ヒーローオタクだった冴えない女子高生――広山(ひろやま)
罪もない少女を殺してしまった事に愕然とした巨大ヒーローは、細胞から少女の身体を復元するまでの間、せめてもの罪滅ぼしとして自分の身体を彼女へと提供する事にした。
しかし彼には、この世界を怪獣から守るという使命がある。身体を少女に与えたとはいえ、その使命を全うしなければ、少女の住む星は死の星となってしまう。
戦わなければならないと、巨大ヒーローは言う。
君の住むこの世界をまもるために――。
普段は普通の女の子。
しかしひとたび怪獣が現れると、ペンライト型の機器を天高く掲げて、巨大ヒーローの姿へと変身する。
こうして巨大ヒーローに憧れる少女は、図らずも憧れの『宇宙から来た巨大ヒーロー』になったのである。
* * *
そして、そんな奈々葉の専属カメラマンを任されているのが、この俺――撮山(とりやま)丈太郎(じょうたろう)。クラスの隅っこの席でいつもマンガを読んでいる、典型的な隠キャ男子だ。
奈々葉とは幼稚園からの幼馴染なのだが、ベクトルの違うオタクの俺達は中学生くらいから交流がなくなっていた。
特撮ヒーローオタクの奈々葉と、アニメ漫画オタクの俺、特性は同じでも、好むものは異なる。
その関係に一石が投じられたのは高校1年生の春。
突如宇宙から飛来した怪獣と、それを倒すために宇宙からやってきた巨大ヒーロー。テンション爆上がりで飛び出していった奈々葉は、ヒーローに踏み潰され、更には自身がヒーローとして復活する。
その事を知っているのは、飛び出した奈々葉を探し回った挙句その一部始終を目撃してしまった俺だけ。
重大な秘密を抱えてしまった俺は内心ビクビクしているのだが、当の奈々葉はヒーローとなった自分のかっこよさに、いつもうっとりしている。
* * *
授業が終わると、帰宅部の俺はトボトボと校門を出た。
クラスで話す友人はいなかったし、部活で陽キャ共と慣れ合う気にもなれなかった。
それは幼馴染の奈々葉も同じだった。
垢抜けない癖っ毛の黒髪と、凹凸の少ない貧相な体型、背も小さくて極端な撫で肩。彼女もまた俯いて、周りの目を気にしながらオドオドと過ごしていた。
俺がクラスの後ろの席でマンガを読み妄想に逃避している間、奈々葉は前の席で空を眺めながら空想に逃避している。
住宅街の外れにあるひと気のない公園で、ペンキのはげたベンチに腰を下ろしていると、ふらふらとやってきた奈々葉が俺の隣に座った。
その表情は疲れで濁っている。
学校で会話すると変に勘ぐられ、根も葉もない噂を流されるため、俺達はいつもこの公園で待ち合わせている。
「この前の写真、見せて……?」
公園の隅に居着いてるであろう閑古鳥の鳴き声にかき消されそうな、弱々しい声で奈々葉は言う。
俺はカバンからスマホを取り出して、奈々葉に画面を見せた。
途端に破顔し、その声が色付く。
「うわぁ! かっこいい! やっぱりあたし、かっこいいなぁ!」
スマホをスワイプしながら、奈々葉は写真の一枚一枚に感嘆の声を上げた。
「やっぱり、あたしってこの斜め45度からの角度が一番かっこいいよ! ほら、ツノのところの曲線が最高! テレビのニュースとかの写真じゃ、あまりこの角度で撮ってくれないんだよなあー! 丈太郎、ありがとう!」
小学生の頃のような屈託のない笑顔に俺の心は綻ぶが、それを悟られまいと仏頂面で「あ、そう」と呟いた。
俺は変身した奈々葉の写真を撮っている。
憧れの宇宙から来た巨大ヒーローになったものの、彼女が自分をうっとり眺められる特大サイズの鏡は存在しないし、報道記者が撮影する写真は奈々葉曰く『全然わかっていない』らしい。
だから、奈々葉の秘密を知っていて、かつ美少女フィギュアの撮影を趣味としていて『そこそこわかっている』俺が、専属カメラマンとして戦う奈々葉を撮影する事になった。
もちろん撮影中の安全を確保するため、俺は奈々葉が作った謎の球体状バリアーで覆われている。
なんでこんな面倒事を引き受けてしまったのか、今でもよくわからない。ただ、奈々葉と秘密を共有する事が、子供の頃のヒーローごっこみたいな、懐かしくも無邪気な高揚感を生んでいた。
「あ、でもこの写真、ピントがズレてるね」
「うるせーよ」
悪態をつきながら、彼女の背後で沈み始めた夕日に目を細める。
クラスの陽キャ共から見れば、公園のベンチに並んで座った俺達の様子は、失笑を買うような陰キャ同士の薄寒い逢瀬に見えるかもしれない。
でも俺は今、この街の、この国の、そしてこの世界を救う使命を負い――しかしそれを無邪気な笑顔で覆い隠してしまうおかしな少女と、秘密の対話を繰り広げている。
「ふぅ……」
ひとしきりはしゃいだ後、彼女は溜息をついて空を仰いだ。夕日が彼女の下顎から首元にかけて、薄黒い影を生む。セーラー服のスカーフが優しい風で少しだけ靡いた。
「疲れてんな」
「まあ、そりゃ、ね」
ひとたび怪獣が襲来すれば、彼女は全てを投げ出して怪獣の元へと駆けつける。それは彼女が、自身の尊敬する巨大ヒーローになった事で生まれた矜持だ。
ヒーローは強く、優しく、カッコよくなければならない。
疲れや一時の感情でその責務を放棄する事など、あってはならないのだ。
しかし奈々葉は、普通より少し貧弱なただの女子高生だ。
一度彼女に、自分が件の巨大ヒーローである事を公開した方がいいんじゃないか? と提案した事がある。
普段の生活を維持しながらもヒーローとしての活動を続ける事で、奈々葉は目に見えて疲弊しているような気がしたからだ。
ただでさえ彼女は身体が小さく、昔から病弱だ。大人の男ですら腰が引けてしまうであろうこんなハードな生活を、これからも続けていけるとは正直思えなかった。
もし彼女が巨大ヒーローである事を公開すれば、県や国のバックアップだってつくだろう。なにせ国の存亡の鍵を握る存在だ。パフォーマンスを高めるため、学業が免除されたり、専任のトレーナーがついて最高水準の体調管理をしてくれるかも知れない。
そう提案する俺に対して、彼女は力無く笑って首を振った。
『だって、こんなブスでダサいやつが巨大ヒーローの中身だって知れたら、きっとみんなの夢を壊しちゃうよ』
奈々葉は誰よりも巨大ヒーローに憧れていた。
だからこそ彼女は、ヒーローの仮面の裏に隠れた弱々しい素顔を、白日の下に晒すことを嫌がった。
自分のような、巨大ヒーローに憧れる人々の夢を壊さないために。
そんな事ない。
強い意志で孤独に戦い続けている奈々葉は、誰よりも美しくて、強くて、かっこいい。
俺はそう言いたかったけど、言えなかった。
自分の気持ちを彼女に伝える勇気が、あの頃の俺にはなかったから。
警報が鳴る。
今日もまた、怪獣が出現した。
「よし、行くか!」
彼女はゆっくりと立ち上がり、怪獣の咆哮が響く西の空を睨みつける。
その決意に満ちた表情は、やっぱり巨大ヒーローに変身した彼女よりも、ずっとずっと美しくて、強くて、かっこいい。
俺は無意識にスマホのカメラを立ち上げ、シャッターボタンを押した。
夕日を背にした小さなヒーローの姿が、スマホの画面に切り取られる。
「なに撮ってんの?」
「ヒーローの写真」
「まだ早いよ?」
「早くない」
「変なの」
奈々葉は恥ずかしそうに笑った。
天に掲げたペンライトが光る。彼女は眩い光に包まれ、宇宙から来た巨大なヒーローへと姿を変える。そして光の玉に覆われた俺を手のひらに乗せ、巨大ヒーローは空へと飛び立った。
彼女からこの写真の真意を聞かれた時――その時はちゃんと、自分の気持ちを伝えよう。
切り裂かれた雲が後方に流れる様を見ながら、俺は人知れず心に決めた。