胸は余るし肩は下がるし、足の長さはともかく、でろでろに緩いパンツ。ベルトの一番奥まで絞って、ようやく腰で止まる。どう見てもサイズが大きすぎるが、この際構っては居られない。カーキ色に赤のライン。彼も昔、慣れ親しんだ配色だった。
さすがにブーツまで緩いのには参ったが、無しで歩いたら違和感丸出しである。ぐっと紐をきつめに結ぶ。
男をそのまま倉庫らしい所に置いておくと、彼は薄暗い照明の廊下を歩き出す。
案外そこは、広い所なのだろうか。向こう側がはっきりとは見えない。ただ、天井近い部分に視線を移すと、金属のパイプがむき出しになって、うねうねと取り付けられている。
なるほど。どうやらここは軍施設らしい。
ただ、この軍服の階級章の付き方からすると、自分が在籍していた頃とはやや違う。アンジェラス軍ではなく、帝国正規軍なのだろう。
いずれにしても、厄介な所へ落ちてしまった。
何の施設だろう。斜め左にあった階段を上がる。途中に窓の一つも無い。踊り場の標識が、今まで居た場所が地下であったことを告げる。
と。
かっかっ、と足音が前方から響いてくる。彼はややうつむき加減に、そのまま前からやってくる者をやり過ごす。
「…おい君」
すれ違う者は、彼に声を掛けた。
「は。自分でしょうか」
反射的に、軍時代の応答が唇から飛び出す。
「その腕章は、マイセルの小隊の者だろう? そろそろキャリゴーンから例の者が送られてくる、という知らせがさっき入ったから、マイセル医療少佐に伝えてくれ」
医療少佐? 聞き慣れない言葉に疑問符を飛ばしつつ、彼はは、と敬礼を返す。
するとここは、軍の医療機関の一部なのか。腕章。そう言えば、腕章を付けている。自分の時には無かったものだが、そんな特別な部隊には必要なのだろう、と納得する。
彼はそのまま、エントランスの受付の女性に声を掛ける。
「キャリゴーンから送られてくるもの、っていうのはまだ来ませんか?」
「…キャリゴーンから?」
細い金属のフレームの眼鏡をかけた女性兵士は、ちら、と彼を見ると、目を見開く。こんなスタッフは居たかしら、という疑問が彼女の眉間のあたりに浮かぶ。彼はそれを見越した様に、最上のタイミングで笑う。
「着いたらマイセル医療少佐に伝えてくれ、って言われてるんだけど」
「ああ… でもまだ来ませんね。来たらお呼びしますわ」
「予定とか、聞いてる?」
そうですね、と女性兵士は端末をぱらぱらと叩く。
「…ああ… もう今日はそろそろやって来てもいい時間なのに」
「もう夜だしね」
「そうなんですよ。私今日夜勤の当番ではないのに… あら、ごめんなさい」
「いいよいいよ。何か用事があったの?」
にっこりと彼は笑いかける。
「用事という程のものではないですけど… 子供を迎えに行ってきたいので…」
おやおやマダムか、と彼は軽く肩をすくめる。
「どのくらい時間が掛かるの?」
「そうですね、三十分もあれば… 託児所から、官舎へ子供を送り届けることはできるし…」
「じゃあ三十分、僕が見ていてやろうか?」
「え、いいんですか?」
だけどそれは、と女性兵士は口に手を当ててためらう。
「大丈夫だよ。もし待っているキャリゴーンからのものが来れば、それこそ僕が少佐に取り次げばいいんだし。あ、でも今彼何処に居るのかな?」
ちょっと待って下さい、と彼女は再び端末を動かす。そう古くは無いけれど、最新式という訳ではない。少し中央からは離れた所なのだろう、と彼は思う。キャリゴーン。その地名には聞き覚えは無い。
「…あ、居ました。第四執務室です」
「呼び出しにはこれを使えばいいんだね」
近くのフォーンを指さす。はい、と女性兵士はうなづく。
「じゃ、すみません。すぐ戻りますから…」
化粧気の無い彼女は暗くなった外へと飛び出していく。小型のエレカのエンジンを掛ける音が彼の耳にも響いてくる。大変だよなお子さま持ちは、と思いつつも、「キャリゴーンからの何か」に興味を引かれている自分に彼は気付いていた。
*
数分後、ぴ、と音がして、フォーンが応答を求めてきた。
「はい」
彼は当然のごとく、受話器を取ると、ゆったりとした声で答えた。
『…貴様誰だ。そこにはジューディス伍長が居たのではないか?』
「伍長はお子さんの迎えにどうしても、ということで、三十分だけ小官が代理をしております。失礼ですが、どちら様でしょうか」
『…全くこれだから女と言うものは! キャリゴーンのエンハレスだ。例のサンプルを連れてきてやった、とマイセルとコールゼンを呼んで来い!』
「判りました」
この言い方。おそらく「医療少佐」より階級が上なのだろう。Gはフォーンを切り替えると、第四執務室に居るというマイセル少佐を呼びだした。
やがて、車が玄関口までやってくる気配があったので、彼は窓の外の植え込みに姿を隠した。入り口の常夜灯くらいでは、このあたりまで光は届かない。
大型のエレカがぱかぱかと光を点滅させながら戸口につける。
「おい! 誰か居ないのか!」
大柄な白衣の男が、がらがらとした声で怒鳴る。その声を聞きつけたのか、階段をばたばたと駆け下りる音が響く。眼鏡を掛けた男が走り出る。軍服の上に白衣を引っかけた、という格好だった。
「呼ばれたらさっさと出てこい、マイセル!」
「し、失礼致しました」
気弱そうなマイセル少佐と、その後ろに居るのがコールセンという男だろう、とGは思う。一体このエンハレスという男は、何を連れてきた、というのだろう。
彼はそっと植え込みから抜け出して、エレカの後ろに回る。
背後のガラスは下半分がすりガラスになっているのでよくは見えない。しかし誰かが寝かされているのだけは判る。患者だろうか? 彼は思う。しかし軍人が寝ているにしては、その身体は少し小さい様な気がした。
「出すぞ。ちゃんとベッド持ってこい。暴れるんでな、くくりつけてあるんだ」
それは物騒な、と再び植え込みの間に隠れた彼は思う。
やがてエレカの後ろが開けられた。
担架がそこから引っぱり出される。確かに小さい、と目を凝らした彼は思う。
「そうっとだぞ、そうっと。目を覚まされたらまずいからな」
はい、と言いながら、マイセル少佐はがらがらと移動式のベッドを持ち出してくる。ベルトがついた担架ごと、その身体がベッドの上に乗せられる。
「そうっとそうっと」
つぶやきながらマイセル少佐はゆっくり、慎重にベッドを動かす。そのベッドが、常夜灯の光の中に入った時だった。Gは思わずあ、と声を上げそうになった。
子供に、見える。
見覚えがある顔が、そこにあった。
「…イアサム?」
唇だけを、彼はそう動かしていた。
サンプル、とあの男は言っていた。
何のサンプルだと言うのだろう? Gはイアサムに関する記憶をひっくり返す。
あの惑星ミントで知り合った、一見少年。そして、seraphの幹部の一人らしい。
見た目は、少年なのだ。だけど本人は二十歳だ、と言っていた。この惑星で生まれると、時々そんなのが出る、と。
その時の彼の言葉は半分が嘘なので、そのあたりをさっ引く。
何処なのか、その時にははっきり教えてくれなかった「本当の故郷」。そこで生まれた子供の中には、時々成長が遅いのが出る、ということかもしれない。もしかしたら、二十歳だと言った年齢も、嘘かもしれない。
そんなことも、あるかもな。
Gはベッドが中に運び込まれ、車のエンジンが切られるのを確かめてから、ゆっくりと植え込みの間から姿を現した。
その後に、もう一台の小さなエレカが止まるのに気付く。
「あら、…こんな大きな車が入ってちゃ、入れないわね」
先ほど、子供を迎えに行ったジューディス伍長が戻ってきたようだった。
「ご苦労様。来てしまった様だよ」
「あら… 誰がこの車、持ってらした?」
「確か、エンハレス…」
「エンハレス大佐なのっ?」
ジューディス伍長は目を丸くする。
「どうしたの、そんな驚いて」
「あなたこそ驚かないの? エンハレス大佐と言えば…」
彼女はそう言いかけて、周囲をちら、と眺め、彼に手招きした。
「…エンハレス大佐と言えば、実験体をむげに殺すんで有名じゃないの」
「…え?」
Gは問い返した。
「それは、実験体をずさんに扱う、ってこと?」
「じゃなくて、運び込まれた実験体を、これ幸いとこれでもかとばかりに色んな実験に使ってしまうんで、色んなデータが取れるんで、上層部には受けがいいんだけど、…あたし達からしてみれば、…何かねえ」
「…何か、言いたいことはすごく判る」
「今度もまた、実験体が運び込まれてきたってことよね…」
ジューディス伍長はため息をつく。
「だとしたら、あたし今日は抜けさせていただきたいわ。だってそれで後で、その後始末にかり出されたら嫌だもの」
「後始末、はよくあるの?」
「あるわよ! …あなた新入りさんなのね、じゃあ」
「あ、ばれた?」
ふふ、と彼は笑顔を作る。
「でも、軍紀違反にならない? 体調が悪いにしても」
「あなた本当に新入りさんなのね! 女性には色んな理由が付けられるってものよ… まああたしはデスクワークだから、と言えるけれど。前線の女性兵士はそうも行かないけどね」
だけどその代わり、除隊になる理由もつきやすいのだけどね、と彼女は付け足す。
「そうだね。じゃあ上手く言ってお帰りよ。…ところで、そこのエレカ、邪魔じゃない?」
「邪魔よね。何だったらそっちへ移動させておく方が、後々いいかも」
「キーは」
「こういう所の車のキーなんて付けっぱなしよ」
ありがとう、とGは再び笑顔を見せた。じゃあね、とミセスの伍長は当直の上司の所へ向かい、数分後、Gに手を振って帰って行った。
どうもありがとう。Gは内心もう一つお礼を言う。
途端に、それまでにこやかだった表情が、厳しいものに変わる。あれがイアサムだったら。
間違えるはずはない、と彼は思っていた。あれだけあの時、至近距離で散々見た相手なのだ。顔だけじゃない。身体の端から端までよく覚えている。
落とし前ついでだ、と彼は簡単に行動を決める。もしそれが本当にイアサムで無かったとしても構わなかった。
Gは廊下から、ベッドが何処へ運ばれたか考える。
同時にこうも考える。
あれがイアサムとしたなら、何のサンプルとしてね連れて来られているのか。歳をとるのがゆっくりであるのが、彼の――― 出身が判らない惑星の、人間の特徴だとしたら。
それは突然変異だろうか。それとも、進化の一種だろうか。
エレベーターを待ちながら、彼は考える。廊下に、微かな車輪の跡がついていた。だとしたら、階上? 階下?
階下には、Gが飛んで降りてしまった倉庫があったはずだった。
考えてみれば、自分はあそこでどう処置されようとしていたのか。ついつい気力が抜けていたので、どうでもいい、と考えていたが、少し間違ったら、まずい方向に運ばれていただろう。彼は自分の考えにややぞっとする。
正規の「実験」だったら、地下でなく、階上ということも考えられる。あの伍長は、よくそんなサンプルのなれの果てを見ているということだ。「受付嬢」の彼女が。
す、とエレベーターが止まる。すっ、と音も無く開く。彼はにっこりと笑った。
自分が呼んだだけではない。上から降りてきた者が居た。そう確か。
「コールゼン少尉?」
Gは相手の肩章を見て、即座にそう問いかけた。笑顔に圧倒されたのか、何だ、とコールゼン少尉はやや引きつり気味に答える。どうやら自分の着ているのは、士官の軍服ではないらしい。
「実は」
そのまま彼は、エレベーターの中に飛び込み、closedのボタンを押した。途端、箱の中は密室となる。がたん、と揺れる感触がある。笑顔のまま、Gはコールゼン少尉の両肩を壁に押しつけた。
「…な、貴様…」
「今さっき、連れていったサンプルは、何処だ?」
「何でそれを…! 貴様の様な下士官が…」
「答えろよ」
ぐい、と彼は少尉の腰を探る。どうやら、医療士官ではないらしい。銃を抜き取り、そのままぐい、と少尉のあごの下に突きつけた。
かち、と安全装置を外す音が響く。
がたがた、と少尉の身体が震える。イアサムが居るなら、この時代は、決して戦争が当たり前であった頃では無い。
その時足元にすう、と持ち上がる様な感触があった。はっ、と彼は気付く。誰かがエレベータを呼んだのだ。
少尉はそれに気付き、ぐっ、と彼を押し戻そうとした。Gはとっさに少尉の下腹部を蹴り上げる。
ぐぉ、と喉の奧で詰まった様な音が吐き出される。食卓のベルの様な音がして、扉が開いた。
「きゃ…」
白衣を着た女が、声を上げそうになったので、彼は迷わずにその口を手で塞ぐ。扉が閉まる。女をそのまま向かい側の廊下の壁に押しつける。先ほどよりはお手柔らかに。
「この階に、サンプル体が来ている?」
「…え」
「答えて」
それでも、ぐい、と銃をそのふくよかな胸に押しつけることは忘れない。女性に手荒なことをするのは性に合わないが、女性だからと言って危険でないとは限らない。殺人人形が少女の姿をしていたこともある。
「…は、はい… この階です…」
「案内して」
にっこりと彼は笑う。この状態だ、というのに目の前の女の頬は赤らんでいる。上等だね、と思うと同時にひどく嫌悪感が生まれるのに気付く。
腰のあたりに銃を突きつけたまま、彼は女を先に歩かせた。こつこつ、と人の通りのない廊下に、靴音だけが響く。時々緩めのブーツが、かぽかぽと気の抜ける音を立てるのが耳障りだった。
「…こ、ここです」
使用中の赤いランプが点灯している。開けて、と彼は短く女に命じた。
「…それは…」
「開けると実は違ったなんてことは無しだよ」
言いながら彼は銃を押しつける手の力を強めた。
「…嘘ではありません…」
「じゃあ、開けて」
女は扉の一部分に手を当てた。指紋照合らしい。す、と音もさせずに扉は開く。開かれた向こうは、広い部屋だった。彼は目を一瞬細める。これでもかとばかりに照明が効いている。
「…た、大佐…」
女の声が裏返る。大柄な白衣の男が、その声に振り向いた。
「何だ貴様、ここにそんな格好で入っていいと思っておるのか!」
Gはその途端、どん、と女を突き飛ばした。叫び声とともに、女は器具の乗ったワゴンへと飛び込む。音を立てて、金属のトレイが、ガラスの注射器が、薬瓶が一気に落ちた。
開けた視界の中に、診察台に縛り付けられた少年が居た。
アイマスクを掛けられ、胸と頭の一部にコードが取り付けられている。目が判らない。だが、そのあからさまになった身体には、見覚えがある。Gは確信する。
「その子供を渡してもらおうか」
先刻少尉から奪い取った銃をエンハレス大佐の胸へと向ける。
「…何」
答えは聞かない。次の瞬間、白衣の胸に、赤い血が飛び散った。Gは床に倒れ込むその身体を突き飛ばす。その勢いで、近くの器具がまた音を立てて散らばった。
そして眼鏡の少佐に向かい、銃を再び突きつける。
「解除しろ。すぐにだ。さもなければあんたも同じだ」
途端、マイセル少佐は飛び上がる様にして、少年の乗せられている台のスイッチを切った。ベルトがひゅん、と音を立てて引っ込む。Gは取り付けられているコードを引き抜くと、麻酔が効いているのだろうか、ぐったりしている少年の身体をシーツでくるみ、横抱きにした。無論その間も、片手は銃を持ち、立ちすくむ職員を威嚇する。
そうそのまま、何とか。
そう思った時だった。
けたたましい音を立てて、ベルが鳴った。古典的な音が、辺りに響き渡る。神経をさかなでる、ある種の音。あの女、と彼は舌打ちをする。どうして腰が立たないくせに、非常ベルのボタンには手が届くのか。
彼は開けはなったままの扉から飛び出した。階段。エレベーター。降りるための選択肢はそう多くはない。慣れない靴にこの少年を抱えたままでは、窓から飛び出すのもそう簡単にはいかない。
さて、どうしよう?
ほとんど何も考えずに、起こしてしまった行動である。行き当たりばったりもいいところだ。馬鹿じゃないか俺、と考えている部分も、明らかに彼にはあった。
ただ、そうせずには居られなかったのだ。この抱えている少年が、あのイアサムとだと確信した時に。自分はこの子をどうしても助けなくてはならない。
助けなくては、あの時の自分は、あの時間に彼とは出会えない。あの時の自分に、彼は、イアサムを会わせてあげたかった。
横抱きにしていた身体を、肩にかつぎあげる。走るにはこの方がまだ楽だった。ふと、その時甘い匂いが少年の身体から漂う。彼は立ち止まる。何?
立ち止まった拍子に、音が耳につく。足音が、ばらばらと聞こえてくる。エレベーター方面だった。
倒れた少尉の身体がはさまっていたせいか、エレベーターは止まったままだった。彼はその身体を廊下へ引きずり出し、足を踏み出しかけたところで、はたと止まった。