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第35話

 それからというもの、ゲームは愚か連絡先も交換していない静流とは、声も顔も合わせていない。


 前線基地の野戦病院に転送されたラヴィー。その後、四人はアリゲーター直々に呼び出されて事情聴取が行われた。責任は自分にあると、一貫して搭乗員を庇った彼女の処遇は数日の後に決定されるという。


 ゲーム内とはいえ、軍隊という組織の人間が私情で兵器を持ち出して交戦した事実は、暴力装置の暴走とも捉えられかねない。だが彼女に後悔の色はなかった。


 現実世界に帰還したラヴィーは、しばらくその世界との行き来を断とうと決めた。それが自分なりのケジメの付け方だ。謹慎のつもりでゲームとの道を固く閉ざし、三浦 モカとしてしばらく現実世界を満喫してやろうとシニカルに笑って見せてやった。


 あの戦闘から数日。登校日が訪れる。


 当事者以外、その戦闘の真実に触れることはない。黙示録となり、日の目が注ぐことなくとも、自分達の記憶に残れば、それで構わなかった。


 数学の授業でずっと上の空だったモカには、終業のチャイムすら聞き逃していた。


「モカ……モーカ」

「んっみゃ!?」


 頬杖をついて人の机を占有していたモカに御子が近づいて呼び掛けると、魂が呼び戻されて驚いた猫のように鳴いた。


「もう、授業、終わっていますわよ」

「アレ……もうそんな時間だったのか。腹の虫が鳴かなかったから気づかなかった」

「どういう理屈ですのそれ」


 移動教室である、ということもすっかり忘れて机の中に道具を片そうと手が出ると、御子はさらに呆れてその手を掴む。


「ささ、戻りますわよ」

「あっちょっ、わかったって御子。自分で歩けるから!」

「ずっと惚けたような顔をしていらしたので、こうやって私が介護して差し上げますわ」


 悪ふざけで御子に引かれて教室への帰路を進んだ。考え事をずっとしていたのは確かだが、表情にまで浮かんでいた覚えはない。


 廊下をお調子な彼女に連れられて、教室に着くと別のクラスに移動してお先に机を陣取っていた裕翔が二人に手を振った。


「お早いご到着で」

「お昼の準備ならしてあるよ」

「というか、なんですでに私の机で陣取ってるのさ裕翔」


 真顔でツッコむと惚けるように彼がキョトンとした。確信犯だなこいつ。


「まぁいいや。食べよ」


 気を取り直してお昼の為に買ったサンドイッチをバックから引っ張り出そうとすると、袋の中からメモ用紙が床の上に転がった。


「ナニコレ」


 レシートは普段貰わないし、それは今日も変わらず、近所のコンビニでは顔も覚えられているくらいだ。見る限りそのメモ用紙は後入れで、レジの人が入れたものではないような気がする。


 拾って眼を通すと、見覚えのある数字の羅列。付け加えられた左向きの矢印の通りに捲ると、裏には丁寧な字で『昼休み、屋上で待つ』と、メッセージが添えられていた。


「こ、これは!?」

「御子に心当たりが?」

「果たし状ですわ!?」

「いやそんな大げさな」


 顔の前で手を縦に振って、それはないだろと告げるも御子の動揺と驚嘆の裏声に揺るぎはない。


「私行きますわ!」

「いや私宛のメッセージだからこれ」


 まるで自分の事のように力んだ面構えをして立ち上がる御子を、モカはひとまず抑える。


 そして、文庫本を眺めているであろう彼女の席を一瞥して、空白だったことにクスっと笑い、二人に伝える。


「良く分からないけど、呼ばれてるから行ってくるよ」

「えっ危険ですわ! もし何かあったら」

「何もないから大丈夫。先に食べててよー」

「あっモカったら!」


 二人を振り切るようにモカは教室から来た道を逆流していってしまう。どうも不穏な置手紙に御子はたまらず裕翔を眼の前に立ち上がって、


「私たちも追いますわよ」

「え? でもモカの様子からして問題なさそうだけど」

「何かあったら、あの子化けて出てきますわよ」

「それはー後が怖いね。でも僕は遠慮しておくよ」

「そうですか……ではすぐこちらへ帰ってくると思いますから、また後程」


 その背中を追って、昼食を置き去りに御子も教室を後にしたのだった。




 屋上に上がったモカは、扉の向こうであのベンチに座る静流の姿を目にする。


 手をぎゅっと握り、俯いていた彼女が錆びついて軋む扉の音に敏感に反応して、こちらを向いた。その表情は笑顔とも困惑の困り顔ともどっちつかずで、まだ迷いがあるように思える。


 黙って彼女に足を踏み進めると、耐えかねたのか向き直って立ち上がり、声を掛けてきた。


「ぐ、偶然ね。三浦さん」

「偶然?」

「そ、そう偶然! 突然、私もここに来たくなったの」


 凛々しかった以前の雰囲気はどこへやら。トーンは高く、拙い嘘でここへ呼び出したことを誤魔化そうとしている。


 その不自然なおどおどした様と言ったら、可愛いの一言に尽きた。ギャップ萌えという奴かこれが。


 笑いが込み上げてくる。こうも愛おしいのは初めてで、慣れない。まるで恋路に悩む乙女のようだ。


「ぷっふふ」

「な、なんで嗤うのよ!」

「いや、なんかさ。面白くって。超然的なオーラを醸してたのに、恥じるような感じになって」

「あ、あれは演技。人を寄せ付けないようにするための、ちょっとした小芝居よ」

「なら役者目指せると思うよ湯河原さん」

「褒めるのか、貶すのかどっちかにしてよ」

「ちょっと悪ふざけが過ぎた。ふふふ」

「反省の色が見えないんだけど」


 不服そうに静流の頬が膨らんで、腹を抱えて笑ってしまった。惚け方もそうだが、ここまで来るとなんでもない仕草に笑顔が誘われる。


「はぁ……はぁ……久々にこんな笑ったよー」

「笑い過ぎよ。そんなにおかしい?」

「おかしいって言うか、可愛いのよいちいち」

「意味わからない……」

「でも、こうやって笑い合うなんて、つい先週くらいは想像もしてなかった」

「……敵だって言ってた。許されるなら、その」

「本当は、それを伝えるために呼んだんでしょう?」


 薄々気がついていた。わざわざメモ用紙を回収して、その裏に書いてくるなんて、ただなら面と向かって、前のように揶揄うような言い草で饒舌に弄んでる。


 いくらはぐらかそうったってお見通しだと、意地の悪い目線をやりながら、それでも努めて優しく笑み、頭を二回、触れるように叩いて撫でる。


「全部、いいんです。許すとか許さないとか、最初からないんですよ」


 正義の名の下に民衆の汚れた手が蹂躙した心には、そのひとさじの慰めでさえも深く残った傷跡を癒していった。


 血色が濃くなる双眸を瞬かせ、ブレザーの裾で涙を拭くと、青々とした空の淡いブルーと太陽の光が目に入射して、少しだけ痛かった。でも、今はそんな些細な苦痛よりも、無極に澄み渡った温もりに支配されていたかった。


 すると、思い立ったようにモカが提案を投げ出した。


「時間があったらさ、湯河原さんのバイト先、遊びに行ってもいい?」

「……私、あんまり表には居ないし、来ても退屈なだけだと思うけど」

「キッチンとか? ならいちいち呼び出して料理をべた褒めする」

「何それ。軽く営業妨害。フフフっ」

「迷惑にならない程度にやります」


 他愛のない軽口を言い合って、また微笑む。視線を感じたのはその頃合で、ふと扉の方へ眼をやると、用心深く片目で二人を監視していた御子の姿を発見する。


 静流に悟られないよう、背に回した手招きをした。その方が盛り上がるし、何より二人は面識がなく、きっと驚くと思ったから、ちょっとした悪戯をモカが仕掛けたのだ。


「モカったら、ここに居ましたのね。あら、こちらは?」

「あっ御子。見つかっちゃったかーそっかー」

「妙に棒読みなのが、白々しいですわよ」

「あははー、あっせっかくだし、自己紹介しましょう」

「「え?」」


 合流した御子と想定外の客人に困惑して首を傾げた静流はほぼ同時に疑問符を浮かべて、モカの眼を見張った。その行動に理解が追い付かない二人だが、先陣を切ったモカの自己紹介でその意図を呑み込む。


「ってわけで、改めて。三浦 モカ。ラヴェンタって名前で戦ってました」


 あの時の約束を完遂するまたとない機会だ。御子は存じてないが。


 そして二人も続く。


「湯河原 静流。シュガーショコラ」

「しゅ、あなたが!?」

「如何にも」

「えっと、秋葉 御子。オタサーよ。シルフ中隊の二番車」

「三浦さんの次級が同じクラスにいたとは……」


 この世界での名前と、戦場での二つ目の名前を分かち合って、敵だった者達を認識する三人。


 もはやそれは敵対関係では無くなっていた。その世界の戦争が終わらなくとも、少女達の儚い戦争はこれで終結したのだった。


 そして静流は心に確信を得る。もう、弱みを偽らず、武装することもないのだと。少なくともこの二人には。




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