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第40話 挑発

 話し合いが終わると春馬は稲邪寺とうやじの警備員に宵闇よいやみえきまで送られた。本当は自宅まで送ってくれることになっていたが、たりさわりのない理由を並べて宵闇駅で降りていた。



──父さんと母さんに会いたくない。家にもいたくない……。



 春馬の罪の意識と羞恥心は消えていない。本屋やゲームセンターをあてもなく彷徨さまよい、ときが過ぎるのをただひたすら待ち続けた。やがて時刻は22時を回り、自宅方面のバスが最終を迎えようとしている。春馬はバスターミナルの待合室にあるベンチへ腰かけた。少したつと……待合室の雰囲気に変化が現れた。


 春馬と同じようにバスを待っている女子大生3人が、チラチラと春馬を覗き見してくる。そのことに気づくと春馬はあからさまに困惑した。最初は気のせいかと思ったが、女子大生たちは定期的に春馬へ視線を送ってくる。彼女たちはなぜか上を見たあと、確認するように春馬を眺めていた。



──な、なんだ……??



 春馬は恐る恐る女子大生たちの視線を追いかけた。待合室は吹き抜けになっており、2階部分は連絡通路になっている。連絡通路の木製の手すりに少年がこちらを向いてもたれかかっていた。


 年のころは春馬と同年代。体格も春馬と同じくらいで、白いTシャツに紺のサマーニットを重ね着し、黒のスキニーパンツ、グレーのスニーカーを履いている。少年は春馬をジィっと見下ろしていた。



──え……。



 少年と目が会った瞬間、春馬は思わず息を飲んだ。少年は見入ってしまうほどの美形の持ち主で、春馬の鼓動も早くなってゆく。女子大生たちも一目で少年に惹きつけられ、少年が送る視線の先を何度も確認したのだろう。



──だ、誰なんだ……。



 春馬が戸惑うのも無理はない。少年は整った眉に二重の瞳。スッと通った鼻筋と薄い唇。サラサラとした長い黒髪を横へ流し、左耳上部には螺旋らせん状のピアスを付けている。何かを訴えかけるように、切なげな眼差しを春馬へ向けていた。



──なんで僕を見ているんだ。というか、なんで僕は見とれているんだ……。



 春馬は我に返ると慌てて顔をそむけた。うつむき、用もないのにスマホを触る。しかし、早まった鼓動が落ち着く気配はなかった。



──早くバス来いよ……。



 春馬は一刻も早くこの場から立ち去りたいと願った。そして、どのくらいたっただろうか……構内アナウンスがバスの入構を告げる。相変わらず、女子大生たちのソワソワした挙動が少年の存在を教えていた。



──ま、まだ見てるのかな……。



 春馬は躊躇ためらいながらも顔を上げた。やはり、少年はまだそこにいる。再び視線が合うといきなり両手を広げて前へ突き出してきた。左手をめいっぱいに開き、右手はVサインをしている。次に、左手を下げて右手のVサインだけを見せる。最後に、Vサインに薬指を加えて3本指にする。一連の動作が終わると少年は面白そうに無邪気な笑みを浮かべた。



──????



 春馬が理解できずに眉をよせると少年はさらにクスクスと笑う。その笑顔には嫌みがなく、春馬は公衆の面前で笑われているのにも関わらず不快感を覚えなかった。戸惑いながら周囲を見回すと女子大生たちも少年につられて笑顔になっている。まるで、アイドルに出会えたファンのようだった。



──なんなんだコイツ。



 春馬の戸惑いが大きくなったころバスが停留所へ到着する。少年は春馬へ向かって軽く手を振ると背中を向けて立ち去った。



──アイツはなんだったんだ……。



 春馬は疑問に思いながらバスに乗った。



×  ×  ×



 空気ブレーキを解除する音がしてバスがゆっくりと宵闇よいやみえきを出発する。一番後ろの席に座った春馬は視界を流れゆく暗い街並みを眺めていた。幾つかの停留所を通り過ぎても、先ほどの少年が頭から離れない。



──アイツは何がしたかったんだ??



 春馬は少年が最後に見せた仕草を思い出した。ハンドサインを単純に数字に置き換えて考えてみると……。



──7



──2



──3



──723……ナツミ……夏実!?



 少年のハンドサインは夏実を示している。



──アイツは夏実を知っている!!



 意図に気づいた瞬間、春馬は血が逆流するのを感じた。慌てて降車ボタンを押し、降車ドアが開くと宵闇よいやみえきへ向かって全速力で駆け始める。



──必ず捕まえてやる!!



 身体中の血が熱くたぎり、足は力強くアスファルトの歩道を蹴った。



──夏実を救う手がかりが向こうからやってきた。それなのに気づかないなんて……。



 春馬は少年をみすみす見逃した自分を呪った。少年のハンドサインと笑顔が挑発とわかり、激怒していた。



──家族の不幸を笑うのなら必ず報いを受けさせる……あきさん!!



 春馬は閑散とした夜道を駆けながら両眼にまう神獣へ呼びかける。すぐに、ふわりと首筋に禍津姫まがつひめの気配を感じた。禍津姫は全力疾走する春馬の首筋へ背後から手をまわし、風になびくながばたのように飛んでいた。



「春馬よ何用か?」

「バスターミナルで見た男を覚えてる?」

「当然じゃ。わらわは春馬の目に宿る神獣ぞ」

「あいつを捕まえて!! あいつは夏実を知っている!! 捕まえて問いただすんだ!!」



 春馬が叫ぶと言葉は言霊ことだまとなって禍津姫を解き放つ。



「相分かった」



 禍津姫はすぐに空高く舞い上がり、宵闇よいやみえきの方向へ向かって手をかざす。



け」



 かざした手の先から大小様々の蛇が無数に放たれる。蛇たちは人、車、建物をくぐり抜け、凄まじい速さで宵闇駅へ殺到する。人々には解き放たれた蛇が見えていない。


 やがて、数多あまたの駅構内の様子が禍津姫の視覚へ流れこんできた。待合室、駅の改札、ホーム……様々な場所の映像が同時に見えてくる。禍津姫の探索能力は人智を超えているが、少年の姿はどこにも見当たらない。



小賢こざかしい……」



 禍津姫は眉をひそめながら呟くと春馬の元へ舞い降りる。駅構内を探索する無数の蛇もいつの間にか消えていた。



×  ×  ×



「ご、ごめん、あきさん。息が……上がっちゃって……」



 春馬は立ち止まると肩で息をしながら禍津姫を見た。



「わらわの方こそ、見つけることあたわずじゃ。許せ……」

あきさんは悪くないよ。僕がもっと早く気づくべきだったんだ」



 春馬は鈍感な自分を恥じるが、それは禍津姫も同じだった。



「人じゃと思うて、油断した。しかし……まるで……」

「え?」

「いや、何でもない……それよりも春馬、その格好をなんとかせぬか……」



 禍津姫は春馬を見ながら頬を赤く染めた。春馬は全力疾走のせいでビックシルエットTシャツが汗で濡れ、筋肉が透けて見える。頸元くびもとでは浮き出た血管が艶めかしく脈打っていた。禍津姫は春馬に触れたいという欲求を必死になって抑え、目のやり場に困って俯いた。



「早く帰って湯浴みでもするのじゃ。夏風邪をひくぞ」

「そ、そうだね……あっ!!」

「どうしたのじゃ?」

「乗っていたバスが最終だったんだ……」

「ふふふ、そこまでは知らぬ。自分でなんとかするんじゃな」



 禍津姫はわざと意地悪っぽい笑みを浮かべる。春馬は頷きながら禍津姫の瞳を真っすぐに見つめた。



「媛さん、召喚にこたえてくれてありがとう」

「ど、どうしたのじゃ急に」

「本当に嬉しかったから……」

「……」



 春馬が心から感謝していることは禍津姫にもわかる。禍津姫は嬉しくて切なげに目を輝かせたが、照れくささもあって視線を落とした。



「……さようか。春馬が嬉しいとわらわも嬉しい……気をつけて帰るのじゃぞ」

「うん。媛さん今日はありがとう。また明日」



 春馬はお礼をいうとタクシーを探して道路脇に立った。そして、春馬がタクシーに乗りこむと禍津姫の姿が消える。そうかと思えば、近くにある巨大な送電鉄塔の上に再びふわりと降り立った。逆巻く風が闇よりも濃い黒髪と制服のスカートをなびかせる。



──さて……。



 禍津姫は宵闇駅よいやみえきのある方角を眺めた。



──あの少年、わらわのことも知っていたに違いない……。



 少年が姿を消した手際のよさを考えると、禍津姫にはそう思えた。禍津姫が稲邪寺とうやじ花魄かはくたわむれていても、本体である八頭やず大蛇おろちは春馬の両目に宿っている。その気になれば人間の少年なんて簡単に捕まえられる。それなのに、あの少年は春馬を挑発するという危険をおかした。



──そして、わらわがすぐに動かぬと確信しておったのじゃ。ということは……。



 禍津姫は鈴宝院れいほういんおみが持つ『バンテージ・ポイント』の能力を思い出していた。



──ふふふ、呪縛者の末裔は本当に小賢しいマネをする。わらわと春馬を試すならそれもよかろう……だが、せんなきことぞ。



 禍津姫は面白そうに笑みをこぼしているが、瞳は赤い攻撃色に染まっている。やがて、一陣の風が鉄塔を吹き抜けると禍津姫の姿も消え去っていた。




                          第1部 臥竜転生編 完

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