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第五話 暴君ミニ虎ムスメ、日本上陸(八)

「さて、と」


 小虎は荷物の中から花柄のエプロンを取り出し、すばやく身につけると俺の方を向いて言った。ロングの赤髪をひるがえらせたその姿は、なんとも初々しい。


「じゃ私、お家ん中片づけちゃうから。台所キッチンとか居間リビングとかさ」

「あー、それほど散らかってもないと思うんだが……」

「だめだよ。ところどころ汚れてるもん。ねえ、もしかしてあの秘書のエルミヤさんに、炊事洗濯にお掃除とかも、ちょくちょくやってもらってたんじゃない?」

「いや……まあな。なんでそう思った?」

「だって彼女、ご飯が炊けてるのとか買い置きの玉子の数なんかも、ちゃんと把握してたみたいだし」

 なるほどな、さっきの会話でか。だが正確には、彼女はこの家の食いもんにしか興味がないだけなんだが。


「でもあの人、育ちはまあまあ良さげだし性格も穏やかだけど、ちょっと抜けてるっていうか、なんでもテキトーに済ませてる気がするんだよね。侠気おとこぎがあって真面目な竜司とは、ちょっと合わなそう」

 その言葉を聞いて、俺のそばに立っていたエルミヤさんは顔をしかめた。もちろん、その姿は小虎には見えていない。


「それに、やっぱ公私混同はよくないよ、竜司。エルミヤさんには会社の仕事だけに専念してもらって、これからはこの家のことは、ぜんぶ私に任せてね」

 実際のところ、ありとあらゆる家事は俺が一人でやっているのだが、どうやら小虎はエルミヤさんにかなりの対抗ライバル心を抱いているようだ。


「わかった、お嬢。俺も、何か手伝おうか?」

「いいって。竜司はゆっくりお部屋でお茶でも飲んでて」

「そ、そうかい? わりぃな」

 そう言いながら俺は、湯呑を片手に自分の寝室へと引っ込んだ。



「リュージさま! 私って、そんなに抜けてます?」


 後ろ手に寝室のドアを閉めた俺に向かって、唇をとがらせながら反論の言葉を述べるエルミヤさん。俺は人差し指を口の前に立てながら、彼女の声を制した。まあふつうに、抜けてるか抜けてないか、と言われれば抜けてる、とは思うが。

 その時、俺のポケットの中の携帯スマホが鳴った。


「おう、休みのとこすまんな竜司。今、いいか?」


 小虎の実の父親にして針棒組の組長である、針猫はりまお権左ごんざからだ。百戦錬磨のこの俺も、今一番聞きたくない人間の声を耳にして、思わず背筋に冷たいものを感じた。


「い、いえ。どうかしやしたか?」


「実は、小虎のことなんだが……」

「お嬢が何か?」

「今朝、やけにでかい荷物持って、家を出たんだよ。昔の親友ツレんとこにしばらく泊まるっていう話だが、ちょいと気になってな」

「ああ。なんでも、お嬢の小中からの幼なじみと会うんだとか」

「お前知ってるのか、竜司。その子の名前はなんていうんだ?」

「えーっと、たしか前園まえぞのゆたかって子っすね」

「なにぃ? だあ? おい、まさかそいつは男じゃねえだろうなあ!」

「いえ、間違いなく女の子っすよ。近くの『やすろう』ってスーパーでバイトしてる高校生の娘で、俺も多少面識が」

「そうか、ならいいんだが。嫁入り前の娘が男んに外泊なんて、とんでもねえ話だからな。そんなことがあったら、相手の野郎ともどもタダじゃおかねえ」

「大丈夫っすよ、オヤジ」

 まさにその嫁入り前の娘が、男の家に押しかけて逗留しようとしているのだが。しかもその相手の男は、俺だ。

 いっそここで、オヤジに何もかも洗いざらい話しちまうことができれば楽なのだが、そうすると今度は小虎の方から不興を買う。なんとも厄介な問題である。


「とにかく竜司、小虎を気にかけてやってくれ。大学生っていっても、トシはまだまだ子供だ。つまらねえ男に引っかからんようにな」

「へい、承知いたしやした」

 そう言うと、オヤジからの通話は切れた。


 やはり、小虎に対するオヤジの溺愛っぷりは相変わらずだ。とくに、男関係についてはかなり神経を尖らせている。さっきの結婚計画の話など、もしオヤジが知ったら天地がひっくり返る騒ぎになるだろう。



「それでリュージさま。小虎お嬢さまのこと、どうされるんです?」


 心配そうな顔をして、エルミヤさんが尋ねてきた。もちろん、隣の部屋にいる小虎に気づかれないよう、小さな小さな声でだ。


「ああ。このまま、なし崩しに同棲ってのはマズいな。オヤジにばれたら、小指どころか片腕詰めても済みそうにねえぜ。かと言って、おとなしく俺の言うことを聞く性分じゃねえし……」

「ご自分からお帰りいただくのが一番いいんですけど……。小虎お嬢さまって、なにか苦手なことやお嫌いなものってないんですか?」

「そうだな……。昔からとにかく怖いものなしだったが……」

 そう言いながら、俺はしばらく考え込んだ。ていうか小虎ヤツは、この世のありとあらゆるものに対してほぼ無敵、って気がするが――


「……あー、ひとつだけ、あるこたぁあるんだが、どうかな」

「それは、なんなんですか?」

 俺は、エルミヤさんの耳元でささやいた。それを聞いた彼女は、思わず「ええっ?」と声を上げそうになり、あわてて口元を押さえた。


「それ、やってみましょう!」




続く



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