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第10話 オメガの子供

(そうか……。俺はこの人の……オメガの子供なのか……。だから……)


 辿り着いた答えに、俺は身体から力が抜けてしまった。


 呆然としてしまっている俺に、母と思われる人物は眉を中央に寄せながら目を見開くと、怒りを露わにした。


「ふざけるな! オメガだったら何だって言うんだ! オメガには幸せになることも許されないのか!」


 母と思われる人物は大声で叫ぶと、今度は涙を溢れさせて頬を濡らし始めた。


 俺は頭が真っ白のまま、無意識にその涙を拭おうと手を伸ばしていた。


 だが、その手はすぐに払い除けられた。


「触るな! 俺の邪魔をするのは、絶対に許さない!」


 母と思われる人物は振り返り、サイドテーブルに置かれていた飾り櫛を握りしめると、また俺を睨みつけた。


「俺の大事なものを奪うな! 好きでオメガに生まれたわけじゃない!」


 涙を流しながら必死に叫ぶ顔が自分にそっくりで、俺はまるで鏡に映された自分を見ているような気持ちになり、その姿をただ黙って見つめることしかできなかった。


「そんな憐れむ目で、俺を見るなっ!」


(あっ……)


 次の瞬間、櫛を握ったままの手が俺に向かって振り上げられた。


 今すぐ立ち上がって逃げることも、突き飛ばして反撃することも、俺にとっては容易なはずだった。


 だが、俺は微動だにすることなく、目の前の人物を静かに見つめ続けてしまった。


「危ない!」


 誰かが病室に入ってきて、知らない声とともに俺の視界は遮られると、頭を抱き抱えられる感触を感じた。


 同時に、頭上でくぐもった男の声が微かに聞こえると、すぐに床へ何かが落ちたような音が響いた。


(えっ……?)


 頭を抱き抱えられた力が少し緩められ、俺の視界が少し開けると、床に置かれていた俺の手のすぐ横に、振り上げられたはずの飾り櫛が転がっていることに気が付いた。


(一体何が……)


 状況がまだ理解できていない俺は呆然としながらも、覆い被さってきた彼の背中に手を回した。


「なん……で……どうして……」


 俺を庇うために覆い被さってきた彼の背中を、俺は怪我がないか何度も必死に触って確認をした。


 すると、まるで安堵したかのように、彼は床へ膝をついた。


 そして、俺の肩に顎を乗せて力を抜くと、体重を預けてきた。


「大丈夫だから……」


 俺の耳元で安心させるように囁いた彼は、よく見ると俺と歳はそう変わらなそうだったが、少し大人びた雰囲気だった。


(なんで……どうして俺のこと……)


 背中は傷になっていなかったものの、自分が逃げなかったことで起こってしまった罪悪感で、俺の胸は締め付けられて息が詰まった。


(俺のせいで……)


 彼の背中へ回したままだった手に俺は力を込めると、彼の着ているシャツをぎゅっと握りしめた。


 そうしているうちに、騒ぎを聞きつけたのか、白衣姿の職員が何人も慌てた様子で病室内に入ってくると、母と思われる人物を数人がかりで囲んだ。


「まずい、このままでは! 早く処置を……!」


「はい!」


 慌ただしくなった病室で、母と追われる人物はしばし放心状態だったものの、白衣姿の職員たちから羽交い絞めにされると、一心不乱に暴れ始めた。


「やめろ! もう嫌だ! コイツを殺して、俺も死ぬんだ!」


「ベッドに縛り付けるんだ! 早く!」


「やめろ! 離せ!」


 羽交い絞めにされながらも、母と思われる人物は俺に向かって叫び続けた。


「いいか! オメガはそうやって男を誑かすんだ! けど、お前は誰からも愛されない! オメガは誰からも愛されないんだ! オメガとして利用されて、裏切られて、一人で死んでいくんだ! 勘違いするな! 分かったな!」


(俺が……男を誑かす……)


「いいか! オメガは愛されなんかしないんだよ! 勘違いするな!」


(オメガは、愛され……ない……)


 繰り返し俺に向かって叫ばれる言葉に、彼のシャツを握りしめていた俺の手は、するりと床に滑り落ちた。


 すると、俺の異変に気が付いた彼は、俺の肩に顎を乗せたまま首を横に振った。


 そして、冷たい床に力なく置かれた俺の手の甲を、包み込むように握った。


(温かい……)


 いつのまにか氷のように冷たくなっていた俺の手に、彼の体温はとても温かく感じられた。


 ゆっくりと、まるで分け与えてくれているかのように伝わる彼の体温は、手の甲から腕、腕から全身へと身体を伝っていき、俺の胸の奥を熱くさせた。


(ああ……)


 何かが溶かされたような気持ちになり、自然と涙が溢れ出しそうになる。


 俺は慌てて涙を止めるため、目を瞑った状態で顔を天井に向けた。


 すると、彼は急に立ち上がって俺の手首を掴むと、俺を引っ張り上げた。


「行こうっ!」


「えっ……?」


 どこへと質問する間もなく、気付いた時には彼に手を引かれ、俺は走り出していた。


 優しく包み込むようにではなく、今度はしっかりと離さないように掴まれた手。


 病院の職員が呼び止める声を遠くに聞きながら、俺は彼の背中を追いかけるように夢中で一緒に走り続けた。

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