全速力で教室まで走り抜けたお陰か、ギリギリ遅刻せずに済んだ二人はほぼ同時に教室に飛び込み、事なきを得た。ぜえはあと息を切らしに切らしながら、よろよろと自分の席に座ると、周りの生徒に「大丈夫?」だの「間に合って良かったね」などと励ましなのか、からかいなのかよく分からない声を掛けられる。それに乱れ切った息の下で何とか応えていると、すぐに松井が入って来た。いつものようにホームルームを始めようとした松井は、涼佑と直樹がいやに息を切らしていると気が付いたのか、「おお、どうした二人とも。大丈夫か?」と心配そうに声をかけてきたが、それに涼佑も直樹も「大丈夫です」ときっぱり言って、これ以上自分達に構わないでというオーラを出す。それを察知したのかそうでないのか、松井は「お、おう。落ち着いてな」とだけ返してホームルームを始めた。
二人が自分達の席で呼吸を整えていると、ふと、視線を感じた涼佑はそちらへゆるゆると目を向ける。視線の先にはこちらを冷ややかに見つめている夏神の姿があり、涼佑と目が合うと微かな嘲笑を口元に浮かべてふいと前を向いた。
午前中の授業が終わり、昼休みになると同時に涼佑は夏神と話をしようと彼を捜す為に教室を見渡したが、夏神の姿はどこにも無い。
「あれ? さっきまで……」
いたのに、という言葉は直樹の昼食を食べようと誘う声で発されることは無かった。取り敢えず、捜すのは後にしようと思った涼佑は仕方なく、いつものように直樹と二人で中庭へ向かう。弁当片手に廊下へ出た二人の後姿を、一匹の白い狐が見つめていた。
いつものように見慣れた面々で弁当を広げ、直樹と絢が互いのおかずを奪い合いながらの昼食が始まる。以前、奪い合いの過程で絢特製のだし巻き卵を地面に落下させてしまってからはやり合い自体は大人しくなったが、それでもこの二人は何故か互いの弁当のおかずを狙うことを止めない。そんな二人を見かねて友香里が注意する。
「直樹君も絢も、なんでお互いのおかずばっか狙うの? 自分の食べれば良いじゃん」
「だって、絢の弁当美味そうだから……!」
「だって、直樹のお弁当、私の好きなおかず入ってるんだもん!」
「二人とも子供なの……?」
直樹はいつも絢の作った卵焼きを狙い、絢は直樹の弁当に入っている冷食を狙う。今日は絢の弁当には卵焼きの代わりにたこさんウィンナーが入っており、直樹の弁当には彩り良いおかずの中に冷食のとんかつがちょこんと座っている。厚さは薄いが、肉であることには変わりなく、食べ盛りの高校生にとっては貴重なたんぱく源だ。確かに冷食のとんかつは美味いけれどもと、密かに絢に同意する涼佑。一つしか入っていないので、直樹もあげたくないのだろう。弁当を広げてからずっと絢の箸から中身を守っている。
弁当の攻防戦が繰り広げられている中、冷たい声と土を踏む足音が割り込んできた。
「相変わらず、アホなことしてんな。お前ら」
見ると、やはりそこには声の主である夏神がいて、心底軽蔑したような目を向けてくる。涼佑達と同じ樫の木陰にいるせいか、時折木漏れ日に照らされるその表情は無にも思えた。いつも周りにいる女子生徒達がいないせいか、本性を隠そうともしない彼に涼佑以外は皆警戒する。
「なによ。何しに来たワケ?」
「またこいつと戦おうとか思ってんのか?」
「……俺が用があるのは依り代の方じゃない。守護霊の方だ、バカが」
そう言って涼佑を顎でしゃくって示すついでに直樹を煽る夏神。その態度に益々直樹がヒートアップしそうになったところを、友香里が間に入って止めた。
「ちょっと、ここ学校だよ。夏神君も直樹君も落ち着いて」
「俺は落ち着いてる」
「おれだって落ち着いてます!」
「興奮してるよ、直樹君」
友香里に制されて夏神と少し距離を取られた直樹は、未だに威嚇する柴犬の如く彼を睨んでいるが、夏神は意に介することも無く、涼佑の方を見やり、また顎でしゃくって「来い」と示した。
「え、今か……?」
言いつつ、手元に広げた弁当を寂し気に見つめる涼佑に、夏神は呆れたような視線を向ける。
「なに名残惜しそうに弁当見てんだよ。食った後にすると、問答無用で吐かせるけど、それでもいいか?」
「行きます」
流石に無理矢理嘔吐させられるのは辛いと思った涼佑は、大人しく夏神について行くことにした。心配そうに見つめてくる真奈美達に「大丈夫。ちょっと話してくるだけだから」と言って、涼佑は一人その場を離れた。本当に涼佑を連れる気があるのかと問いたくなる程の速足で、夏神はどんどんと人気のない方へ進んでいく。その動きに内心少し不安を覚えながらも、涼佑は特に何も言うこと無く、大人しくついて行った。
やがて「よし、ここなら良いだろ」と夏神が立ち止まったのは、体育館裏で人の気配も日向も無い、殺風景な場所だった。先日の彼の様子とはまた違う一面に、涼佑は「意外だな」と零す。
「お前のことだから場所とか関係なく、襲って来るのかと思ってたけど……」
最後まで言い終わらないうちに胸倉を掴まれた涼佑は、そのまま体育館の壁に押し付けられる。ぎりぎりと首が締まり、息苦しさに喘いだ。どういうつもりなのかと苦しさに耐えながらも涼佑が夏神を見ると、彼はこちらに憎悪や嫌悪を向けることもなく、ただただ無表情で「出せ」と呟いた。
「……え?」
「お前の守護霊だよ。御託はいいからとっとと出せ。出さねぇとお望み通りにしてやるけど?」
言うが早いか、夏神の膝が涼佑の鳩尾にめり込む。その拍子に胸倉を掴む手を乱暴に放されて、よろけた涼佑は壁に背を預ける形で鳩尾を押さえて苦しげに咳き込んだ。それを無感動に見ていた夏神は更なる追撃をしようと、すっと片足を上げ、咳き込んでいる涼佑の後頭部に振り下ろそうとした。しかし、その一撃は当たることは無く、いつの間にか入れ替わっていた巫女さんの手によって止められた。刀を使うことは無く、素手で夏神の足を受け止め、殺気のこもった目で見上げてくる彼女の姿に夏神はどきりと自分が戦慄を覚えていることが分かったが、努めて余裕のある振りをした。
「なんだ、案外早く出てきたな。じゃあ、早速……」
恐らく涼佑の首を絞めている間に取り出したであろうモデルガンを構えようとした夏神だったが、それより早く横に薙ぎ払われ、利き手である右手に強烈な痛みと痺れが走ったことに意識が逸れた。
「いっ……!?」
「調子に乗るなよ、小僧」
こちらへ振り返った巫女さんは依然として刀を抜いていない。ただ、鞘に納まった状態の刀を両手で構え持っているところから、夏神は引き金を引く前に自分の手を思い切り打たれたのだと理解した。骨折までには至らなくとも青紫色に染まる手を見て、暫くは使えないだろうと夏神は舌を打った。ならば、と左手にモデルガンを持ち直して撃とうとしたが、それよりまた速く目の前に巫女さんが肉薄し、顔目掛けて刀を突き出した。咄嗟に左肩を後ろへ捻って間一髪で避けたが、少し掠ったらしく彼の頬に一筋の傷が付く。刀身を抜いていないのに斬れるものなのかと驚きつつも、数歩下がって夏神は距離を取ろうとした。しかし、その動きを見逃さなかった巫女さんは、逃がすものかと言うように足払いで夏神の体勢を大きく崩す。自分の手元や彼女の動きに注視していた夏神は完全に不意を突かれて倒れてしまう。すかさず、巫女さんの足が顔のすぐ横に踏み抜かれ、通常では有り得ない打撃音が地面に響いた。
「手加減してもらったからってナメてかかるのは違うよな?」
無表情にも見える怒りの顔で巫女さんは冷たく言い放った。