「あれは…桜吹雪舞う、4月のどんよりした曇り空の朝でした…」
吉良と2人で、照れる椎名さんを説き伏せ、結婚までのエピソードをねだってみたら…未来さんが出会いの頃にまで遡って話してくれた。
そんな前からの話はいらない…と言いかけた吉良の口を塞いで、話したそうな未来さんの言葉を促す。
「2週間の研修が終わったら、椎名瑠偉という男性モデルのマネージャーを務めてもらうと上司に言われまして、先に挨拶にだけ伺ったのです」
…………6年前
芸能事務所 オレンジスプラッシュ。
「はじめまして、常磐未来と申します!」
何人かいるタレントさんの中でも、群を抜いて輝いている人がいた。
あの方こそ椎名瑠偉さんだと当たりをつけて走り寄り、名乗りながら膝に顔がくっつくくらい頭を下げた。
「…だれ?」
金色に輝く金髪を無造作にかきあげる仕草がスターすぎて目眩がする…
「わ、私は…2週間の研修から戻って参りました後に、あなた様のマネージャーとして勤務いたすことが決定しております!そ、それを、ここにご報告すると共に…」
「…マネージャー?」
凛々しい眉がひそめられ、目元に不快感が浮かんできて、焦る。
「も、申し訳ございません!」
その場で即座に正座をして頭を下げた。土下座で不快をはね返してもらえるかわからないが、最上級のお詫びの仕方だと教わっている。
「…あ、未来ちゃんいたいた!」
土下座の最中だというのに、背中をトントンと叩かれ、私はどうしたらいいかわからず、固まる。
「…呼ばれてるけど?」
土下座の向こうで、思いがけない笑い声と柔らかい声がして、思わずパッと頭を上げた。
「マネージャーでしょ?わかったよ」
椎名さんはそう言って、私に向かって手をひらひらさせる。
それは追い払われている仕草だとわかったが、不快を爽快に切り替えてくれたならそれでいい。
………………
「あの時のサムライの切腹みたいな挨拶が忘れられなくて。なーんかクセになっちゃったんだよね」
「サムライ…ですか」
椎名さんの笑顔に、複雑そうな色を浮かべる未来さん。
「そんな切腹サムライが、いったいどの辺で女の子に変わったわけ?」
ストレートに尋ねる吉良に、椎名さんがわずかに赤くなる。
「まぁ…この見た目だしさ、初めから、か…可愛いとは、思ってたけど?」
確かに…!
未来さんの黒髪はストレートでサラサラで、メガネをかけているから目立たないけど、実はぱっちり黒目がちな可愛らしい顔立ち。
「でも…この性格が難点で、俺の気持ちはまったく伝わらなかったんだよな」
遠い目になる椎名さんを、未来さんは心配そうに見上げた。
「も、申し訳…ありません。いきなり近寄って来られたときは、具合でも悪くて、つかまっておられるのかと…」
それって…もしかして抱きしめられた時のこと?
「口元に生クリームがついてしまった時に唇がぶつかってきた時も、食後に甘いものを味わいたくなったのだと思いました」
「それ、キスだろ?」
少し気の毒そうに、椎名さんに確かめる吉良。
「あぁ…。生クリームにかこつけて、キスしたんだけど、これだもん…」
未来さんらしい鈍感ぶりが微笑ましいけど…男性同士の吉良からすれば、椎名さんの苦労は、聞いていて涙目になるらしい。
「…決死の覚悟で「可愛いね」って言ってみれば、後ろを振り返ってお婆ちゃんのことかって聞いてくるし…「好きだ」って言えば、目の前のお菓子のことだと思うし…」
「わかった。…よく、わかった。それで家に監禁したんだな?…後はもう、体でわからせるしかないよな?」
俺でもそうする…と言って、吉良は椎名さんに握手を求めた。
「本当に…本当に、申し訳ございませんでした。…6年間のご無礼、どうかお許し願いたく…」
ここまでの話で、未来さんは深く反省したらしい。椎名さんに土下座しようとする未来さんを、私は慌てて止めた…!
「椎名さんには…ずっと恋人がいらしたので、まさかこの私に、なんぞやの想いを巡らせてるとは…思いませんでした」
え…?!っと、私は吉良と目を合わせて驚いた。
「椎名さん、未来さんのこと好きだったのに…彼女は何人かいたんですか?」
「…あ、いや…それは、その…」
「遊びの彼女ですか?とっかえひっかえ…ってやつですか?」
見ると未来さんがちょっと下を向いて悲しそうにしてるから、つい私の語気も荒くなる…!
「…いや、その、まぁ…遊びで…。未来と、いろいろこじれたときかあって、ヤケクソで…」
未来さんの代わりに睨む私と、弱りきった椎名さんを交互に見て、吉良は苦笑い。
私の方は、ふと疑問がわいた。
「未来さんはどうだったんですか?ずっと椎名さんを…ただの所属タレントとしか思ってなかったんですか?」
とたんに熱を持つ未来さんの頬…
これはもぅ…答えを聞かなくてもわかるじゃないか…!
「ひ、一目惚れでした。いつもいい匂いがするんです。草原みたいな、草の匂い…っていうか、アジアみたいな、和…みたいな…」
「ベチバオね、ゲラムの」
「それです!今日も、いい匂いです…」
メーカーと商品名を教えた椎名さん…ちょっと困った顔になってる…!
「俺のこと好きって、ほとんど言わないよな?…いい匂いって、嬉しいけど、ベチバオは草原の匂いも草の匂いもしないから!」
誰か他のタレントの匂いなんじゃないか…と疑う椎名さん。
「い…いいえ。私の例えが暴力的に下手なだけで…椎名さんの匂いしか、いい匂いとは思いません。あと…」
すぅっと息を吸って、何を言い出すのかと思ったら…
「す、す、好きです」
未来さんを見つめる椎名さんの目が熱い!
「…ん?なんだかよく聞こえねぇな…」
「常磐、未来…椎名瑠偉を、す、す、す…」
「…酢?」
「違います!す…す…好きデス!」
もう私たちは、ニヤニヤするしかない…!