモンを出すんじゃないよ。忌々しいコだね、アンタ!!」
「さすがは優斗のお母さん。全部弾いてくれるなんて、凄いですね」
なんで、こんなふうに争わなきゃならないんだ。自分の体を使って母さんに投げつけられる炎が、憎くて堪らなくなってくる。これさえなければいいのに。
(もう……もうやめてくれって!!)
俺の体を気遣って、ひたすら攻撃を受けているだけの母さん。一緒に霊を浄化しようと言ってくれた博仁くん。そんなふたりの争いを見ていたくないと、心の底から強く願った。
次の瞬間、体の重みをズシッと感じて跪くと、目の前に博仁くんの霊体が横たわって現れた。
「あ……?」
目の前にいる博仁くんを不思議に思いながら、体を触って自分が戻ってきたことを実感する。
(くそっ! もう少しだったのに……)
「優斗、そこを退きなさい。今から除霊する」
「待って、それなら俺が」
「お前は知らないでしょう? 浄化の方法しか」
俺を突き放すような物言いに急いで立ち上がり、博仁くんの前に立った。
「いきなり除霊なんてあんまりだ。彼の願いくらい、最期に聞いてあげてもいいだろう?」
「優斗、はじめに教えたことがあったでしょ。それはなんだい?」
忘れもしない――常日頃から言われ続けられている言葉だから尚更。
「いつ如何なるときでも、油断をしないこと。情に流されないこと……」
「お前はその大事なふたつの約束を破った結果、体を乗っ取られちまったんだよ。危険な霊だと、全身で感じとっていただろうに」
(優斗……済まない)
言いながら俺の右足首を、ぎゅっと掴んだ博仁くん。次の瞬間、頭の中でバチッと火花が散った。
「!!」
「あっ、コラッ! 待ちなさいっ!」
息が詰まってその場にしゃがみ込むと、母さんが舌打ちしながら崩れてしまった体を抱きしめてくれる。頭がクラクラする上に、少し吐き気もした。
「大丈夫かい、優斗?」
「う……なんとか、ね」
「まったく。お前に釘付けだったお蔭で、まんまと逃げられちゃったよ。油断した」
――そっか、逃げることができたんだ。
「なんだい、その安心しきった顔は。自分の霊力を奪われたというのに」
(――俺の霊力が奪われただって!?)
告げられた事実に、唖然とするしかない。
母さんに抱えられながらゆっくりと立ち上がり、家の中に連れて行ってもらって、玄関傍にある仏間に仰向けで横たわった。
「お前が今こんな状態になったのも、あのコが一気に霊力を奪ったからだよ」
「……信じられない、そんな」
「正直、そこまで霊力がないからこそ、こういう技を使えるようになったんだろうね。優斗、目を閉じなさい」
枕元に座った母さんが、額に手を当ててくれる。言われた通り目を閉じたら、あたたかいなにかが体の中に染み込む感じが伝わってきた。なんだか、温泉に入ってる気分みたいだ。
「お前はあの炎を手渡されたら、使ってみたいと思う?」
唐突に訊ねられた言葉に一瞬考えてみたけど、迷うことはなかった。
「使わない。博仁くんは命が危なくなったから使ったって言ってたけど、同じ状況になっても、きっと俺は使わないと思う。基本、ビビリだし」
「ビビリでもいいんだよ、それで。体が教えてくれただろ、これはヤバイものだって」
「うん。背筋がゾクゾクした。俺が触れちゃいけない物だって直ぐに分かったから、博仁くんには悪いけど放り投げちゃってさ」
なんとも、後味が悪いとしか言いようがない。
「霊能力があるからこそ、そのヤバさは否応なしに分かるハズだよ。それに手を出したら、命の保障がないってこともね」
「命の保障?」
「ああ。あれは自分の命を削って霊力に変換させて、地獄から貰い受ける炎なんだよ。そのコの寿命が、一瞬だけ長らえただけということさ」
そんな……自分の寿命が縮むことが分かっていながら、地獄の業火に手を出したなんて――ひとえに、堕ちた霊を除霊するためだけに。
そして今もなお博仁くんは俺の体を使って、除霊しようとしていた。彼をそこまで駆り立てるものって、いったいなんだろうか?
「さてと。私の霊力を、ちょっとだけ移植してやったよ。もう立てるだろ?」
「うん……」
本当はお礼を言わなきゃならないんだろうけど、そこまで気持ちに余裕はなかった。今まで自分がやって来た浄霊が、中途半端すぎて情けないと思ったから。
「吸い取られた霊力も、お前だと一晩寝たら元に戻っているだろうから安心しなさい。それと――」
「なに?」
体を起こして顔だけ振り向き母さんを見たら、少し浮かない顔をしていた。
「優斗の体に入れないように、仕掛けを施したよ。もう、あのコと付き合うのは止めなさい」
「……どうして? だって博仁くんは霊体になっても、堕ちた霊と戦うって言ったんだ。俺はそれに賛同した。力になりたいと思ったから」
「そうしてお前は霊力を吸い取られ、やがて同じように霊体なる運命に、引き寄せられるかもしれないのに?」
その言葉にくっと息を飲み、顔を背けるしかない。
「やれやれ……。やっと訪れた反抗期が命がけって、どうしたら止められるのやら」
ため息混じりの困り果てた母さんの様子が、ひしひしと伝わってきた。俺だって、ムダなことをしたいワケじゃない。ただ、博仁くんの熱意に応えたいだけなのに。
「すっごい怖がりでビビリのお前が、あのコに憧れる気持ちは分からなくはないよ。だけどね師匠として母親として、間違った道に行こうとする可愛い息子のことを考える、私の気持ちも考えてちょうだい」
「母さん……」
「お前の霊力を一時的に奪ったところで、あのコはいずれ堕ちた霊になる。堕ちた霊になって、お前を食らいにやって来るんだよ」
そんな――博仁くんが堕ちた霊になるなんて。
「それか堕ちた霊になる前に、堕ちた霊に食べられるか、どちらかだろうね。だから関わるんじゃない、優斗。頼むから……」
涙声の母さんが、後ろから俺の体をぎゅっと抱きしめてきた。だけどそれをさっと振り解く。
「優斗――?」
「悪い……俺は今まで知らなかったから。浄霊以外の術も自分の体を抜け出して、霊体になることもなにもかも知らず、キレイな部分しか見てこなかった。堕ちた霊がいるなんて、全然知らなくて」
それを一番最初に教えてくれた博仁くん。たとえ彼が堕ちた霊になったとしても、自分ができることをしてあげたいって思う。
「それは力を使う上で、踏んでいく段階があるから、私はあえて教えなかったんだよ。まずは、正しい力の使い方を知らなければならなくて」
「母さんの言いたいことは分かる。だけど俺はショックだった。自分が今までやってきたことが、無意味に思えてならなかったんだ……。だからもっと」
強くなりたいと願った。博仁くんのように――。
立ち上がって、仏間から2階へと一気に駆け上がる。そして自分の部屋に閉じこもった。
この先どうやって力を使っていくかを迷ってしまい、布団を頭から被り、暗闇の中に身を置くしかできなかった。