縛り上げられ、その場にごろりと投げ捨てられる男。
ひと仕事を終えた紙袋メイドは、手袋に包まれた両手をポンポンと叩いてた。引っ越しの荷造りでもしているかのような、そんな所作であった。
(このロープいいなぁ。細いのに強度があるし、何より視認性が低くて応用が利きそう。お嬢様の店から
蜘蛛型魔物の糸を利用した探索者用万能ロープ。店内を視察している間、ずっと気になっていた商品だ。
「そんな……
信じられない、といった顔でその場に立ち尽くす黒沼。戦闘要員である男が敗北した以上、彼女らの計画はここで頓挫することになる。
失敗する要素など無い筈だった。難しいのは九奈白凪を一人にするところだけで、捕らえてしまえばあとはどうにでもなる筈だった。市外にさえ出てしまえば、追跡を振り切る手段などいくらでも存在する。あとほんの数十分も車を走らせれば、計画は成功する筈だった。
筈、筈、筈。
全てはそうなる『ハズ』だった。この、紙袋を被ったおかしなメイドさえ現れなければ。
「はーい、それじゃあ縛っていきますねー」
美容室のシャンプーか、とでも言いたくなるような呑気さで、紙袋メイドがゆっくりと黒沼に近づいてゆく。
「あなたは……一体何者なの……? こんな情報、私は知らない……聞いてない……」
「うゎ、なんかぶつぶつ言ってて怖い」
「こんな所でッ……アンタさえ……お前さえ現れなければ、こんな事にはッ! 私はこんなところで――――」
「ていっ」
黒沼が怨嗟を叫び、鬼の形相で紙袋を睨みつける。
だが紙袋の右腕が僅かに閃き、次の瞬間には黒沼の意識をさっくりと奪っていた。そうして紙袋メイドがぐるぐると、何故だか亀甲縛りで黒沼を拘束する。よく見てみれば、放置していた男も同様であった。
「ミッション・コンプリート……!! 清々しいっ!」
「何が『清々しい』よ、この馬鹿メイド」
「あいたっ」
わざとらしく汗を拭った――汗などかいていないし、そもそも紙袋越しなのでただのジェスチャーだ――紙袋メイドの尻へと、小さな衝撃が走る。振り返ってみれば、そこには少し不機嫌そうな顔をした九奈白凪の姿があった。砂埃やら小石などのせいか、着ているスーツに多少の汚れはあるものの、しかし怪我などは一切見当たらなかった。それを認めた紙袋は、今更ながらに声色を変えた。
「おや、ご無事でなによりでございます。先ほど
「誰が行っていいと言ったのよ。待ちなさい」
「ぐえぴ」
メイド服についた腰紐を『ぐい』と引かれ、立ち去ろうとしていた紙袋メイドがおかしな声を上げる。
疑念と驚き、不安と安堵、感謝と怒り。凪の顔には、綯い交ぜになった様々な感情が表れていた。
「私も色々と言いたいことはあるけれど……まずはそちらから、説明しなければならない事があるんじゃないかしら?」
「ありません。それでは」
「待ちなさい」
「ぐえぴ」
どうやら逃がしてはもらえないらしい。
とはいえ紙袋メイド――
「ふぅ……仕方ありませんね。長くなりますよ?」
「構わないわ」
ようやく観念した、とでも思われたのだろうか。凪はメイド服から手を離し、紙袋が喋り始めるのを待っている。
「
「……? ええ、もちろん……? けどそれになんの関係があるのかしら?」
厳かな雰囲気と共に、紙袋が語り始める。開幕からして既に意味不明な内容であったが。
「焦らないで下さい。いいですか? ふぐという魚ははるか昔、それこそ縄文時代より食されてきた魚です。かの秀吉公が禁止令を出してもなお、民衆は食べることをやめませんでした」
「ええ、そうね……そうね?」
「ふぐという魚が安全に食べられるようになるまで、多くの犠牲があったことでしょう。初めて口にした者は当然、毒で死んだでしょう。ある者がふぐを食べれば、毒で死に。またある者が別の部位を食べ、やはり毒で死に。そうして何人もの勇者達が犠牲となることで、漸くふぐは安全に食べられるようになりました」
「……? 話が見えないわ。何が言いたいのかしら?」
手を広げ、大仰な動きと共にそこまで語り。
そうして紙袋メイドは、芝居がかった動きで少し距離をとる。そして――――
「ふふふ……とうっ!」
「あっ」
紙袋メイドは大げさに肩を竦めると、そのまま大きく跳躍。遥か遠くのコンテナ上へと移動していた。
「今回の教訓、それは『油断しないこと』です! ではまた会いましょう、さらば!」
「ま、待ちなさいっ! このっ――バカメイドッ!!」
凪の制止も聞かず、紙袋メイドは意味不明な話だけを残してそのまま逃走した。
あのようにぴょんぴょんと逃げられてしまっては、最早凪には止める手段がない。その場には静寂と
* * *
その後、九奈白凪は無事
色々と事情聴取を受けたものの、凪はむっつりと口を噤むだけであった。まるで『何も答えるつもりはない』とでもいいたげに。これは偏に、凪の機嫌が著しく悪いというだけの理由なのだが――しかし相手が相手である。
そんなどんよりと重苦しい空気の中、
「お帰りなさいませ、お嬢様。お風呂と食事の準備が既に出来ております。いろいろとお話もあるでしょうが、まずはゆっくりとお休み下さいませ」
メイド達を代表し、
心配をかけてしまった事については申し訳ないと思うが、しかし今の凪にはそれよりも優先するべきことがあった。
「それより、
「彼女なら『お嬢様が居なくなった』とこちらへ連絡を入れたきり、ずっと周囲を捜索していたようです。先ほどこちらから連絡をしましたので、そろそろ戻る頃かと」
「……そう」
成程確かに、凪よりも先に帰っているのはおかしい。そうなれば『お嬢様はどうした』と
どうやらあの新人は今、せっせとアリバイ作りに勤しんでいるらしい。
あれほど正体を隠そうと(?)していたのだ。仮にあの紙袋の正体が本当に
そもそもの話、紙袋メイドの正体が100%
「……そうね。今日はもう疲れたから、身体を洗ったらすぐに休ませてもらうわ」
「畏まりました」
ともあれ、全ては明日からでいい。
そうして浴室へと移動し、汚れた制服を脱ぎ捨てる。汗で首筋に張り付いた髪が、少し不愉快だった。