「そ、それじゃ……ど、毒を飲んじゃっ、たん……です、か?せ、先輩…大丈夫…なんです、か?」
学校からの帰り道、丈太の話を聞きながら、隣で驚いているのは後輩の牛圓藍である。あのサトイモ重人による市内での肥満患者激増から、既に一週間以上の時間が経過しているが、相変わらずその影響は大きいようだ。学校に来ている生徒は以前の三分の二ほどになっていて、学級崩壊寸前であった。
「まぁ、今の所はどこにも問題ないよ。食欲もあるからこの通り、体型も戻ったしね」
丈太が自分の腹を叩くと、ポヨンと柔らかそうに揺れる。蓮華の作ってくれた鍋一杯のお粥を食べきり、寝て起きてみれば案の定、身体は元の丸い体型に戻っていた。豪一郎から教わった極意の詳細については、まだ完全には把握できていないが、それは追々解って来るだろう。百葉の怒りが収まれば、豪一郎とも会話が出来るはずだ。
何しろ百葉の怒りは途轍もないもので、丈太が学校へ行く前に夫婦の寝室まで行っても凄まじい怒鳴り声が聞こえ、何かが壊れる音まで聞こえていた。丈太が倒れている間に始まったのだから、半日以上怒っている計算になる。
(流石に、家に帰る頃には母さんも落ち着いてるだろ……でも、落ち着いてなかったら、どうやって止めればいいんだ?)
相手は狂犬どころかメスゴジラの異名を持つ母である。その百葉がマジギレしている所など、未だかつて見た事がないのだ。当然、そうなった時の宥め方など、知る由もない。万が一の時には変身も止む無しかと、丈太は肝を冷やしていた。
「……ちっ、いい気になりやがって…!」
そんな二人を尾行し、一人悪態を吐いているのは、不良グループのリーダーである間ヶ部大翔であった。彼は偶然にも、これまでに複数あった重人達の魔の手に、一度もかかっていない人間である。恋人である胡桃沢エミと同様、カニ重人の時は課外学習に不参加で、キノコ重人とタケノコ重人が配った食べ物も口にしていない。さらにサトイモ重人の芋煮イベントにも参加していなかったのだ。
そもそも、大翔は食べるという事におよそ興味を持っていない人間である。それが故という訳ではないのだろうが、彼には一般的な人間の持つ食の楽しみというものがない。大翔にとって、食事とは単なる栄養補給の手段でしかなく、生命維持の為の栄養が摂れればそれでいいというタイプの人間なのである。
それは即ち、人間の三大欲求である『睡眠』『食』『性』の内の一つが欠けているということだ。そこに起因しているからなのか、彼は大抵の物事に感情を揺り動かさず、まともに感じるのはもっぱら、怒りや退屈といったものばかりであった。そんな人物であるからこそ、他人に対して優しくしようという思考もない。彼の頭にあるのはただ退屈しのぎの為に、他人や時間をどう使うかのみで、その相手は丈太に限らなかった。彼の人生において、気に入らない他人を虐げて遊ぶ行為は、何よりも楽しい娯楽だったのである。
そんな彼だからこそ、ハイカロリーの罠にかからなかったのだろう。当然それによって、他の生徒のように学校を休む事もなかったのだ。しかし、遂に最近、曲がりなりにも恋人であるエミまでもが学校に来なくなってしまった。その理由がなんなのかは知り得ていないが、自分の仲間…というよりも手下であった鮫島達が突然醜く太り、学校を休みがちになっていることと関係があるのだろう。
そんな風に、自分の周りで不幸な事が起こり始めたのは、丈太が反抗するようになってからである。直接の原因が丈太にあるとは思っていないが、玩具同然であった丈太が幸せそうにしていて、自分が弱っていくのは我慢ならないのだろう。大翔は、何か丈太の弱みになるものは無いかと考え、彼を尾行していたのである。
そして、二人とそれを尾行する大翔達がそれぞれの分かれ道に差し掛かった時だった。藍はバス通学なので、駅まで行けばそこからは丈太と別々である。丈太は徒歩で通学しているが、あえて藍がバスに乗るまで送っているのだ。見ようによっては大柄なカップルのように見えるだろうが、丈太の方に恋愛感情はない。というよりも、丈太は自分が人に恋愛感情を向けられると思っていないのか、逆に自分も初めから藍をそう言う目で見ていないようである。
しかし、二人に声をかけてきた男は、そう思ってはいないようだった。丈太達がバスターミナルに入る直前、そこで屋台を開いていたアロハシャツの男が妙なノリで話しかけてきたのだ。
「ハ~イ!そこのおっきな身体のカップルさん!どう?うちのココナッツジュース、飲んでいかない?カップル用のストローもついてくるよ~?」
「へ!?か、カカカカカカップル!?わ、わわたワタ私達、そそそそそそんな関係じゃっ!」
「牛圓さん落ち着いて、大丈夫だから。すみません、僕らはそう言う関係じゃないんで」
(あいつら、付き合ってるんじゃないのか…?ちっ、だとしたら女の方をあいつの前で襲ってもつまらないか。……ん?)
「おやおやおやおやおや!?そうかそうか、
「な、なんだこの人……っていうか、このノリ、凄く憶えがあるぞ…!?」
――丈太君、ドンピシャじゃ!その男、重人じゃぞ!急激にMBNの反応が上がっておる!
「や、やっぱり!?」
丈太が察した瞬間、栄博士から通信が入る。同時に、十一月という季節にそぐわない半袖アロハシャツをきた男の身体が、メキメキと音を立てて変化を始めていた。
「キャ~~~~ハハッ!ココナァ~ッッツ!!」
「こ、こいつは……!?牛圓さん、こっちだ!」
変化を終えて現れたのは、ココナッツの青くゴツゴツとした実を頭にしている重人…ココナッツ重人である。丈太は咄嗟に藍の手を引きその場から離れた。それに合わせて、周囲の人々も事態に気付き始め、帰宅時間で人が増えつつあったバスターミナルに緊張が走る。
その隙に近くの植え込みまで藍を連れていった丈太は、植え込みの陰に彼女を隠れさせると、ファイアカロリーへと変身すべく隣の公衆トイレへと駆け込んでいった。
「牛圓さん、そこに隠れてて!俺はトイレで変身してくる!」
「せ、先輩っ!き、気をつけてください!」
心配する藍の声を背中に受けつつ、トイレに入った丈太は素早く制服を脱いで鞄に押し込めると変身の掛け声を叫んだ。
「よーし!バーニングアップ!変身!」
――体脂肪率98%。FATエネルギー、フルチャージ。
トイレの中で赤い閃光が輝くのを、騒ぎ始めた外の人達は誰も気付いていない。
「な、なんだあいつは……コスプレ?いや、化け物か?解らないが普通じゃない……ん?あっちに居る男、なんだ?」
少し離れた場所から丈太達を尾行していた大翔は、初めて見る重人の存在に圧倒されながらも、じっとそれを観察していた。ちょうどその視界の隅には、カレーのような濃い茶髪の男……欧田華麗の姿がある。段々と騒ぎが大きくなる中で、欧田だけは腕を組んでニヤニヤと事態を楽しんでいるようだ。その存在に違和感を覚えていると、いよいよココナッツ重人が動き始めていた。
「コ~コッコッコ!いいねぇ、初々しいカップル!付き合いたての気恥ずかしさと、幸福感が伝わってくるんダヨ~ン!……だからねぇ、ぼっちと既婚者は要らないんダヨン!どうせあいつらは非生産的な真実の愛とやらを求めて、ありもしない夢みたいな相手を探し続けたり、パートナーを裏切って不倫しまくったりするんダヨン!そう言う不純な奴らはこの世に存在しちゃいけないんダヨン!」
何やら強烈に偏った思想を持っているココナッツ重人は、手近な人々の中から明らかに独身そうな人達や、既婚しているであろう人に向けて憎悪の視線を向けている。どうやら、彼は人を太らせようという以前に、他人を抹殺しようとしている風に見える。その狂気の視線を味わった人々は、蜘蛛の子を散らしたように一斉にその場から逃げ出した。
「待て!」
「む!?何者ダヨン?!」
「俺の力は正義の炎!脂肪と糖が明日への活力!燃やせ、命動かす無限のカロリー!俺は炎のダイエット
「むぅぅぅ!出たな、ファイアカロリー!お前の事は知ってるんダヨン、今日こそこのココナッツ重人がやっつけてくれるんダヨン!喰らえ、ココナッツ……」
「そうはさせるか!トオッ!」
逃げ惑う人達に被害が及ばぬよう、ファイアカロリーは先手を取って速攻に打って出た。あの
「い……痛ぇぇぇぇぇ!?な、なんだその頭、スッゴイ硬い!?」
「コ~コッコッコ!ココナッツの殻を甘く見たんダヨン?この装甲は戦車の砲弾だって弾き返す硬さなんダヨン!まだ試してないけど、きっと弾けるんダヨン!お前のヘナチョコパンチなんて効くわけないんダヨ~ン!」
「そ、そんなバカな!?」
見た目とは裏腹な思わぬ強敵に狼狽えるファイアカロリー。こうして、緊張感のない戦いが今日もまた始まったのだった。