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第6話




 レストランを出てデスクに戻った時にはもう、私は真っ白に燃え尽きていた。

 ぐったりと魂の抜けた私を不思議そうに見る部長の表情は何故か可愛らしい。しかしそれはそれとして、いい加減に自覚して欲しい。己の美しさを。

 ついじっとりとした目線を向けてしまった私に、あどけない部長の瞳が瞬く。まるで幻だったのかと思うほど、そこには欠片の冷たさも残っていなかった。

 午後の課業が始まってすぐ、部長が席を立った。

「悪い。一時間だけ打ち合わせに出てくるから、ここで待っててくれるか」

 部長の言葉に顔を上げると、入口付近にいかにも重役そうな男性社員が数人集まっている。

 なるほど、お偉いさんだけの会議だ。

「わかりました」

「悪いな」

 素直に頷くと、部長はもう一度申し訳なさそうに謝って離れていく。

 若くて綺麗な部長がいかついおじさ……おじ様方の輪に入るとやっぱり違和感がすごい。

 そんな失礼極まりないことを考えながら、誰よりもピンと伸びた背中を見送り、私は手元の資料へと目を落とした。



 初めて訪れた支社のフロアを、一人でふらふら歩きまわる度胸はない。

 だから大人しくここで部長の帰りを待機しよう。午前中に学んだことを振り返り纏めながら、そう、部長の帰りを待っていたのだけど。

(部長、遅いな……)

 じっと液晶ばかりを見つめていた目が疲労感を訴えて、目頭を揉みながら時計を確認すると、部長が席を離れてからもう一時間半が経とうとしていた。

 打ち合わせ、長引いてるのかな。

 それ自体はよくあることだし、あまり来る機会のない場所での会議となれば、尚更なのかもしれない。

(うーん……)

 自席で控えめに伸びをする。集中力が切れると同時に喉の渇きを覚えて、凝り固まった首や肩をぐりぐりと解しながら席を立った。

 デスクルームを出て廊下を歩くこと暫く。お茶を一杯貰おうと給湯室までやって来た私は、ドアの手前で足を止めていた。給湯室の中からは、微かに話し声が漏れ聞こえてくる。どうやら先客が居るみたいだ。

 さすがに良く知らない支社の勝手の分からない給湯室。知らない人が、それも複数人居るところに入る胆力は持ち合わせていない。

 とはいえこのまま席に戻り、十分も経たないうちにまた離席するのもなんだかなあという感じである。

 どうしよう、出てくるのを待つ? でも鉢合わせるのもちょっと。

 そう入口の側で悩んでいると、話が盛り上がっているのか中からひと際興奮した声が聞こえてきた。

「え、東雲部長って、あの本社の!?」

 キャア、と色めき立つ声に、良く知った名前。思わずピタリと動きを止めてしまう。

「そうそう、初めて間近で見たんだけど、ほんっっと美形だった……」

「えええ、いいなあ~!」

 中に居るのは女性社員二人のようで、私の存在に気付くはずもなく会話は続いていく。

「でも、思い切ってお昼誘ってみたんだけどバッサリ断られちゃった。にこりともしてくれなくて……」

「へえ。普段はよく笑うところ見かけるのにね。……じゃあ、あの噂は本当なのかなあ」

 噂?

「噂?」

 心の声がもう一人の女の子と重なる。

「二重人格って噂。人によって別人みたいに態度が変わるんだって」

「えー! 私、何もしてないのに……」

 そっと潜めた好奇心を隠しきれない声に、しゅんと萎んだ落ち込み声。

 大丈夫ですよ。つい、そう声をかけたくなってしまった。

 だって、部長のあの態度は貴女にだけではないから。それに彼は、二重人格なんじゃなくて──、

 ふと、静かだった廊下がにわかに騒がしくなる。ハッと振り向くと、会議を終えたらしい東雲部長が、お偉いさん方を後ろに引き連れながら戻って来るところだった。

 まだ距離があるのにぱちりと視線がかち合った気がして、慌てて頭を下げてその場から離れる。もう、飲み物は諦めよう。

「いいよね、あの子。ほら、東雲部長と一緒に来てた……」

「ああ! 本社人事、唯一の女子でしょ?」

「そう。あの子ってさ……」

 去り際聞こえてきた会話を振り切るように足を踏み出す。けれど胃の腑は落ち着かなくて、私は無意識のうちに下唇を噛みしめた。

 何がいいもんか。

 女嫌いの上司に、こっちはいつ見限られるかと、毎日ヒヤヒヤしているのに。



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