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第23話

 縛り上げられ、その場にごろりと投げ捨てられる男。

 ひと仕事を終えた紙袋メイドは、手袋に包まれた両手をポンポンと叩いてた。引っ越しの荷造りでもしているかのような、そんな所作であった。


(このロープいいなぁ。細いのに強度があるし、何より視認性が低くて応用が利きそう。お嬢様の店から――借りてきたヤツだけど、今度また買いに行こうかな……)


 蜘蛛型魔物の糸を利用した探索者用万能ロープ。店内を視察している間、ずっと気になっていた商品だ。Le Calmeル・カルムから拝借してきたそれは、予想通りに良いモノであった。本来はダンジョン探索で使うものなのだろうが、だからといって普段遣いして悪いということもない。一般的なロープの代用として使うには、些か値段が釣り合っていないが。


「そんな……ルーが、負けた……? それも一対一の対人戦で……?」


 信じられない、といった顔でその場に立ち尽くす黒沼。戦闘要員である男が敗北した以上、彼女らの計画はここで頓挫することになる。

 失敗する要素など無い筈だった。難しいのは九奈白凪を一人にするところだけで、捕らえてしまえばあとはどうにでもなる筈だった。市外にさえ出てしまえば、追跡を振り切る手段などいくらでも存在する。あとほんの数十分も車を走らせれば、計画は成功する筈だった。


 筈、筈、筈。

 全てはそうなる『ハズ』だった。この、紙袋を被ったおかしなメイドさえ現れなければ。


「はーい、それじゃあ縛っていきますねー」


 美容室のシャンプーか、とでも言いたくなるような呑気さで、紙袋メイドがゆっくりと黒沼に近づいてゆく。


「あなたは……一体何者なの……? こんな情報、私は知らない……聞いてない……」


「うゎ、なんかぶつぶつ言ってて怖い」


「こんな所でッ……アンタさえ……お前さえ現れなければ、こんな事にはッ! 私はこんなところで――――」


「ていっ」


 黒沼が怨嗟を叫び、鬼の形相で紙袋を睨みつける。

 だが紙袋の右腕が僅かに閃き、次の瞬間には黒沼の意識をさっくりと奪っていた。そうして紙袋メイドがぐるぐると、何故だか亀甲縛りで黒沼を拘束する。よく見てみれば、放置していた男も同様であった。


「ミッション・コンプリート……!! 清々しいっ!」


「何が『清々しい』よ、この馬鹿メイド」


「あいたっ」


 わざとらしく汗を拭った――汗などかいていないし、そもそも紙袋越しなのでただのジェスチャーだ――紙袋メイドの尻へと、小さな衝撃が走る。振り返ってみれば、そこには少し不機嫌そうな顔をした九奈白凪の姿があった。砂埃やら小石などのせいか、着ているスーツに多少の汚れはあるものの、しかし怪我などは一切見当たらなかった。それを認めた紙袋は、今更ながらに声色を変えた。


「おや、ご無事でなによりでございます。先ほど治安維持部隊ガーデンに連絡しておきました。勤勉な彼らのこと、あと数分もすれば駆けつけてくれることでしょう。お帰りはそちらでお願い致します。それでは、私はこれで」


「誰が行っていいと言ったのよ。待ちなさい」


「ぐえぴ」


 メイド服についた腰紐を『ぐい』と引かれ、立ち去ろうとしていた紙袋メイドがおかしな声を上げる。

 疑念と驚き、不安と安堵、感謝と怒り。凪の顔には、綯い交ぜになった様々な感情が表れていた。


「私も色々と言いたいことはあるけれど……まずはそちらから、説明しなければならない事があるんじゃないかしら?」


「ありません。それでは」


「待ちなさい」


「ぐえぴ」


 どうやら逃がしてはもらえないらしい。

 とはいえ紙袋メイド――織羽おりはからすれば、説明出来ることなど何もない。それにそもそも、まだ自分の正体を認めてはいないのだ。先ほど名前を呼ばれたような気もするが、気づかなかったフリをすればノーカンだ。仮に99%バレていても、残りの1%があれば確定はしないのだ。そして織羽おりはには、自身の正体を明かすわけにはいかない理由がある。故に、この場をどうにか誤魔化す必要があった。


「ふぅ……仕方ありませんね。長くなりますよ?」


「構わないわ」


 ようやく観念した、とでも思われたのだろうか。凪はメイド服から手を離し、紙袋が喋り始めるのを待っている。


河豚ふぐってご存知ですよね? おいしいけど毒のある、あの高級魚のふぐです」


「……? ええ、もちろん……? けどそれになんの関係があるのかしら?」


 厳かな雰囲気と共に、紙袋が語り始める。開幕からして既に意味不明な内容であったが。


「焦らないで下さい。いいですか? ふぐという魚ははるか昔、それこそ縄文時代より食されてきた魚です。かの秀吉公が禁止令を出してもなお、民衆は食べることをやめませんでした」


「ええ、そうね……そうね?」


「ふぐという魚が安全に食べられるようになるまで、多くの犠牲があったことでしょう。初めて口にした者は当然、毒で死んだでしょう。ある者がふぐを食べれば、毒で死に。またある者が別の部位を食べ、やはり毒で死に。そうして何人もの勇者達が犠牲となることで、漸くふぐは安全に食べられるようになりました」


「……? 話が見えないわ。何が言いたいのかしら?」


 手を広げ、大仰な動きと共にそこまで語り。

 そうして紙袋メイドは、芝居がかった動きで少し距離をとる。そして――――


「ふふふ……とうっ!」


「あっ」


 紙袋メイドは大げさに肩を竦めると、そのまま大きく跳躍。遥か遠くのコンテナ上へと移動していた。


「今回の教訓、それは『油断しないこと』です! ではまた会いましょう、さらば!」


「ま、待ちなさいっ! このっ――バカメイドッ!!」


 凪の制止も聞かず、紙袋メイドは意味不明な話だけを残してそのまま逃走した。

 あのようにぴょんぴょんと逃げられてしまっては、最早凪には止める手段がない。その場には静寂と濤声とうせいだけが残り、少しの後、治安維持部隊ガーデンのものであろう車のサイレンが小さく聞こえて始めた。現場に取り残された凪は、縛り上げられ意識を失った犯人達と共に、彼らの到着を待つことしか出来なかった。



        * * *




 その後、九奈白凪は無事治安維持部隊ガーデンに保護された。

 色々と事情聴取を受けたものの、凪はむっつりと口を噤むだけであった。まるで『何も答えるつもりはない』とでもいいたげに。これは偏に、凪の機嫌が著しく悪いというだけの理由なのだが――しかし相手が相手である。治安維持部隊ガーデンの隊員たちも、凪から無理やりに話を聞き出す、などといった行為には出られない。その結果、不機嫌そうに足を組んで黙り込む凪と、その顔色を窺いながら大人しくすることしか出来ない隊員という、なんとも居心地の悪い空間が出来上がっていた。


 そんなどんよりと重苦しい空気の中、治安維持部隊ガーデンの車はようやく白凪館へと到着する。諸々の取り調べなどを全てスキップした、まさにVIP待遇での送迎であった。

 治安維持部隊ガーデンから事前に連絡が届いていたのだろう。門前には全てのメイドが集合し、凪の帰りを待っていた。しかし、そこには例の新人メイドの姿がない。


「お帰りなさいませ、お嬢様。お風呂と食事の準備が既に出来ております。いろいろとお話もあるでしょうが、まずはゆっくりとお休み下さいませ」


 メイド達を代表し、花緒里かおりが恭しく一礼する。

 心配をかけてしまった事については申し訳ないと思うが、しかし今の凪にはそれよりも優先するべきことがあった。


「それより、織羽おりははどこ?」


「彼女なら『お嬢様が居なくなった』とこちらへ連絡を入れたきり、ずっと周囲を捜索していたようです。先ほどこちらから連絡をしましたので、そろそろ戻る頃かと」


「……そう」


 成程確かに、凪よりも先に帰っているのはおかしい。そうなれば『お嬢様はどうした』と花緒里かおりから責められること請け合いである。

 どうやらあの新人は今、せっせとアリバイ作りに勤しんでいるらしい。織羽おりはが戻って来るのをここで待ち伏せし、逃げられないようその場で問い質してやろうか。凪はそう考え――――しかし、やめた。


 あれほど正体を隠そうと(?)していたのだ。仮にあの紙袋の正体が本当に織羽おりはだったとして、素直に白状する筈もないだろう。

 そもそもの話、紙袋メイドの正体が100%織羽おりはだと凪には言い切れない。99%、と思ってはいるが――最後の1%を埋められないその理由は、凪の方にこそあるのだから。


「……そうね。今日はもう疲れたから、身体を洗ったらすぐに休ませてもらうわ」


「畏まりました」


 ともあれ、全ては明日からでいい。

 そうして浴室へと移動し、汚れた制服を脱ぎ捨てる。汗で首筋に張り付いた髪が、少し不愉快だった。


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