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第6話 取り返しのつかない失敗

「ねえナオシ、ナオシってば」


 黄緑色の光に包まれた部屋で黙々とノートパソコンを操作するナオシに、デイジーが声をかける。

 彼の両肩でリズミカルに叩いていると、ナオシが刺々しい口調で言った。


「今集中してるんだ。後にしてくれ」


 ナオシは卓越したキーボード捌きで、映画に使う映像を編集する。

 デイジーは渋々ちょっかいを止めると、彼に質問した。


「それ、確かノートパソコンってやつだよね。どうしたの?」


「この前ハリーがくれたんだ。何かと役立つだろうって」


 スーパーコンピュータと同等の演算能力を備えるアンドロノイドが、ノートパソコンを使用することはまずない。

 故にこのノートパソコンはハリー謹製の特注品であり、その性能はアンドロノイドとほぼ同等のものだった。


「普段の食事だって、パパが生命研究センターから特別に取り寄せてるものでしょ。ナオシはいいよね、パパに何でも買って貰えて」


 『あたしのパパなのに』とデイジーは呟く。

 ナオシが不貞腐れた態度で反論した。


「君には70億の同族がいるじゃないか。1人くらいいいだろ」


「よくない! 家族と友達は別なの!」


「どう区別するんだ? アンドロノイドに血は流れていないのに」


 ナオシが言い放った瞬間、重い沈黙が部屋を包む。

 しまった、と思った時にはもう遅かった。


「……もういい、帰る」


 デイジーはナオシに背を向け、冷たい足取りで部屋を出る。

 閉ざされた扉越しに、彼女の叫びが響いた。


「ナオシなんて大っ嫌い!!」


 初めて聞いた拒絶の言葉に、ナオシは慌てて扉を開ける。

 薄暗い通路の中に、デイジーの姿はもうなかった。


「……っ」


 ナオシは静かに扉を閉め、部屋の隅で蹲る。

 暫くそうしていると、ノートパソコンがメッセージを受信した。


「ナオシ、今どこにいますの? もう撮影の時間ですわよ!」


「パルフェか……」


 法律上は、このノートパソコンに内蔵されたデータがナオシということになっている。

 ナオシは『今行くよ』と返事を書き込むと、重い足取りで撮影場所の噴水広場へと向かった。


「あっ、ナオシくん遅ーい!」


 広場に到着するなり、レネが手を振りながら駆け寄ってくる。

 どこか生気のない態度で応じるナオシを観察しながら、パルフェは考えを巡らせた。


「個体識別番号も交換したし、メッセージのやり取りもした。これで疑いは晴れた……はずですわ」


「さっ! 時間もないし、早く始めちゃおっか!」


 レネは撮影準備の傍ら、パルフェに目配せする。

 彼女に苦々しい視線を返しながら、パルフェは昨夜レネと立てた作戦について思い返した。


「……ナオシと正体を暴くって、具体的にどうしますの?」


「これを使うんだよ」


 レネはそう言って、懐からナイフを取り出す。

 銀色に閃く刃を街路樹目掛けて振るうと、木の幹に一筋の傷が刻まれた。


「撮影中の事故に見せかけて、これでナオシくんを刺すの。何もなければそれでよし。もし傷がつけば……ふふっ」


「そ、そんなことが許されると思っていますの!? やっぱりわたくしは」


「あれー? その言い方だと、パルフェはナオシくんがアンドロノイドじゃないって疑ってることになるけどー?」


 レネの言い分は明らかに詭弁だが、パルフェは言い返す言葉を見つけられない。

 パルフェの掌にナイフを握らせて、彼女は悪辣に口角を上げた。


「実行は明日。よろしくね、パールフェっ」


 レネはパルフェに背を向け、ひらひらと手を振りながら帰っていく。

 ナイフの冷たい光を見つめながら、パルフェはただ立ち尽くしていた––。


「ほら、ちゃっちゃと位置に着く!」


 レネの急かす声で、パルフェの意識は現実へと引き戻される。

 『その時』をどうにか先延ばしにしようと、彼女はナオシに質問した。


「そういえば、デイジーの姿が見えませんわね。ナオシは何か知ってますの?」


 レネが露骨に顔を顰める。

 ナオシは暫く黙り込んだ末、弱々しく言った。


「……彼女なら来ないよ」


「あら、何処か部品の調子でも悪いのかしら?」


「そういうことじゃない。ただ……」


 再び沈黙したナオシの次の言葉を、パルフェは静かに待つ。

 ナオシは大きな溜め息を吐くと、自らの失敗を白状した。


「喧嘩をしたんだ」


「けっ、喧嘩!? あなたとデイジーが!?」


「ああ。きっかけは些細なことだったが、彼女を深く傷つけてしまった。きっともう、ここには来ない」


 生まれて初めて喧嘩をしたナオシには、仲直りの方法が分からない。

 後悔と喪失感に満たされた彼の心に、撮影を続行する気力はなかった。


「わたくしでよければ、お話聞きますわ」


「いいのかい? ありがとう、助かるよ」


 幼子のように顔を綻ばせるナオシを連れて、パルフェは少し離れた場所まで移動する。

 残されたレネの舌打ちが、穏やかな広場に吐き捨てられた。


「なるほど……そんなことがありましたのね」


 ナオシと並んでベンチに腰掛けながら、パルフェは深々と頷く。

 喧嘩の経緯と放った言葉を合算して、彼女は演算の結果を伝えた。


「まずは、話してくれてありがとうございますわ。その上でお答えしますが……悪いのはナオシ、あなたの方ですわ」


「……だろうね」


 ナオシはあっさりと言う。

 諦めを滲ませる彼を、パルフェは力強い口調で励ました。


「でも、喧嘩したからってそれで終わりじゃありませんわ! 仲直りすればいいんですのよ!」


「仲直り……そんなことが可能なのかい?」


 ナオシが期待に満ち溢れた表情で詰め寄る。

 仲直りについて纏めたマニュアルの立体映像を手渡して、パルフェは蚊の鳴くような声で呟いた。


「ごめんなさい。デイジー、ナオシ。わたくしは今から、あなたたちを利用しますわ」


「え、何か言ったかい?」


「何でもありませんわ。わたくしはデイジーに連絡を取りますから、あなたはそのマニュアルを熟読しなさい」


「分かった。本当にありがとう」


 ナオシは改めて礼を言い、仲直りマニュアルを読み始める。

 そんな彼の様子を記録して、パルフェはデイジーにその映像を送った。


「ご覧の通り、ナオシは無茶苦茶反省してますわ。どうか許してあげて」


「ふん」


 すぐに取りつく島もない返事がくる。

 パルフェは深い息をすると、メッセージを送信した。


「もし彼を許す気になれたら、今から一時間後、噴水広場に来て」


 これでデイジーが来たのなら、ナオシの正体暴きは中止する。

 しかし来なければ、ナイフでナオシの胴を突き刺す。

 友情を利用した賭けに自らの命運を託して、パルフェは祈るように空を見上げた。


「……ふんっ」


 パルフェから送られてきたメッセージを黙殺して、デイジーはそっぽを向く。

 ナオシに言われた憎たらしい言葉の数々を思い出し、彼女は怒りを再燃させた。


「あんな奴、幾ら謝ったって許してあげないんだから!」


 パルフェには悪いが、撮影も休もう。

 今日はとても他者といられる気分ではない。

 デイジーは自宅の個室に向かうと、ベッドに横たわって瞼を閉じた。


「さあ、久しぶりに一人を満喫しますか!」


 最近遊んでいなかったRPGアプリを起動して、進めるセーブデータを選択する。

 ゲームを開始するなり、勇ましいBGMが鳴り響いた。


「嘘っいきなりボス戦!? 前回のあたし、どこでゲーム中断してんのよ!」


 『パルフェ』『ナオシ』と名付けられた仲間キャラクターの存在が、またデイジーを苛立たせる。

 彼女は蛇のような姿のボスを睨みつけると、全員に攻撃を命じた。


「え、どうなのこれ。もう火力の感覚忘れちゃったんだけど」


 しかしボスにさしたるダメージは与えられず、逆に返しの全体攻撃で大きな痛手を負ってしまう。

 一度ゲームを中断して攻略情報を見ようとした刹那、脳裏にナオシの声が蘇った。


「まず雑魚を倒して状態異常にさせるんだ。そうすると攻撃が通るようになる」


「そっか、ありがとうナオシ! ……あっ」


 自分一人では忘れていたことも、友達との記憶になればこうもあっさりと思い出せる。

 ナオシと過ごした日々に想いを馳せて、彼女はぼうっとした口調で呟いた。


「忘れてた。ナオシは、あたしの友達なんだ」


 しかし友達であっても共有できない孤独はあり、悩むあまりに傷つけ合ってしまうことがある。

 そしてそれを乗り越えてこそ真の友情が生まれるのだと、デイジーは実感を以って理解した。


「謝らなきゃ。ナオシにごめんって言わなきゃ!!」


 デイジーは弾かれたように起き上がり、噴水広場を目指して走り出す。

 時刻は17時40分。

 パルフェがメッセージを送ってから、既に50分が経過していた。


「お願い、待ってて。ナオシ……!」


 デイジーは全速力で街を駆け抜け、普段使っていない部位が軋み始める。

 そして18時の鐘と入れ替わるように、彼女は噴水広場の柵を飛び越えた。


「ナオシっ!!」


 噴水が一際大きく噴き上がり、濃紺の夜空を舐める。

 デイジーが撮影現場に突入した瞬間、ぶちりという生々しい音が響いた。


「……え?」


 ナオシの体に銀の刃が深々と突き刺さり、深紅の血が流れ落ちる。

 それはナオシがこの世界の異分子––人間であることの動かぬ証拠だった。


「……ッ!」


 ナイフの柄を握るパルフェも、肉を抉られたナオシも、そして惨状を目の当たりにしたデイジーも、皆茫然としている。

 レネだけが不敵に笑い、カメラアイにしっかりと現場を映していた。


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