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9話(2)お前だけ無傷なんて許せん?!一度泥にまみれたらもう関係ない?!


 閉められてしまった。



 私にはセクシュアルコンセントを説いたくせに、如月自分は全然、守っていないじゃないか。説得力に欠ける。何かが起こっているであろう扉の向こうを見つめる。小さな物音がするだけで、2人の声は特に聞こえない。



「ん~~どうしよう?」



 一度片付けた勉強道具を再び広げ、問題を解いていく。1時間程経ってから、満足気な顔をした如月が脱衣所から出てきた。何かをゴミ箱に捨て、お茶を飲みにキッチンへ行った。



「お兄ちゃんは?」

「お風呂入ってます」

「そっか、先寝よっかな~~」



 30分後ぐらいに兄がお風呂から出てくると、俯き加減にリビングの隅に腰を下ろした。兄の顔は少し生気がない。放心状態に見える。



 野暮なことは聞かない方が良さそうだ。気まずいのは私より兄の方かもしれない。



「先に寝るね~~あ、私、洋室で寝よっか?」

「……お気遣いなく」

「卯月さん、おやすみなさ~~い」



 如月がにこやかな笑顔で手を振ってくる。上機嫌だなぁ。



(あ、保護者宛のプリント渡し忘れたなぁ)



「おやすみぃ~~」



 私は居てはいけない空気を読み、颯爽とこの場を離れ、和室の布団へ潜り込んだ。



 *




「大丈夫ですか? まだ一線は越えてませんよ」



 冷たい水の入ったコップが頬にあたり、俯いた顔を上げ、コップを受け取った。



「あ……うん」

「……イヤだった?」

「え?」



 不安そうに目線を下げ、如月が俺を見つめる。イヤなんかじゃない。むしろ良かった。でも正直に伝えるのはなんとなく恥ずかしくて、頬が染まる。



 頬が指の背で優しく撫でられ、口元が緩む。



「……想像と違って……驚いただけ」



 火照った体に水を流し込む。空になったコップを床へ置いた。



「そうですか。イヤじゃなかったのなら良かった。では、私は寝ます」

「いやいやいやちょっと待って!! 何寝ようとしてるの?!」



 何事もなかったかのように寝ようとする如月の肩を掴み、引き留める。体の内側で巡る如月への熱情はどうすればいい? 如月にだって満足してほしい。



「え? 睦月さんはスッキリして満足したでしょう? 私はただ、疲労しました。だから寝ます」



 なんだその言い方。腹が立つな!!!



「本当は満足していないんじゃないの? ねぇ?」

「き…気持ちが通っていれば、それで満足なので……」



 掴んだ肩を強引に寄せ、こちらを向かせる。俺の方を向いた顔は微かに赤みを帯びていて、更に掻き立てられた。



「俺は……もう少しシたいというか」

「は? 何言って……一度はスッキリしているんだから、あとは自分でどうにかしてくださいよ。私は寝ますって」

「それはひどくね?」



 肩を掴んだ手を如月が無理やり外そうとしてくる。そんなのやだ。如月の両手首を掴み、床にゆっくり押し倒す。



「いやいやいやいや、何して!! 寝ますよ、私は!!」



 ーースパン



 勢いよく和室の襖が開いた。



「…………」

「…………」

「あ、お構いなく」



 卯月の微笑みが怖い。スクールバッグから、プリントを取り出し、俺に見せた。



「受験のストレス緩和? 収穫の喜びを知ろう? 保護者と一緒に田植え農業体験?」

「小学生みたいですね」



 如月の手首を離し、プリントを受け取る。プリントに目を通していると、如月が身体を起こした。逃げたぁ。



「星奈が参加するって言ってたから私も行きたいんだけど」

「なるほど。いってら」



 如月にプリントを回す。じぃっとプリントを真剣に読んでいる。



「如月は先生に『お父さん』って言っちゃったから絶対参加ね」

「保護者2名までですね。1人足りないなぁ」

「マジか……」



 田植えを想像しただけでどっと疲れる。



「やったぁ~~今週の土曜日よろしくね!」



 卯月は嬉しそうに和室へ戻って行った。



「萎えた。寝る」

「寝ましょ、寝ましょ~~」



 如月に背中を押され、和室へと向かった。



 *



 ーー田植え当日、早朝



 現地集合のため、予め用意しておいたレンタカーで農場へ向かう。今日は雲ひとつない晴天で、日差しが強い。半袖半ズボンで田植えをするにはもってこいの気温だ。



「晴れて良かったね!」

「メインは卯月さんが植えるんですよね?」



 如月が車の中で指輪とメガネを外している。泥で汚したくないらしい。



「保護者一名までなら田植え出来るらしいよ」

「睦月さん、頑張ってください~~」

「お父さん頑張れ」



 小さな農場に着くと現地は同級生と保護者で賑わっていた。みんな、父親と母親が参加しているのを見ると、両親が亡くなっていることを思い知らされ、少し寂しくなる。



「卯月ちゃ~~ん!」

「星奈! 星奈が誕生日にくれたタオル持ってきたよ~~!!」



 駆け寄ってきた星奈に、誕生日プレゼントで貰ったタオルを見せた。



「確実に泥で汚れるじゃん……」



 冷ややかな目で私を見つめる。そこまで考えていなかった。ごめん。



 兄と如月が私の元へきた。顔立ちが綺麗で背の高い2人は結構目立つ。友達からの鋭い視線を嫌でも感じる。



「これに入るんですか……」

「私は結構楽しみだけど~~」



 如月があたり一面に広がる泥を見つめている。私も一緒に田んぼを見つめた。いつも行事は兄と2人で参加してきたが、今日は3人。胸が躍る。



「ではみなさ~~ん! 裸足で田んぼに入り、苗を植えていきます。30センチ四方にひとつずつ植えてくださいね~~!」

「この私に泥の中へ入れというのか……」



 配られた苗の束を手に持ち、泥の中へ足を踏み込む。体重で、どんどん沈み、足が取られてしまう。動かなくなると反対の足を踏み出し、一歩進む。足の裏からは時々石の感触がする。



 日差しは暑いが、泥は冷たくて、気持ちがいい。



「私だけにさせる気?」



 泥の中へ入ろうとしない如月を見る。周りを見渡すと親子で田んぼへ入り、苗を植えていた。



「入ればいいんでしょ!! 入れば! もうっ」



 如月がゆっくりと田んぼへ入り、私の背中を追ってくる。足元がふらつく姿は鈍臭そう。



「髪の毛縛ってこれば良かった……」

「ほら、植えて!」



 私の後ろに追いついた如月に苗を渡す。如月が一歩先へ踏み込もうと瞬間、バランスを崩したのか、私の肩を掴んだ。



「ちょっーー!」



 バシャッ



 案の定、肩を掴まれたことでバランスを崩し、尻餅をついた。冷たっ!!! 下半身に泥が付いた。



 自分如月泥がついてない無傷とか許せんな……。



「自分がバランス崩したからって私を掴まないでよ!」



 思いっきり、如月を手で押す。天誅!!!



「やめーー」



 バシャ



 如月も泥の中に尻餅を付いた。心なしか、目は怒りに満ちている。



「あぁ~~手が滑りました」



 べちゃ



 私の肩に泥の塊が意図的に落とされた。なっ!!!!



「最近家の中でイチャイチャばっかりして!!!」



 こっちの身にもなれ。泥団子を如月に投げつける。



 べちゃ



「なら、言わせてもらいますけど~~先月いくらお小遣いあげたと思ってるんですか!!」



 べちゃ



 泥団子を投げ返され、Tシャツがドロドロになる。もう、こうなったら関係ない!!



「お兄ちゃんケチだから毎月5000円しかくれないもん! 私知ってるんだから! 小説ドラマ化されたりして、お金いっぱいもらってるんでしょ!」



 べちゃ



 貰った苗をそのまま田んぼへ差し、両手に泥団子を持ち、如月に投げつける。



「勝手に人のこと調べないでください!!」



 べちゃ



 如月もまた、束になっている苗を田んぼへそのまま差す。如月も私も両手に泥団子を持ち、投げつけ合う。顔についた泥を肩で拭った。お互い全身泥だらけだ。



「佐野さん、苗を植えてくださいーー」



 先生に注意された。私たちは投げつけ合いをやめ、再び苗を植え直す。



「如月のせいで泥だけになった~~」

「早くシャワー浴びたい……」



 苗を植え終わり、田んぼの外へ出る。兄が呆れた顔でしゃがんで待っていた。



「もぉ、何やってんの?」

「「べつに!!!!」」

「次は泥んこレースで~~す! 兄弟、中学生、ご両親の順に行います~! まずは兄弟から行います! 一番を取った方にはお米1キロプレゼントで~~す」

「米、1キロ……だ……と?」



 メガホンから聞こえる先生の声に兄の目の色が変わる。ギラギラとした、獲物を仕留める目つきだ。



「お兄ちゃんなら獲れる」



 兄弟の部で24歳の兄が出るのは反則にも思える。



「兄弟の方は田んぼの中へ来てください~~」



 兄が躊躇なく、田んぼの中をズンズンと進んでいく。走りやすそうな真ん中のポジションを陣取っている。



「完全に獲物を狙う目をしていましたね」

「如月のこともあーいう目でお兄ちゃん見てるよ」

「いや、まさか、そんなはずは……」

「位置について、よーーいどん!」



 掛け声と共に旗が上がり、横並びになった兄弟とされる人たちが泥の中を真っ直ぐ走り出した。




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