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#4・思わず渾身の叫びが出た日



 帰りの電車に揺られながら、僕は顔面蒼白になっていた。


 レオさんに読んでおけと命じられた、封筒のQRコードから飛ぶ、電子マニュアル。


 スマホで開いたそれに、ほとんどの謎の答えが書かれていたからだ。


 まず最初の気付きが、いきなりトップページにあった。


 スマホ画面半分を占めるほどの大きさで、表示されてるロゴ。


 看板に描かれていたのと、同じデザインのものだ。


 注目すべきは、「けも耳」と「CAFE」の文字の間にある☆マーク。


 ☆の空間の中に、看板では見落としていた「BL」の2文字が踊っていた。


 つまり、あの店の正しい店名は、「けも耳BLカフェ」。


 BLという単語の意味くらい、非ヲタの僕だって知っている。


 要するに悪の巣窟の正体は、けも耳の男性同士の恋愛劇をコンセプトに、BLをこよなく愛する女性をターゲットとしているカフェだった──という事だ!


(だからか……!)


 やたらとスキンシップしてくる先輩キャスト達。


 見せ物のようなポッキーゲーム。


 それらの様子を眺めてニヤニヤするお客さん達。


 全部のつじつまが合った。


(とんでもないバイト先を紹介してくれたな、美羽ちゃんめ……!)


 心の中で恨み言をこぼしながら、画面をスクロールしていく。


「当店ではお客様に、キャストとの店外での交流、連絡先交換(SNS上での交流は可)、キャストとのスキンシップ、キャストの無断撮影を禁止しています」


こんな感じで、注意事項のような項目がしばらく続いている。


 意外とルールがしっかりしてるんだな、なんて感心していたけれど、最後の項目を読んで、ぎょっとしてしまった。


「キャスト同士の恋愛は自由ですが、店内での性行為は禁止です」


 キャスト同士とは、すなわち男同士。


 おまけに性行為だなんて、そんな事があり得るのだろうか。


 いや、BLをコンセプトにしているお店だから、逆にあって当然なのかもしれない。


 それに今は多様性の時代だ。


 僕の古い価値観もアップデートしなければ、きっと流れに取り残されてしまう。


 実際に僕自身も、美形な先輩キャスト達に囲まれた時に、ほんのちょっぴりだけれど、妙な胸の高鳴りを感じた。


 レオさんとのポッキーゲームの時だってそう。


(あれ? 僕の感覚って普通なの? それともどっかおかしくなった?)


 考えれば考えるほど、アイデンティティが揺らいでくる。


 胸のもやもやと思考のぐるぐるで、精神的限界を迎える寸前、電車が寮の最寄り駅に到着した。


 今日はもうこれ以上、悩みたくない。


 改札へ向かいながらイヤホンを装着し、アプリで適当な洋楽を流す。


 英語の歌詞の知らない曲は、思考を遮断するのにぴったりだ。


 おかげで寮までの徒歩8分の道のりを、穏やかな感情で歩けた。


 しかし寮が見えてきた辺りで、不穏な気配が漂い始めた。


 空気がなんとなくコゲ臭い。


 寮の前の道に、大勢の野次馬と、消防車が5台も並んでいる。


(え、火事? うちの寮⁉︎)


 イヤホンを外し、早足で近付いていくと、寮内のカフェテリアでたまにお喋りする知り合いが、路上に集まっていた。


 僕の姿を見つけた一人が、険しい表情で手招きしてくる。


「どうしたの? 火事? どの部屋から?」


「いいか、瀬戸くん。落ち着いて聞いてくれよ」


 投げかけられた枕詞に、悪い予感しかしない。


「瀬戸くんの部屋、たぶんダメだわ。真上の部屋から火が出て、もう鎮火したんだけど、消火活動でバンバン放水してたから……」


 やっぱり的中した。


 身構えてはいたけれど、実際に聞かされたら、なかなかショックだ。


(どうして僕ばっかり、今日一日でこんな立て続けに不幸が……)


全身の力が抜けた僕は、へろへろとその場にしゃがみ込んだ。


 心を支配している虚無感に、少しずついろいろな感情が混ざってくる。


 悲しみ、憤り、怒り。


 それらがお腹の中で合体して、魂の叫びとなって、僕の口から放たれる。


「なんて日だ‼︎」


 僕が子供の頃にちょっと流行った、お笑い芸人の持ちギャグのフレーズだ。


 笑いを取ろうとしたつもりはない。


 大真面目に最適な言葉を選んだだけだ。


 こだまする残響の中、顔見知り達が小さく吹き出した後、慌ててごまかしの咳払いをした。



    ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼



「よお晴真、大変だったらしいな!」


午後から大学に行くと、僕を見つけた大崎くんが、豪快に笑いながら近付いてきた。


 昨夜イケメンばかり目にしていた反動だろうか。


 大崎くんの個性的でユニークな顔が、まるで赤ちゃんのようにチャーミングに感じる。


「大崎くん、君はそのままの君でいてね?」


「なんそれ。てか、火事で部屋水浸しって、夜どうしてたんだよ?」


「ネカフェに避難したよ。部屋の中の物、全部ダメになってて、もう最悪」


 午前中いっぱいを使って火災保険の会社と連絡を取り合って、分かった事がある。


 僕はどうやら、ケチって一番お安い火災保険に入っていたせいで、最低限の補償しかしてもらえないらしい。


 出火元である上の部屋の住人も、同じような契約内容だった。


 だから服やら教材やらの私物は、自腹で買い直すしかなくて、おまけに被害を受けた寮備え付けの家具家電の賠償も、僕がしなければならないそうだ。


 つまり僕は、けっこうな額の借金を背負ってしまったも同然。


 自分自身に非がないのに、理不尽すぎる仕打ちだ。


 火事関連の事を考えていると、悲しくて悔しくて、目頭が熱くなってきてしまった。


「おい泣くなよ! 気持ちは分からんでもねえけど」


「だって、ううぅ~……!」


 僕の涙を止めようと、大崎くんが懸命に頭を撫でてくれる。


 そんな僕達の様子を、聞き慣れた声が楽しげにからかってきた。


「ま~たイチャこいてる。仲良いねぇ、お二人さん!」


美羽ちゃんだ。


 僕はこの子に問いたださなければいけない事が、たくさんある。


「美羽ちゃん、ちょっと!」


 雑に涙を拭い、美羽ちゃんの手首をつかんで、人気のない廊下の隅っこに連れて行く。


「どしたの瀬戸くん。ていうか、カフェどうだった?」


「その話するつもりだったんだよ。なんなの、けも耳BLカフェって!」


 さっきまでの悲しみが、美羽ちゃんの顔を見てすぐ、怒りに変わっていた。


 だからちょっとキツい口調になってしまった。


 それなのに美羽ちゃんは、けろりとした顔で明るく返してくる。


「初めに説明したじゃん、アタシの行きつけのカフェだって。アタシ腐女子っていうか、腐ギャルなんだよね~!」


訊き方が悪かったのか、ピントがずれた返答だ。


「そうじゃなくて、なんで僕をあんな店に紹介したのかって訊いてるんだよ」


今度はちゃんと通じるように、明確な言葉を選んだ。


 すると途端にデカ目カラコンが、右に左にと泳ぎ始める。


「いや、受けのキャストが足りないって聞いて?

アタシの周りで受けっていったら、瀬戸くん一択じゃん?

だから写真見せたら、レオさんに「こいつ連れてこい」ってご指名入って?

紹介して採用されたら割引券くれるって話で、的な……」


 受け云々は置いておいて、美羽ちゃんの話をまとめると、つまり──。


 美羽ちゃんとレオさんの間で、僕を巡って人身売買のような契約が成立していた、という事らしい。


 真相を知って、僕は大きな溜め息をつくしかなかった。


「えっと、瀬戸くんごめんね?」


「いいよ……。不本意だけど、すぐ働き始められる場所があるの、ありがたい状況になっちゃったから」


 まさか自分が借金を背負う羽目になるなんて、一日前には夢にも思っていなかった。


 さらには僕がけも耳カフェで働く事が、予め仕組まれていただなんて、予想すらしていなかった。


 再び暗い気持ちになった僕は、美羽ちゃんを残し、のろのろとその場を離れた。


 ものすごく気が重い。


 あと数時間後に僕はまた、あの悪の巣窟で犬の垂れ耳をつけて、セクハラを受ける事になるのだから。




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