アマティ公爵領のお屋敷の
リベリオも寝起きが悪い方ではないのだが、いつもエドアルドの方が先に起きている。
エドアルドと一緒に眠るようになるまで、リベリオには一つ、小さな秘密があった。
リベリオのふわふわとした蜂蜜色の髪は、エドアルドも愛してくれているとても手触りのよい柔らかなものなのだが、起きたときには爆発に遭ったのではないかと思うくらい寝癖が酷い。
最初のころは必死でエドアルドよりも早く起きて髪を整えていたのだが、結婚生活も半年を超すと、隠しておけないと覚悟してぐしゃぐしゃの髪のままエドアルドに対峙した。
「エド、実はわたし、髪の毛が……ものすごく跳ねるんだよ!」
「リベたん、きゃわいい……」
「へ?」
なぜかかわいいと言われてしまった気もするし、エドアルドは噛んでいる気もするのだが、噛むのはいつものことなので気にしないようにする。
少し席を外したエドアルドが髪用の霧吹きとブラシを持って戻ってきた。
ソファに座らされて、丁寧に霧吹きをかけてエドアルドが髪を整えてくれるのだが、なかなか寝癖は直らない。いつもはもっと乱暴にリベリオが水を思い切りかけて、髪を乾かす魔法具でなんとか直しているのだが、エドアルドはリベリオよりもずっと優しい手つきでリベリオの髪を整えてくれる。
結局髪がきれいに整うまでかなり時間がかかったのだが、エドアルドは何も文句を言わなかった。
「今度から、ぼくにさせて」
「エドは忙しいでしょう? ちゃんと自分でできるから」
「したい」
いつもは強く出ないエドアルドに言われてしまうと、リベリオはエドアルドに髪を整えてもらうしかなかった。
リベリオが起きると、エドアルドもベッドから出る。
リベリオのくしゃくしゃになった髪を髪用の霧吹きとブラシで丁寧に整えて、髪を乾かす魔法具で乾かしてくれるエドアルドの手が心地よくて、リベリオは目を閉じて堪能してしまう。
結婚してからキスも普通にするようになったし、それ以上のこともしている。
しかし、エドアルドに髪を整えてもらっている時間は、リベリオにとってはとても特別だった。
結婚して半年、リベリオは十九歳になっていた。
体格はエドアルドに及ばないが、大人の男性らしくなってきたと思っているし、そろそろ子どもを持つことを考えてもいいのではないかとは頭を過るが、エドアルドは自分が産む方だと譲らない。
公爵であるエドアルドが妊娠してしまったら、執務が滞るのではないかと心配はしているが、補佐であるリベリオがある程度執務も覚えてきたので、そろそろエドアルドとの間の子どもをリベリオは考えていた。
結婚してから、エドアルドは再三リベリオに言っていた。
「先見の目があるのはリベたん」
「わたしじゃないよ。エドだよ」
「リベたん」
リベリオはずっとエドアルドに未来を見通す先見の目があると信じていたのだが、それが実はリベリオにあったなどということがにわかには信じがたい。
それでもリベリオと結婚する前に見た夢の光景を思い出す。
ベビーベッドに寝かされている、蜂蜜色の髪の赤ん坊。
王家の血が濃いジャンルカもエドアルドも、髪は真っ黒だ。これだけ黒い髪を持っているのはこの国でも王家に連なるものだけだった。
もしも生まれてきた子どもがリベリオの髪色を引き継いで、蜂蜜色だったら、自分に先見の目があると信じることができるかもしれない。
男性同士で子どもを作るためには、産む方が専用の魔法薬を飲まなければいけない。その上、男性は構造上産む体になっていないので、お腹を切って取り出さなければいけない。
リベリオもエドアルドもそう思い込んでいた。
産科の医者に子どものことを相談して、魔法薬を処方してもらうときに、リベリオとエドアルドは説明を聞いた。
「少し前まではお腹を切らなくては出産ができませんでしたが、今は、移転の魔法陣を出産する方のお腹に書いて、移転の魔法で安全に取り上げることができるようになりました」
「それなら、お腹は切らなくてもいいんですね」
「もちろんです。男性のお産も安全性が問われますからね」
医者の説明を聞いて、リベリオは少しだけ安心した。
魔法薬を飲んで行為を行えば必ず妊娠するわけではない。男性同士は妊娠しにくいようなので、何度も魔法薬を処方してもらう必要があった。
魔法薬を飲んでエドアルドに導かれて、エドアルドを抱いて一か月、妊娠していないことが分かれば、また魔法薬を処方してもらう。
そうして、結婚から一年経つころにリベリオはエドアルドが妊娠しているという結果を産科の医者から聞いた。
お腹の中の子どもの性別は分からないが、アマティ公爵家の後継者が生まれるのである。
「エド、体には気を付けないといけないよ。わたしができることならなんでもするからね」
「まだ大丈夫」
「悪阻が出てきたら食べるものも気を付けないといけないし、定期的にお医者様にかかるのも、わたし、ついているから。仕事も全部わたしに任せて」
「リベたん、仕事は二人で」
「少しでも休んでほしいんだ。エドは今、一人だけの体じゃないんだよ」
心配するリベリオに、エドアルドは執務にも普通に出てきたし、領地の視察も積極的に出かけて行った。
「エド……お願い、無理をしないで」
「無理はしてない」
「男性は産む体として作られていないんだから、貧血になるかもしれないって、お医者様が言ってたよ?」
「ぼくは平気」
悪阻も酷い方ではないようで、ときどき気持ち悪いとは言っているが、食事が摂れないほどでもなく、エドアルドは産み月近くまで執務を続けた。
長身で大柄なエドアルドはお腹が目立たない方だったが、産み月が近付くと少しはお腹が膨らんできていた。
「リベたん」
「エド?」
手を取られてエドアルドのお腹に手を添えると、中から動く気配がする。
「蹴った?」
「蹴った」
「元気な子だな。アウローラに似てるかも」
「リベたん、アウローラが生まれたとき、覚えてる?」
アウローラが生まれたときには、リベリオは六歳だった。そのときのことはぼんやりとだが覚えている。父であるブレロ子爵が亡くなって実家に帰されて気落ちしていた母のレーナを、リベリオが一生懸命慰めた。
リベリオも悲しかったのだろうが、それよりも妊娠しているレーナを元気づけることが一番だった。
「ぼんやりと覚えてる。泣いて眠れない母上のベッドに入って腰をさすってあげたり、お腹が大きくなってきたら、手を貸してあげたりしたよ」
「偉かったね」
エドアルドに髪を撫でられて、あのときは必死だったのだと思い出す。
夫を失って自分もいつ儚くなるか分からないようなレーナを引き留めるために、リベリオは一生懸命だった。
そのころの記憶がエドアルドへの過保護に繋がったのかもしれない。
「ごめんね、エド。わたし、過保護すぎたよね」
過保護で過干渉で神経質になりすぎていたと謝るリベリオに、エドアルドはリベリオを抱き締めてくれた。
「リベたん、ありがとう」
「怒ってないの?」
「だいすき」
相変わらずエドアルドは言葉が少ないが、エドアルドなりに伝えようとしてくれているのだとよく分かる。
妊娠が分かってから九か月目に、エドアルドはお腹に魔法陣を書いて移転の魔法で無事に赤ん坊を産んだ。
赤ん坊の髪色が蜂蜜色だったので、リベリオは驚いてしまった。
「エド、わたし、この子を見た」
「リベたん?」
「夢でこの子がベビーベッドで眠っているのを見たんだ。エド……嬉しい。こんなにかわいい子を産んでくれてありがとう」
産湯をつかわせてもらって、産着を着せられた小さな赤ん坊は男の子だった。まだあまりよく見えていないという目を開くと、エドアルドと同じ紫がかった青い目だった。
「男の子だよ。エドにお目目がよく似てる」
「リベたんにそっくり」
エドアルドに似ているところを探すリベリオだが、ふわふわの赤ん坊の髪は間違いなくリベリオに似ていた。
「この子も寝癖が酷くて悩むんだろうか」
「ぼくが整えてあげる」
「わたしもするよ。エドみたいに丁寧じゃないけど」
リベリオには先見の目があるのかもしれない。
その事実も、生まれてきた赤ん坊を見ると納得できる気がした。
「エド、名前を付けてあげて」
「ぼくでいいの?」
「エドに付けてほしいんだ」
リベリオがお願いするとエドアルドはしばらく悩んだ後に赤ん坊に名前を付けてくれた。
「シリル・アマティ。ぼくとリベリオの息子」
「シリル。かわいくていい名前だね」
「ぼくたちの天使」
ベビーベッドに寝かされたシリルの髪を撫でて、エドアルドが額にキスをする。
リベリオも同じ場所にキスをして、シリルを愛おしく見つめたのだった。