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第二十八章 新しい世界で

第百三話 きっと大丈夫

 大学二年生になる前日、僕と波留とそれからコナツは人間界を離れ、獣人界に行こうとしていた。


 案外身近な場所にはあって、行こうと思えばいつだって行けるらしい。


 ただ、自分たち以外の誰もいない時じゃないとダメとか、無心になる勢いで集中しないとダメだとか。かなり条件が厳しいらしく、この一週間ぐらい毎日試してみたけど、僕たちは毎回失敗してた。


 一番近くにある世界の切り替わりは、大学のそばの公園。僕と波留がよくコナツを散歩に連れていっているところでもあり、付き合う前にも何度か偶然会った場所でもある。


「コナツも連れてるから、余計に難しいかもしれませんね」

「でも、コナツは置いていけないだろ」


 そんな話をしながら、夜中三時過ぎの誰もいない公園で波留と小声で話をする。空は、もちろん真っ暗だ。


 暗がりの中で時折ボソボソと話をしつつも、一瞬会話が途切れた時があった。その瞬間、僕たちの周りの空気がガラリと変わった。


「……あ」

「え?」


 波留と僕が同時につぶやいたのとほぼ同時に、今まで視界に映っていた公園の景色がグニャリと歪む。すぐに正常に戻ったと思ったら、そこはもう公園じゃなかった。


 暗かった空は、すっかり明るくなっている。

 目の前にはどこまでも続くような草原が広がっていて、遠くには町のようなものも見えている。


 リードで繋いだコナツはクンクンと草の匂いを嗅ぎながらも、特に警戒する様子もなさそうだ。


 左手にリード、右手でスーツケースを引きながら、草の上を歩く。


「人間界と……そんなに変わらない?」


 東京とは全然違うけど、日本か外国の田舎なら、こんな感じのところもありそうだ。空だって青いし、太陽もある。


「こっちの方が自然は断然多いと思いますけど、学校も病院もあるし、変わらないかもしれないですね」

「そうなんだ?」

「オレもまだ二回目なので、そこまで詳しいわけじゃないですが」


 それだけ言ってから、波留は思い出したように『あ』とつぶやいた。


「でも、一回目ここに来た時、住むところも決めてきたんです」

「一回目ってことは、一人暮らし用だよな。二人と一匹だったら、ちょっと狭くなるかな?」


 波留はつい最近まで一人で来る予定だったし、当然そうだよな。でも、前のとこもちょっと広めのワンルームぐらいの大きさだったのに二人で暮らしてたし、何とかなるよな。


「あ、いや……」


 そう思ったのに、波留は口ごもっていた。


「広めの部屋を選んだので、たぶん大丈夫ですよ」


 波留は少し早口でしゃべり、あわてて付け加える。

 ? なんとなく波留の様子がおかしいような……。


 わずかに違和感を覚えつつも、それをはっきりさせる前に町にたどり着く。町の道は綺麗に塗装されていて、ホテルや店やスーパーらしきところもあった。


 勝手なイメージだけど、過疎化が進んだ離島みたいな雰囲気。道にはほぼ誰も歩いていなくて、時々猿の頭をした獣人が自転車で僕たちを追い越していったり、うさぎの獣人にすれ違ったりしたぐらいだ。


「家はこっちで合ってるの?」

「反対の方向ですけど、まずは役場で手続きをしないといけないので」

「なるほど」


 会話をしながら波留にコナツのリード係を任せ、役場を目指す。


 やっぱり役場も、ちょっと古めの離島の役場みたいな雰囲気だった。コナツも連れて入っていいって波留が言うから、そのままコナツも連れて行く。これまで東京にいた僕としては、コナツを役場に連れて行くのはけっこう勇気がいるんだけど……。


 でも、ヤギみたいな顔をした一階受付の獣人にも、特に咎めらることもなかったから、たぶん大丈夫なんだろう。


 役場にはヤギさんしかいなくて、他には職員もお客さんも見当たらない。ここ、大丈夫かな。


 該当の受付窓口で待っていたら、ヤギさんがそのまま走ってきて、対応してくれた。そんなハァハァ言いながら、走ってこなくても。


 こんなに過疎ってるのに、十番窓口まで作る必要があったのかな。二か三番ぐらいまであれば、問題なく回っていきそうだけど。もしかしたら曜日や時間帯によってはかなり混んでいる可能性もあるけど……。


「人間でも大丈夫ですか? ……あ、波留――こっちは半獣人なんですけど!」


 つい普通に日本語で話しかけちゃったけど、大丈夫だったかな。


「はい、もちろん。半獣人でも、人間でも問題ございません。うちの町はすでに四人も人間が暮らしていますから。どうぞ安心してくださいね」


 あれ? 日本語で返ってきた。


「日本語通じるんですね」

「ええ、日本ですから」

「あ、なるほど。そういう感じなんですね」


 いや、全然理解は出来てないんだけど。


 つまり、日本の中には、日本の獣人界があって。

 他の国の中には、他の国の獣人界があるってこと?


 なかなか不思議なシステムだな……。


 言葉のこととか何も考えてなかったけど、普通に日本語が通じるなら問題なさそうだ。


「人間が住んでいる町を探していらっしゃったのは、彼のためだったのですね。あちこち回られて、大変だったでしょう」


 ヤギさんは僕を通り越し、後ろにいる波留に話しかける。


「……え?」


 思わず波留を振り返っても、波留は頑なに視線を合わせようとしない。


 一回目に住む場所を探してきた時ってこと?

 受付のおじさんと知り合いなのはまぁいいとして、わざわざ人間が住んでいる町を探してたってこと?

 何のために?


 ヤギさんにソレを聞く前に、『忙しいところを邪魔しちゃ悪いので、行きましょう』と波留に外に出るように促された。


 お客さん僕たちしかいないし、忙しそうには見えないんだけどな。


 ひとまず手続きも済ませ、波留が探してきたというアパートに向かう。


 波留が探してきたところ、そんなに新しそうではなかったけど、わりと綺麗で、中は二つは確実に部屋があった。

 一人暮らしのアパートだから、てっきり節約目的の家賃も光熱費も全て安くややりたいって感じのところかなって思ったのに、案外そうでもないのかな。


「ここって、本当に一人暮らし用?」


 一人でいくつも部屋使う人もいるし、僕の感覚とは違うかもしれない。


「……では、ないですね」


 念のために確認をしたら、罰の悪そうな顔をしながらも、波留はあっさりと白状した。


「波留さ、もしかして僕も一緒に住めるように準備してくれてた?」


 明らかに二人で暮らすための部屋。

 人間が暮らしている町。


 波留の行動は、一人暮らしじゃなくて、二人で暮らすためのものに見えた。


「亜樹を連れて行くわけにはいかないとは思ってました。でも、一緒に行けないかな来てくれないかなって希望もどうしても捨てきれなくて……」


 モゴモゴしながらも、波留は本当のことを教えてくれた。マジか……。すごく嬉しいんだけど……!


「諦め悪いですよね」

「波留が諦め悪くて良かった。波留以上に僕は諦め悪いし。こんなところまでついてきちゃうぐらいだからな」

「合わせてもらっちゃって、ごめんなさい」

「波留に合わせてるわけじゃないよ。ただ波留と一緒にいたいから、そうしてるだけで」

「えへへ」


 ありのままを伝えたら、波留は照れたように笑った。

 本当に可愛いヤツ。またしっぽフリフリしてるし。


「それに今まではずっと波留が人間の世界にいたんだから、今度は僕が獣人の世界に来るのは平等じゃない?」

「オレは人間の世界でずっと暮らしてたかったんですけどね」


 こっちに来て早々、早速愚痴を言う波留。

 けれどすぐに気を取り直したみたいで、こちらに笑顔を向けてきた。


「でも亜樹と一緒なら、きっとどこでも楽しいですね」


 うん、僕も同じ気持ちだよ。

 人間界で暮らしていた時とは勝手が違うだろうし、困ることだってこれからたくさん出てくるかもしれない。


 それでも、波留と一緒ならきっと大丈夫だし、いつだって幸せだ。


       【完】

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