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9話(4)消えた如月。戻ったはずの日常。如月の居ない生活はもう私たちの日常ではないーー。



「やっと見つけたよ、弥生」



 照りつける日差しが遮られ、自分の目の前が暗くなった。しゃがみ込み、地面を見つめていた顔を上げ、日陰の主を見る。



さつき……」



 1番この世で不愉快な女に会ってしまった。生気を失っていた目に力を入れ、睨みつける。



「そんな怖い顔で見るなよ。まだ怒っているのか? 軟禁したこと」



 悪びれることなく、薄ら笑みを浮かべている。



「原稿、出来ているのだろう? 見せてよ、弥生」

「触るな、けがらわしい」



 頬に触ろうとした皐の手をはたき、振り払う。



「担当変えの要望は出したはずだ。二度と顔を見せるな」



 少しずつ、立ち上がり、皐を威圧する。



「あーーそんなもの取り下げたに決まってるじゃないか。私だけの弥生なのだから」




 作家になってしばらくした頃、彼女の仕事に対する情熱、そして私と、私の小説への愛に惹かれて付き合った。



 一定の住居を持たず、フラフラしていた私は、自ずと同棲した。そして、本が売れれば売れるほど、彼女は狂気なほど独占欲に満ちていった。



 生活を縛られることに疲れ、別れを告げれば、外出を禁じられた。部屋に篭り、ただ、執筆をする毎日になった。いくあてもなかった私は、2人で住んでいた家を出ていくこともしなかったのだ。



 軟禁されるまま、執筆した愛憎や嫉妬に満ちた泥々の不倫小説は奇しくもドラマ化されるほどヒットした。



 結局、私は彼女との生活が嫌になり、別れることもきちんとせず、決着をつけないまま、逃げ出したのだ。



 逃げてばかりの自分に嫌気が差す。




「ほら、帰ろうよ。弥生」



 突然、私の左手の掴み、手にはまる指輪をみて皐の眉間に皺が寄った。



「何これ。執筆の邪魔になるから指輪はつけない主義じゃなかった?」

「離せ」



 振り払おうとするが、離してもらえない。皐の指先が指輪に触れた。




 するっ。




 睦月さんとの指輪がーー。




「何してーー」




 指から抜けた指輪は皐の手を離れ、道路に落ち、転がり続ける。もはや、どこへ転がっていったのか分からない。




 あぁ、睦月さんが初めて私にくれた贈り物だったのに。




 指輪を失った悲しみと今まであったものが無くなった喪失感にさいなまれる。




「要らないよね、こんなもの。いくところもないのだろう? 行こうよ、弥生」




 皐に手を引かれるがまま歩く。

 停められた車に乗せられた。




 振り払っても良かったが、別れを告げただけで、皐は了承していない。このと決着をつけなくては、睦月と合わせる顔がない。




 思えば親に小説家を反対され、逃げるように家も出た。私は逃げてばかりの人生だ。今更だが、ひとつずつ、向き合うことは出来るだろうか。




「どこいく気……」




 私が突き飛ばし、怒りと悲しみの入り混じった睦月の顔が頭から離れず、睦月の笑顔が思い出せない。睦月さんとはいつ会えるだろうか。




「どこって、忘れたのかい? 私たちの懐かしい愛の巣だよ?」




 あぁ、これは中々帰れそうにないな。車内から、流れゆく景色を見つめた。







「追いかけないの?」



 私は襖の隙間から一部始終を見ていた。兄が如月にキスしていく場面はすごくドキドキしたが状況は一変した。



「スマホも財布もここにあるし、帰ってくるだろ」



 なんだか胸騒ぎがする。



「出会った時、何も持っていなかったし、そういう概念はないと思うけど……私、探してくる」



 こういう、嫌な予感は必ず当たる。スニーカーに履き替え、家を飛び出した。



 出会った公園、コンビニ、近くの道路、思い当たる近所を全て走り回り、探す。



 居ない。



 どこにも居ない。なんで? 如月が出て行ってから、そんなに時間は経っていない。そこまで遠くにはいけないはずだ。



 ふと道路の隅で光るものが目に入り、近寄って手に取る。ダイヤカットのされた黒い指輪だ。直感的に、如月のものだと思った。 



「なんでこんなところに……」



 如月の性格からして、自暴自棄になって捨てるようなタイプではない。何かあったと考える方が妥当だ。私はポケットに入っていたハンカチに指輪を包み、家へ持ち帰った。



「お兄ちゃん……これ落ちてた」

「如月が捨てたの?」



 指輪を見せると、兄は寂しそうな表情を浮かべた。



「それはないと思うけど……」



 結局その日、如月は家に帰って来なかった。その次の日も、またその次の日も。ただ、いつもの日常に戻っただけ。そのはずなのに、心にはぽっかり穴が空いてしまった。



 如月の居ない毎日は寂しくて、会話もない。座っていると「卯月さん」そう言って後ろからいつも抱きしめてくれる如月。



 兄と如月はいつもくだらない言い合いをして、私が仲裁する。そんな日常が恋しい。



 兄のダメージは相当なようで、顔色も悪く、家事が疎かになったり、料理の調味料を間違えて作るなど、日常生活に大きな支障が出ていた。



「お兄ちゃん大丈夫?」



 如月がいなくなっても、兄は指輪もピアスも絶対に外さなかった。時々、親指の指輪をギュッと押さえている。



 願掛けをしているかのように。




「え? あぁ、大丈夫だよ」




 眉が下がり、口をつむって無理やり微笑む姿は今にも泣きそうだ。




「無理してる……帰ってくるよ、きっと」




 私は兄を抱きしめた。




「はは、そうだといいなぁ……」




 少しだけ兄の目から涙が溢れた。






 ーー平日オフィス昼休み




「お前顔ヤバいよ」



 神谷に言われなくても、分かっている。寝不足でクマはでき、頭痛もする。誰が見ても具合が悪いと思うだろう。



「あーーうん。ちょっと眠れなくなっちゃって。弁当作ってないんだ。社食行こう」

「マジで? 大丈夫??」



 心配されるまま、神谷と社食へ向かった。



 正直、食欲もない。食べたいものも特になく、1番安価なうどんを頼む。神谷は外の見える席に座っていた。うどんが乗ったお盆を持ち、神谷の隣に座る。



「別れたの?」

「んーー。迫ったら逃げられた的な……」



 我ながら言ってることが情けない。



「どうせ、迫って、逃げようとした相手を責めたんだろ」

「返す言葉がございません……」



 的確に突いてくる神谷の言葉に、何も言えなくなる。



「ていうか、同棲してたの?!」

「まぁ……そうなるのかな」



 その辺自分でも、同居なのか、同棲なのか、居候なのかよく分からない。



「家から居なくなって喪失感で死にそうだと」



 言葉を選んでほしい。そんな風に思う俺を無視して神谷は言葉を続ける。



「恋人何してる人?」

「小説家かな」

「へぇ、名前検索してみれば」 



 え……。



 今まで、『如月弥生』という人物を検索したことはなかった。素性のよくわからない小説家という感じで家に置いていた。



 一度は聞いたが、本人から自分のことを話してくれるまで、素性をそこまで詳しく知ろうとは思わなかった。



 何か手掛かりがつかめれば、という思いで、名前を検索エンジンにかける。



 何日も如月の顔を見ていない。最初は受け入れてもらえないという怒りで一杯だったが、今は不安な気持ちに切り替わっている。



「本当に本名だったんだ……」

「なんにも知らなかったんだな」



 驚く俺に神谷が呆れる。



「『如月弥生、その素顔とは。顔出しNG、噂によると、美しすぎる放浪小説家』だって……まぁ、間違ってはないかな……」



 今も誰かの元へ行ってしまったのか、と思うと胸が締め付けられる。



「お前……中々の有名人と付き合ってるんだな、引くわ」

「はぁ?」

「何年か前にヒットした、ドロドロのエロい不倫ドラマの原作の人だよ」

「へ……如月そんなこと一言も……」



 調べよう。スマホをスクロールして、情報を仕入れていく。



「なんかいっぱい小説出してる……俺が読んでいたのは趣味で出したものなのか……大した情報はないなぁ」

「そうだ、原稿! ないの? 持っていけばいいんじゃない? 担当に会えれば情報が手に入るかも!」

「俺、担当って見たことないけど」



 確かに原稿はある。持って行き、何か足取りが掴めれば、ラッキーだ。



「んーー、有休取って行ってみようかな」



 取り合ってもらえるかは別だけど、持っていく価値はあるかもしれない。少しだけ自分の中に活力が出る。




 自分が責めたことは謝るし、如月お前が俺を突き放したことも許すから。




 お願いだから、早く帰ってきてよ。如月ーー。





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