「さあ、選び給え。このボクと共に来るか? それとも無様に転がる彼を殺されるか? ボクは君の選択を尊重するとも」
水蛇から突き付けられた言葉。
それは朱華にとってはどちらも受け入れ難いものだった。
しかし、どちらかを選べとなった今――朱華が選択する答えは決まっていた。
「わ、わたしを連れて行ってください」
「ほう?」
震えながら確かにそう告げた朱華に、珍しくも水蛇は簡単に声を溢す。
人間という生き物は最終的に自身が可愛くなって他者を見捨てるもの。少なくとも水蛇はそう考えていた。
だが、目の前の少女はこれから訪れるかも知れない己の脅威と血に伏して転がる少年を天秤に掛け、迷わず己を切り捨てたのだ。
「朱華、何言ってん!? ダメばい!」
ギョッとして祈が朱華へ叫ぶ。
それは花恋も帝も一緒だ。
「朱華、アンタ……」
「ダメだ、それは君が……」
「大丈夫。わたしは……大丈夫だから」
唇を噛み締め、まるで自身へ言い聞かせるように朱華は4人へと言う。
そんな様子を見て、水蛇は高笑いを上げる。
「あーはっはは! 自己犠牲の精神性は実に見事だよ。しかし、君自身を犠牲にして彼を助ける意味はあるのかい? 少なくともボクとしては何のメリットもないと思うけど?」
神力を有していようとも、所詮人間。多少はマシとは言え、十全に行使できていないのであれば存在意義は皆無であり、珍しい人間程度の認識でしかない。
だからこそ、朱華が自らを犠牲にしてまで水樹を助けようとする意味が、水蛇には理解できなかった。
故に、水蛇は朱華へと問う。
何のメリットがあるのか?――――と。
暫くの沈黙と共に、朱華は口を開く。
その瞳には幾ばかりかの恐怖が在った。しかし、その奥には決意と意志が確かに宿っている。
「わたしはただ雨柳君に死んでほしくないだけ。それ以上の理由はありません」
「理解できないね。そんな理由だけで君自身の身を差し出すのかい? ましてや孕み袋にするとまで断言していたのだけど……意味理解できているかい?」
「……はい、その意味はわかっています。その上でわたしは貴方について行くと言っています」
「……………………」
水蛇は思わず口を閉ざす。
気弱な人間の女かと思っていたが、存外にも高潔な精神性を持つ者だった。
自己犠牲とは違う何かを彼女は有している――水蛇はそう捉えた。
「君は、何を信じているのかな?」
「今、わたしが連れて行かれたとしても、きっと彼は――雨柳君は助けに来ますので」
その答えに水蛇は目を丸くする。
ここまでボロボロにされて、目覚めても己の無力さで心が折れていても仕方がないと言うのに、朱華は「助けに来る」と宣うのだ。
何を根拠にそんな事が言えるのだろうか――水蛇は1人の人間に対して興味を抱いた。
「実に高潔だ。恐怖の中でも純真であり、希望に満ち溢れている。なるほど、このような人間も存在しているのか!」
水蛇は今まで感じた事のない胸の高鳴りを覚える。
「君の信じる彼は本当に助けに来るのか……試してみるのも一興かも知れないね」
水蛇は楽しそうに言う。
倒れ伏している血だらけの水樹に視線を向ける。
「心底気に入らないとは思っていたが、彼女の言葉で君には興味が湧いたよ」
水蛇はそう言って、祈、花恋、帝へとそれぞれを見る。
「彼女は連れて行く。孕み袋は……まあ、暫くは待つとしよう。彼女の言う通り、彼が本当に立ち上がるのか――高みの見物をさせてもらおう」
水蛇が朱華の隣には立つ。
祈が飛び掛かろうとしたが、仁と花恋、帝によって阻止された。
「彼に伝えておくように。ボクはいつでも待っていると。そして、遅いようであればどうなるかも含めてね」
…………
水樹は気絶している間の話を聞いて口を閉ざした。
そんな重苦しい中で口火を切ったのは赤猿だった。
「つーワケだ。坊主はどうすんだ? 話を聞く限り、その朱華って嬢ちゃんの肝は図太い。それこそ神々が好む高潔な精神――即ち、英雄の素質があるのかも知れねぇな」
「どちらにせよ、時間を掛けてしまえば彼女が犯されてしまう。先ほどは理由としては弱いと言いましたが、それはあくまでも
静流の言葉に赤猿が呆れた表情を浮かべる。
「ものは言いようだが、確かにコチラの事情を知らねぇ人間には関係ねぇ話だな」
ジロリと赤猿は水樹を見る。
「さて、坊主。選択の時だぜ? オレはどちらの選択であろうとも構わねぇ。ただ――焔を宿せねぇ選択は許さんけどなぁ」
「わたしは水樹の決定に従います」
水樹はぎゅっと両手の拳を握る。
朱華はどうして水樹を信用するのか?
何故、助けに来ると断言できるのか?
それが水樹にはわからなかった。
――と、祈が口を開いた。
「……高校入学前に朱華を助けた事があったんばい」
水樹は祈へと顔を向ける。
「ヤク中の暴漢。周りが躊躇する中、雨柳君だけは違った。迷いなく前に飛び出したん」
そう言えば――と、水樹は記憶を振り返る。
暴漢に襲われている女の子を助けた覚えがあった。それは頭で考えるよりも先に身体が動いただけという単純な話。
思えば無謀だったと思う。あの時は偶々事が上手く運んだだけで、今のような戦いなんて知らなかった。
勿論、あの時の女の子が朱華である事を水樹は今はじめて知ったのだが……。
「高校に入学して雨柳君がどんな人物か、それはただの御人好しだった。されげなく困ってる者を助けるような御人好し。朱華はそれを知っていた。だから――、」
キッと祈は水樹を睨む。
「――あの娘の為にも、何とかしてくれん?」
水樹は一度目を閉じる。
信じてくれる理由は何となくだがわかった。
だが、水樹自身に何ができるのか? また、今回と同じように負けるだけではないか?
「――なあ、赤猿?」
目を開き、水樹は赤猿へ問う。
「俺は強くなれるのか?」
「……さーてなぁ? ま、1日――いや、2日寄越せ。仕上げてやる」
赤猿は悪い笑みを浮かべて答えた。
「行くのか、雨柳」
「アンタに任せても良いん?」
「そうか、俺たちにできる事があれば手伝うぞ」
仁、花恋、帝の言葉に水樹は「ああ」と短く答える。
「必ず助け出す。それ以上は言えないけど、何とかするさ」
「……頼むばい」
祈の消えそうな言葉に水樹は大きく頷いた。