お昼の談議は盛り上がった。ゲーム内での話は予想以上に弾み、その分過ぎ去るのも一瞬のように思えてしまう。時というのは感じ方次第なのか残酷なのだと、モカは内心恨めしく思っていた。
午後の授業は、満腹になったおかげで眠気もスッキリ気分上々で受けられると思いきや、そうでもなかった。逆に満腹から来る満足感で眠気が誘発され、さらに退屈な授業が加速させる。恐怖の悪循環、学生の業。
最後の六時限目を終えたときには、昼休みの時と似た怠けた声と背伸びをしていた。週数回の登校日が幕を閉じ、彼らの青春が始まりの鐘を鳴らす。
脇目もくれず、ホームルームの終結と共にモカは教室を飛び出した。図書委員の仕事はない。ならば迅速に帰宅をし、一刻も早くゲームへログインするに限る。他の人には悟られないよう帰宅の準備を粛々と進めていた。
だがその矢先、阻むように一人の少女が立ち塞がった。
「三浦……モカさん、だったよね?」
「はーい。なんでしょう」
下を向きながら座席の元まで来た声に振り向くと、そこには紫色の特徴的な髪色をしたロングストレートの少女が立っていた。
「お話、少しいいかしら?」
「は、はい。なんの御用でしょうか?」
「あーでも、ここだと恥ずかしいから、屋上でも?」
鋭く尖るような目線は瞼を細めて笑っていても覆いつくすことは叶わない。まるでナイフだ。だがその刃は峰を向いている。
モカはまだ名前も知らないその少女の背中に付き従う。話があると言われれば、恨みを買った記憶がない限りは行くが、屋上というロケーションに突っ掛かりを覚える。告白でもされるのか、それとも殺されるのか、と極端な想像を思い浮かべていた。
教室を出て、昇降口へ流れる生徒に逆流しながら階段を上る。屋上は自由に使えるよう解放されているのだが、生徒には公にされていないが故、放課後を含めてここに生徒がいること自体少ない。
人間の三倍くらいはあろう高さのフェンスと殺風景な灰色のタイル、ぽつんと置かれた卒業制作のベンチが寂しく構える学校の中の秘境でもある。
「学校にこんな場所があったなんて、知らなかったです」
「驚いた?」
「はい! あっそれで、お話とはなんでしょう?」
「お昼休みに話してたことで、ちょっとだけ興味があってね」
「は、はぁ」
溜息をつき、盗み聞きされていたことに困惑と不快感を示すと、気さくに少女は謝る。
「盗み聞きしていたことについては詫びるわ。ごめんなさい。でも、私の興味をそそってしまったのは事実よ」
「感謝すればいいんでしょうか?」
「そうね。普段、他人に靡くことなんてないのよ。私」
「あ、ありがとうございます」
さも自分はあなたより高貴だと言わんばかりに少女は気取っている。ただ、鈍感なモカは気づけず、受け流していた。
「それで、なぜ私の名前を?」
「クラスの人だから、覚えてるわよ」
「あぁーそうなんですか」
「私の名前もきっとあなたは覚えていてくれてると」
「えーっと、はい! 覚えていると……思います」
名前の話題を振ったら少女の名を問われ、苦し紛れに返事をした後、モカが固まる。すいません覚えてません、なんて本人の前で言えるわけがない。
目線が上下左右あらゆる方向に乱れる。見かねた少女は振り返り背を向けると、落ちる太陽に眼を当てながら自己紹介を始める。
「湯河原。湯河原 静流よ。ゆがわら しずる」
「そう湯河原さん! 静岡県と神奈川県の狭間にある地名と同じ名前の人!」
「……絶対覚えてなかったでしょう?」
「いえ! そんなことありません!」
「往生際が悪いというか、見え透いたことを自信満々に言うのね」
「嘘ですごめんなさい覚えてませんでした」
「ほらやっぱり」
掌を返し、一転して謝罪するモカ。だって入学してからもう半年以上経ってるし、最初にされた自己紹介を覚えている人なんて、多分いない。
静流の手は柵を力強く握り込んでいた。それを鎮めようとモカは話題を切り出す。
「でもこれで覚えました。はい!」
「開き直りも早いわね。まぁいいわ」
「それで話って」
「今日、あなたに告白しようと思って」
「……へ? 告白?」
想像通りとはいえ、想定外だ。心音がバクバクと高鳴り始める。
「冗談よ」
話し方の艶めかしさも相まってか、冗談のようには聞こえなかった。ただ言葉のおかげで頭は急速冷凍され、一瞬で冷静さを取り戻す。
「『ウォーフェア・オンライン』、あなたもやっているの?」
「ウォーフェア……あのゲームですか?」
「そう、撃ち合うあのゲーム」
「やってますけどー、湯河原さんも?」
「えぇ、今度おっきな戦争があるの。それでね、宣戦布告しようと思って」
「宣戦、布告?」
「大和にいるからさ、私」
ハッと声を上げそうになる。殺される。モカは咄嗟に後ずさりをしようとするが、顔をこちらへ据えた時のオーラで尻もちをついてしまう。
怖気づいている。悪魔を背負ったようなそのオーラに。
「なーんてね。嘘」
挑発しているように言うが、そこには虚実のラインはない。彼女が引いたあの青いラインのような明確な境界線、罫線が。
「でもゲームをやってることは本当だよ。あと大和にいることも。でも戦うとはまだ決まったわけじゃないから」
「……望むところです」
「はい?」
「望むところですよ。湯河原さん」
「静流、でいいわよ。あなた、強そうだもの」
しかしここは現実で、殺し合いなど皆無の世界。モカは立ち上がり、静流に強気の目線と口調で応える。
「でも、互いに銃を向け合うことは、ないかもね。兵科が違えばそうだけどさ」
「っていきなり覚めるようなこと、言わないでくださいよーもう」
「バトル漫画的な展開を期待してたの?」
その後に浅はかとでも言いたげな声音で静流が言った。
「期待なんてしていませんよ。でもそちらが兵科とゲーム内IDを晒すまでしたら、多分そうなるでしょうけど」
「そうね、じゃあ。なんて探りに乗ることはしないわよ。それは終戦後、かな?」
「私も簡単に鎌かけて引っかかるなんて思ってません。終戦後、どっちが勝ってもここで話しませんか?」
「構わないわ。そうしましょう。でも戦場で会ったときは、よろしくね。モカさん」
静流とモカは闘志という角を突き合わせながらも、形式ばった握手を交わした。しかし彼女達を繋ぎ合わせたのは神の気まぐれか。夕陽が作り出す網状の鉄柵が伸びてきた頃、宣誓した二人は解散して、各々の戦場へと発ったのだった。