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第69話 北ルート③ 


  ◆


 例えレア度が1であろうと、生身の人間がモンスターに抗うというのは非常に難しい。


 人間の身体はあまりにも脆いのだ。


 どれほど鍛えたつもりでも、牙や刃の一撃を凌ぐ術は限られる。


 それを知りながら飛び込むのは、無謀としか言いようがない。


 ましてや相手がレア度4ともあれば、自殺行為でしかない。


 しかし中谷はそうした。


 しないでは居られなかった。


「うおおおおっ……!」


 中谷は絶叫にも似た声を上げながら駆け出した。


 召喚のクールダウン中で、サハギン・ランサーを呼び戻せない。


 しかし今の彼には、ぶつける先のない“意思”──マナが全身を巡っていた。


 本来ならモンスターを動かすために使われるはずの力は、中谷自身を強化する形で発現している。


 拳には青白い光が凝縮し、勢いそのままにボア・ジェネラルの腹を殴りつけた。


 硬い鎧がわずかにへこむ。


 だがそこまでだった。


 ボア・ジェネラルは、そのまま巨大な大剣を横薙ぎに振る。


 鎧中谷の胴体は腰のあたりで一瞬だけ歪み、血しぶきが飛んだ。


 次の瞬間、中谷の上半身と下半身が分かたれる。


 弾け飛んだ鮮血、こぼれる内臓。


 戦慄が周囲に走った。


「くそ……!」


 高槻は奥歯を噛みしめる。


 前田や筧、森川も言葉を失い、目の前の惨劇に立ち尽くした。


 誰かが動かなければ、今度は別の誰かが中谷と同じ末路を辿る。


 しかし足が動かない。


 完全に気圧されていた。


 が──


「落ち着け! 前を見ろ!」


 自衛隊の指揮官が一喝した。


 鋭い声が耳を揺さぶり、覚醒者たちを冷静な意識へ引き戻す。


「援護射撃を続ける! おまえたちは距離を取れ!」


「は、はい……!」


 前田や筧が混乱を抑え込み、急いで後退を図る。


 ボア・ジェネラルは鼻面を鳴らすようにして、血の臭いを嗅ぎ取ってニタリと嗤った。


 依然として敵は強大だ。


 自衛隊も覚醒者も混乱からは立ち直ったが、戦車のような猪頭の騎士を仕留めきれる保証はない。


 その時だった。


「おいおい、骨のある奴がいるじゃねえか」


 不意に声が上がった。


 雑踏の中に突如として現れたのは、数人の仲間らしき者たちを従えている如何にも不良といった様子の青年だった。


 髪は無造作に短く刈られ、鋭い目つきと鼻筋の傷痕が印象的だ。


 その青年の傍らには、ボア・ジェネラルを上回る体躯の大鬼が立っている。


 ──『レア度5/剛腕をかざすアングリー・オーガ/レベル2』


 大きな牙と血の様に赤くギラつく両眼、深緑色の肌をした筋肉隆々の大鬼であった。


「君は……? 覚醒者の様だが……」


 指揮官が問いかける。


 だが青年は首を振って答えた。


「今はお行儀よく自己紹介してる暇はねぇからな。あんたらに会いに来たわけでもねぇし」


「……何?」


「なあ、三崎って奴を知らないか? 俺はそいつを捜してんだよ」


 青年は周囲を見回すが、それらしき姿がいないと見るや肩をすくめて笑う。


「まあいいや。この豚をとっととシメるからよ。あんたらは下がっててくれや」


 ボア・ジェネラルと対峙する青年の表情には、恐れよりも楽しさが宿っているように見えた。


 大鬼が彼の一声を待つかのように低く唸りをあげる。


 そして──


 ・

 ・

 ・


 青年たちが霧の中へ消えた後、誰もが口を開く事ができなかった。


 転がる黒い鎧の破片と、地面に染み込んだ血痕。


 ボア・ジェネラルの巨体は光の粒子となって消えたが、その存在感はまだ空気に残っているようだった。


「あれは、いったい……」


 前田の声は震えていた。


 目の前で起きた出来事は、あまりにも一方的だった。


 数分前まで彼らを圧倒していたボア・ジェネラルが、青年の大鬼に易々と葬られたのだ。


 まさに嬲り殺しといっても過言ではなかった。


 敵ではないと分かってはいても、あの大鬼の恐ろしさを思い出すと誰もが背筋を震わせざるを得ない。


 高槻は無言で拳を握りしめる。


 彼の視線は中谷の死体に注がれていた。


「中谷……」


 誰かがつぶやく。


 指揮官が咳払いをして、全員の意識を現実に引き戻す。


「先を急ごう。中谷君の死を無駄にはできない」


 その言葉に、覚醒者たちはゆっくりと我に返った。


 前田は鎧の破片を一瞥すると、顔を上げて言う。


「そうだな……行こう」


 いつの間にか霧は薄れ、道の先には公園の輪郭が見え始めていた。


 青年の言葉が、高槻の耳に蘇る。


 ──三崎って奴を知らないか? 


 謎は深まるばかりだが、今はそれを考えている余裕はなかった。


 一行は前進を続け、A公園への道を急ぐ。

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