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第91話「その頃の三崎」

 ◆


 周囲は随分と荒れている。


 ガードレールは飴のようにひしゃげ、アスファルトは砕けてめくれ上がり、道の両脇からは赤黒い蔦がまるで生きているかのように家という家を覆い尽くしていた。


 ──本当に映画の中の世界って感じだなぁ。


 ふと、麗奈は大丈夫かな、などと思う。


 麗奈は言うまでもなくブラコンなのだが、三崎も三崎で大概なシスコンなのだ。


 歪んだ感情を抱いているわけではないが、三崎は麗奈に対して必要以上に心配になる部分がある。


 ただ。


 ──まあでも、麗奈なら大丈夫か。


 結局はそういう考えに落ち着いた。


 三崎が知る限り、麗奈は何でもそつなくこなす。


 覚醒者としての才能もかなりあるのだろう。


 なんだったら自分のほうが心配される立場かもしれない、などと三崎は思っている。


「ん?」


 先ほど偵察から戻ったばかりの二匹のゴブリンのうちの一匹が、三崎のズボンの裾をくいと引っ張り何かを訴えるように見上げた。


「どうした?」


 三崎が屈んでゴブリンに視線を合わせると、ゴブリンは「ギギ」と短い鳴き声を上げ、進行方向の先を指差した。


 どうやら新たなモンスターの気配でも感じ取ったらしい。


「おい、三崎。まさかそいつらと話せるのか?」


 陣内が面白そうな顔で、三崎とゴブリンを交互に見ながら尋ねてきた。


「いや……言ってる事は完全に理解できるわけじゃないけど、なんとなく言いたい事は分かるっていうか……不思議な感じなんだ」


 三崎は苦笑しつつ答える。


 自分でもこの感覚をどう説明していいのか、的確な言葉が見つからなかった。


「陣内はどうなの? アングリー・オーガと話せたりする?」


 三崎が逆に問いかけると、陣内はアングリー・オーガの巨体を見上げて肩をすくめた。


「話せるわけねえだろ。こいつは唸ったり吠えたりするだけだ。だがな、何が言いてえのかは、まあ……腹の底で感じるもんはあるぜ」


 そう言ってオーガの腕を軽く叩く。


 オーガは主の言葉に応えるように、低く太い鼻息を漏らした。


「そういえば、さっきは助かったよ、陣内。城田君と坂上君のこと」


 三崎は改めて陣内に向き直り、頭を下げた。


 公園での乱戦──あの二人がモンスターに囲まれた時、陣内たちの援護がなければどうなっていたか分からない。


「ああ? 別に礼を言われるようなことじゃねえよ。たまたま通りかかっただけだし、それに、あいつらが勝手に突っ込んでピンチになっただけだろ」


 陣内は鷹揚に手を振りながら、どこか面白くなさそうに吐き捨てた。


「まあ、そうなんだけどね……。でも、結果的に助けてもらったのは事実だから」


 三崎はもう一度軽く頭を下げる。


 城田と坂上は、あの後すぐに双子の覚醒者が操る騎士モンスターによって安全な場所へと運ばれた。


 命に別状はないがしばらくは戦線復帰できないだろう。


 自業自得と言えばそれまでだが、それでも仲間が減るのは痛い。


「ったく、あのバカ二人ときたら、魔石欲しさにフラフラしやがって。おかげでこっちまで危ない目に遭うところだったんだぞ」


 会話に割り込んできたのは、魔剣ラスティソードの使い手である高槻だった。


 苦虫を噛み潰したような表情で、先の戦闘を思い返しているのか、その声には隠しきれない苛立ちが滲んでいる。


「あいつらみたいなのがいると迷惑なんだよ。自分勝手な行動で全体の足を引っ張るなんて、許されることじゃない」


 高槻の言葉は辛辣だが、彼の言いたいことも三崎には理解できた。


 北ルートで仲間を失った高槻にとって、規律を乱す行為は許しがたいのだろう。


「まあ、落ち着けよ高槻。死人が出なかっただけマシだろ」


 前田がなだめるように言うが、高槻の怒りは収まらない。


「マシなもんか! あの状況で助けが入らなきゃ、今頃あいつらはモンスターの餌だ。それどころか、俺たちだって……」


 高槻の言葉が途切れる。


 その先を口にするのは、彼自身にとっても辛いのだろう。


 三崎は静かに口を開いた。


「……もしかしたら、逆に怪我をしてよかったのかもしれないよ」


「はあ? 何言ってんだお前。怪我して良かったなんてことがあるわけないだろ!」


 高槻が食って掛かるように三崎を睨みつける。


「もちろん、怪我そのものが良いなんて思ってない。でも、もし彼らが無傷で、あのまま調子に乗って魔樹の近くまで行っていたら……もっと最悪の事態になっていたかもしれない」


 三崎の言葉にその場にいた他の覚醒者たちも訝しげな表情を浮かべる。


「最悪の事態って……どういうことだ?」


 陣内が眉をひそめて尋ねた。


「陣内は山本のこと覚えてる?」


「ああ? そりゃ覚えてるに決まってるだろ。蛇の──」


「うん、死んだんだ」


 陣内は眉を顰める。


 学校から脱出する際、共に戦った仲間の一人、山本。


 陽気な性格でムードメーカーだった彼は、魔樹からドロップした不気味な果実を興味本位で口にしてしまった。


 その結果──。


「山本はあの果実を食べた直後、苦しみだして……僕と麗奈の目の前でモンスターになっちゃった。最期は、おかあさんって言ってたよ」


 三崎はそこまで言って口を閉じた。


 山本の事を考えるとこめかみが疼く。


 腹の底で何かとても熱いものがぐつりと煮えるような気がする。


 目の前で友人が死ぬ羽目になったその元凶に対して、憎悪が湧いてくる。


 ──ただじゃあすまさない


 絶対に、ただじゃすまさない──三崎は改めて心に誓う。


 ともあれ、三崎が言いたい事は明白であった。


 もし城田らが調子に乗って魔樹の実を口にしたなら──新たなモンスターとなり、自分たちに牙を剥いていた可能性を示唆している。


「……そういうことか。確かにそうなっちまうくらいなら、怪我で済んだ方がマシかもしれねえな」


 陣内が吐き捨てるように言った。


 それとよ、と言を継ぐ。


「三崎、お前ちょっと目つき悪ぃぞ。ゴブリン共も影響されているのか知らねぇが──」


 陣内がゴブリンをみやると、二匹のゴブリンの様子が明らかにおかしい。


 それまではコミカルな仕草なども見せていて、どこか間の抜けた愛嬌すら感じられたというのに。


 今はどうだ。


 ゴブリンたちの緑色の皮膚はまるで内側からどす黒い何かが滲み出しているかのように色濃く変じ、爛々と血走った双眸はぎらぎらとした凶暴な光を宿している。


 小柄なはずの体躯も心なしか一回り大きく、これまで貧弱に見えた筋肉が不気味に盛り上がっていた。


 指先からは鋭利な爪が伸び、剥き出しにされた牙は獲物の喉笛を食い破らんとばかりに研ぎ澄まされている。


「グルルルル……」


「ギシャァァッ!」


 低く威嚇するような唸り声や甲高い威嚇音は酷く攻撃的だ。


 それはまるで、三崎の内に渦巻く抑えきれない憎悪や復讐心といった激情が、彼らを使役するマナを通じて直接流れ込み、その矮小な肉体を無理やり変質させたかのようだった。


「な……なんだよ、こいつら……」


 高槻が思わず後ずさる。


 前田もナイト・バルワーを盾にするように一歩下がり、ゴブリンたちの異様な気配に警戒を強めていた。


「三崎、なあ……落ち着きなよ……」


 英子がブレイカー・ロックの背後に半身を隠しながら、不安げに声をかける。


 と、その時。


「ルミィ、“調和の光”」


 沙理がルミナス・ソウルに声を掛ける──すると。


 彼女の掌で揺らめいていた水色の光球が、ふわりと宙に浮き上がる。


 そして次の瞬間、まるで内側から弾けるように柔らかな光の粒子を周囲へと拡散させた。


 それは暴力的な閃光ではなく、むしろ湖面に映る月光のように穏やかで清澄な輝きだった。


 そんな光の粒子が三崎の身体に降り注ぐ。


 まるで温かい毛布に包まれるような、不思議な安堵感が胸の奥から湧き上がってくる。


 三崎は激情がまるで氷が溶けるように静かに鎮まっていくのを感じた。


 こめかみの疼きも和らぎ、腹の底で煮えたぎっていた黒い感情が、ゆっくりと霧散していく。


 三崎は大きく息を吐き出し、張り詰めていた肩の力を抜いた。


 まるで重い鎧を脱ぎ捨てたかのような解放感があった。


 それに呼応するように凶暴な姿へと変貌していたゴブリンたちも徐々に元の姿へと戻っていく。


 どす黒く変じていた皮膚の色はいつもの深緑色に戻り、不気味に盛り上がっていた筋肉も萎んでいく。


 鋭利だった爪や牙も、いつものどこか間の抜けた、それでいてしたたかさを感じさせるゴブリン特有の姿へと落ち着いた。


「ギ……?」


「キュイ……」


 ゴブリンたちはきょとんとした表情で自分たちの手足を見つめ、それから不思議そうに三崎の顔を見上げた。


 まるで、先ほどまでの自分たちの凶暴な振る舞いを覚えていないかのようだ。


 三崎はそんなゴブリンたちの頭を優しく撫でてやった。


「……ありがとう、沙理さん。助かったよ」


「落ち着いた?」


「うん、まあ……。でも凄いね」


 ルミナス・ソウルは再び沙理の掌に戻り、穏やかな光を放っている。


「そこらのカウンセラーよりよっぽど役に立つぜ。俺もなんだか気分がいいからな。たっぷり寝た翌日の朝って感じの気分だ」


 陣内がどこか感心したように言う。


「ちょっと落ち着かせたり、気分をよくするだけなんだけれどね。ルミィ──ルミナス・ソウルは戦うのは余り得意じゃないから、こういう時に役に立ちたいと思ってる」

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